カテゴリー「街ぶらin近畿」の38件の記事

2022年5月 7日 (土)

旅引付と二枚の絵図が伝えるまち+さの町散歩

4月三周目は南海の株主優待をはくため、向かった先は泉佐野駅。

数年前に犬鳴山温泉に来て依頼の訪問です。

以前はなかった駅の真ん前に、いや隣接して!?ホテルが建設中

でした。駅がすっぽり覆われて外からは見えない(*_*)。

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それはさておき、駅の東側に歩いて15分程度にまずは本日のお勉強

です。

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一度は財政再建団体に陥っただけあって泉佐野市の歴史館はネーミングラ

イツ!

タイトルのとおり戦国時代の泉佐野市日根野には元関白の九条政基が16

世紀初頭に荘園のあった日根荘に数年間滞在し、当時の日根荘について日記

(引付)と地図を残しています。史料から中世荘園の景観を体感できる場所

として日本遺産にも登録されているさう!

歴史館は模型やパネルが中心でしたが、当時の日根荘についてわかりやすく紹

介されていました。

 

予習も済んだところで市役所前からコミュニティバスに乗車し、いざ日根荘へ。

なんとバスはロハではないかぁ!一度は再建団体に陥ったあの泉佐野市がですよ!

まあこれも、ふるさと納税で逆襲した証かねぇ。総務省にも裁判で勝ってたし。

バスはJR阪和線を越え、久の山で下車。歩くこと数分でこちらにとうちゃこ。

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日根神社。かつては大井関大明神と称し、日根野氏の氏神で和泉五社に

数えられる延喜式内社です。旅引付にも登場し、政基卿もお参りしたこ

とでしょう。戦国時代には焼失しますが、秀頼が再興しています。

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そして隣接するのが神宮寺であった慈眼院です。こちらが今回のメイン。

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白鳳時代の創建とされるが詳細は不明。寺院名の慈眼は政基の院号である

さう。九条家とのゆかりを感じさせます。もともとは無辺光院と呼ばれていた

みたいです。

 

さて拝観をお願いしようと思ったが受付がない。常時の受付はなく、寺

務所のピンポンを押すパターンでした。観光寺院ではないのですね。

さて寺務所で拝観料を払い、係の人の案内でいよいよ境内へ。

門をくぐって、すぐ左手には重要文化財の金堂。

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そして右手に隣接して多宝塔があります。文永8(1271)年に建て

られ、こちらは国宝に指定されています。

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軸部が細くスラッとしたプロポーション。下層は幅2.7mしかありません。

かつては金堂のすぐ横にあったようですが、明治時代の解体修理の際に現

在の場所に移築されたようです。

内部には平安時代の大日如来が祀られ、三賀日は拝観することができるさう。

新緑が鮮やかで、そこにひっそりと建つ瀟洒な堂宇にすっかり心癒やされました。

 

慈眼院をあとに、歩いて数分の総福寺天満宮へ。

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こちらの本堂はわずか一間の春日造でほんとちっちゃいですが、安土桃山

時代の建造でこちらも重文です。このように日根荘には現在も往時の遺構

がたくさん残っておりげきか~んしました(これらは遺構のほんの一部!)。

帰りは南海バスで泉佐野駅へ戻りますが、もちろんこちらは有料です。

駅前でランチを済ませ、午後からは駅の西側を攻めます。

 

駅西は熊野街道が通りさの町といわれ、現在の泉佐野市の元とな

ったところ。江戸時代には廻船業や醸造業、綿織物業で栄えたこもあり

かなり立派なお屋敷が残っています。

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かつての醤油業を営んでいた旧新川家住宅は開放されており、

内部を見学することができました。200年前の建物ださう。

食い違い四間どりなど特色ある建造物となっていました。

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町は迷路状になっており、望楼のある家などなかなか魅力的な

街並みです。

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そしてこちらがかつての食野家跡。

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食野とかいて「めしの」と読むらしい。廻船業で財を成し、天保7年の

日本長者分限帳によれば大関にランキングされ、鴻池や三井と並ぶ大豪商

でしたが、幕藩体制がゆるぎ始めると各藩への貸付なども踏み倒され、

すっかり零落したさうです。盛者必衰の理をあらはすですかなぁ。

 

普段は関空や和歌山に行く際に通過するに過ぎない泉佐野ですが、日根野や

さの町は国宝から古い町並みを残す見どころ満載の町であることを再発見

できました。財政債権もスラバらしく、最後は平成の泉佐野再興の功労者

の市長でおしまいに(さういや結構ふるさと納税させていただきました!)。

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2022年4月17日 (日)

実は見どころ満載、四日市の歴史散歩

先月18日はこちらのきっぷを利用し、ほんの少しの遠出です。

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連続3日間3000円で近鉄全線乗り放題という夢の切符の2日目。1日目は

普通に通勤で使いました。さて、たどり着いたのは四日市!ここの往復

だけで既にもとは取れました(^^)!

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バカでかい駅ビルに近鉄百貨店が入る近鉄四日市駅。ここから初めて

湯の山線に乗ります。

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ヘッドマークによると湯の山温泉は開湯1300年とのこと。そんな

歴史があったのね。さて四日市から2駅、伊勢松本駅で下車します。

駅前から歩くこと数分、まつもとの来来憲へ。こちらに名物のとん

てきを食べに来たわけですが、11:30過ぎですでに大行列。。。

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普通ならせっかくきたんだから意地でも食べて帰りたいところです

が、乗り放題切符ということなんで今回は断念。再び湯の山線で四日

市まで無念のとんぼ返りです。
 

駅下の観光協会でレンタサイクルを借り、ランチは三重の隠れた名物と

いえるうなぎに変更。以前から行きたかった、きみのやを訪問するもな

んとこちらはうなぎの仕入れの関係で臨時休業(汗)。ついてないぜ~

(T_T)。仕方なく二番手の候補、喜多川へ。

 

こちらは2度目の訪問です。料亭風の高級店で座敷に通していただきま

した。上うなぎ丼3960円と値は少々貼りましたが、ぱりふわのうなぎ

は美味かった!ご飯の中にも隠れており、満足満足です。

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喜多川をあとにし、チャリンコで旧四日市港周辺をぶらぶら。まずはこ

ちらへ。

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昭和6年に完成した現役最古の可動橋、広末橋梁です。なんと重要文化財にも

指定されています。跳開式の可動橋で全長は58m、現在でも貨物列車が走るよう

です。貨物が走っているところも一度見てみたいものです。

そして広末橋梁の近隣には倉庫街が広がっていました。

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刑事ドラマに出てきさうな雰囲気。なんか緊張感が味わえます。そしてすぐ

近くには稲葉翁記念公園があります。

公園の対岸には潮吹き防波堤が見え、こちらも重文に指定されています。

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オランダ人技術者デ・レーケの案を採用したもので、解説によると

ぽつぽつ開いている穴から水を逃し、波を弱める機能を持つさう。

詳しくは公園内にレプリカがあり、ボタンを押すと実際に波が起こ

り、その性能を見学することができます。

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ちょい見えにくいですが、堤防の断面はこんな感じ。

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周囲が稲葉記念公園と言われているのは安政の大地震で崩壊した四日市

の港を廻船問屋稲葉三右衛門が修復し、明治17年に完成させたのが旧四日

市港とのこと。現在の四日市港の礎を築いた稲葉翁を顕彰する公園です。

 

さて国道23号線沿いを北上。国道は混みまくり、あまり気持ち良いサイクリング

というわけには行きません。

四日市ドームを右に見て、20分強で霞大橋を渡り人工島へ。まもなく左手に

目的地である四日市港ポートビルが見えてきます。

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高さ100m、四日市港管理組合が管理し、三重県で一番高いビルら

しい。ビルからの景色は絶景。

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四日市らしいコンビナートの風景や東側には伊勢湾越しにはなんと

セントレアまで一望できます。

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備え付けの双眼鏡越しには、離着陸する飛行機まで見えました!

絶景を堪能したところで、再び四日市駅へ戻ります。

JR四日市駅近くの名店を訪問。

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四日市、桑名周囲にはなが餅という餅が名物で、そのうち

の一軒が金城軒。発祥の笹井屋は以前食べたことがあるん

で今回はこちら。お餅はこんな感じです。

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薄く伸びた餅は柔らかく香ばしい風味、そして中のあんこも甘すぎず、

見た目に反し上品な味わい。うまい!

細長く、さほど量はないんで何個でもいけちゃう感じでした。

 

ちなみにこちらはお店すぐ近くのJR四日市駅。近鉄と対照的に閑散として

いますね。三重は奈良と同じく近鉄王国であることがわかります。

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その後、市立図書館に立ち寄ったあとチャリを返却し、四日市市立博物館へ。

3Fの常設展は無料で時空街道と称し、四日市の古代(久留倍村)から

中近世(四日市宿、湊)までの通史を解説さていました。

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四日市の起源は今から500年前にできた四日の市で、市場浦という

湊とともに発展したようです。

展示室に隣接し、四日市が輩出した作家丹羽文雄の記念室も。残念な

がらお名前は初めてしりましたが、また機会があれば読んでみたいと。

 

2Fは四日市公害と環境未来館。四日市といえば四日市ぜんそくという

負のイメージがありますが、その歴史と教訓を語り継いでいます。

もともと四日市は戦前より日本一の海軍燃料廠があるなど工業の

街として発展。戦時中に燃料廠は米軍に破壊され、その後石油化学

コンビナートが建設されました。

1959年から本格的に操業が開始すると海が汚れ、ぜんそくも発生

したさう。67年には裁判となり、同年公害対策基本法が施行された

ようです。それ以降環境への意識が高まると環境改善も進み、公害は

解消され現在にいたるさうです。四日市の現在に至るまでの歴史が

よく分かる展示でした。

 

旅の最後は笹井屋のなが餅も金城軒と食べ比べしたいため、近鉄百貨

店に寄りましたが、残念ながらばら売はなく断念。

セコロジーを実践すべく、往路同様急行に乗り、四日市をあとにしま

した。

 

コンビナートや近代遺産の残る街の景色は奈良人にとっては新鮮。

とんてきやきみのやとやり残したこともありますし、また再来したい

ですね。あと夜景も見たい。

 

 

2022年1月30日 (日)

大阪の隠れおすすめミュージアムとbk

年末年始にかけてのなにわ巡りを総括!

その【壱】NHK大阪放送局

う~ん、カムカムエブリバディおもしろすぎるど!朝ドラと

は思えぬクオリティとるい役の深津絵里可愛すぎ!昔より

今が一番やね。

 

今年はbkワンダーランドもないかと思いきや、どうも縮小

してやってたさう。せめてポストカードが欲しかったんで

年明けbkへ出陣した次第です。

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カムカム関係はタペストリー以外これといったものはなかったけ

ど、とりあえずポストカードをゲット。また9Fでは鎌倉殿のパネル

紹介はあり、それなり楽しかったかも。

 

その【弐】NHK大阪放送局

ついでに隣の大阪歴史博物館も見学です。

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巨大なビルの7Fから10Fまでが常設展示スペース。入館料を払い

まずはエレベータで一気に10Fまで登り、順次下階フロアを見学

します。

最上階の10Fは古代。フロアには難波宮の大極殿内部を再現。

その雰囲気を実感できます。

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目を正面の窓に転じると難波宮跡が一望できます。

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発掘物や宮の復元模型もあるなど、難波宮を多面的に実感することがで

きます。

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9Fは中世と近世のフロア。こちらも展示の前半はパネルや模型など

ビジュアルに解説し、後半は実物資料で解説を補強。

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こちらは前半の大坂本願寺の模型。中には顕如上人の人形も!また7Fには

大大阪の町並みが再現されているなど久々に訪問しましたが思ったより

見応えありましたね。欲を言えば大坂城の展示もほしいかな。

 

その【参】北御堂ミュージアム

本願寺関係ということで別日ですがこんなところも訪問しています。

北御堂津村別院の1Fに新しくできた浄土真宗本願寺派のミュージアム。

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大坂本願寺はもともと第八世門主蓮如が明応5(1496)年に建立。天文2

(1533)年に六角氏、日蓮衆徒によりそれまでの本山であった山科が焼か

れたことから新たな本山となったとのこと。大坂は京都や奈良、瀬戸内海

を通じれば、大陸にも通じる交通至便の地であったことから大いに栄えま

すが、このことが信長の目に止まり、11年に及ぶ石山合戦に発展。最終的

に武力に屈した門主顕如は大坂を退去し、鷺森→貝塚→天満→京都へと寺

基を移しますが、大坂の門徒は天満近くの楼の岸に坊舎を建て新たな大坂

の拠点としました。慶長2(1597)年に現在の津村の地に移り、現在に

至ります。南には大谷派の南御堂(難波別院)も建ち、両寺院をつなぐ道

は御堂筋と呼ばれることとなります。

 

館内には大坂本願寺・寺内町復元模型や大パノラマ図、40Mにわたる歴史ガ

イドウォールなど、ビジュアルに本願寺の歴史を紹介。しかもなんとロハ!

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↑復元模型(パンフレットから)。ミュージアムといいながらも、少しです

が実物資料もちゃんと展示されています。

大阪の基盤をつくったのは秀吉の大坂城ではなく、あくまでも大坂

本願寺ということがよくわかりました。

現在の北御堂は昭和39年に再興されたものですが、その高さは大阪

城天守閣よりあえて2M高く作ったのも、さういう云われださうです。

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大阪の歴史がわかる2つのミュージアム、オススメです!

 

 

 

 

 

 

2021年9月 5日 (日)

永久鎮居の里散歩

お盆明けの土曜日は津へ。本来なら当日開催予定の石水博物館の講演会を聞き

に行く予定でしたが、新コロのため急遽中止。せっかくなんで後期展示を見に

行きました~。

いつもなら阿漕駅から歩いていくんですが、この日はこちらから。

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近鉄名古屋線南が丘駅です。駅前には近鉄不動産が開発した津南が丘住宅地が

広がります。整然としたきれいな町並みですが、もうちょいと地名なかったの

かなぁ。南が丘って安直すぎないかぁ(^_^;)。近くの垂水から垂水台とかねぇ~。

 

博物館までの道のりは結構ややこしかったですが、地図アプリでなんとか。約15

分程度で石水博物館へはとうちゃこできました。

展示替えは一部でしたが、北畠マニアとしてはやはり両方みておかんとねぇ。

  

博物館を後にし、青谷口から三重交通バスに乗り、野辺野で下車。こちらは旧久

居市の中心地にあたります。

現在は津市に吸収合併された久居ですが、元は津と同じく藤堂氏の陣屋町。

今回は、そのあたりを少し歩いていみようかなぁと。

 

その前にまずはランチ。腹が減っては戦はできぬということで。近くにブロッコリ

というハンバーグで有名なお店があったんでそちらに伺いました。

外観も内部もオシャンティな雰囲気でかなり賑わっていました。

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肉の味もしっかり味わえ、なかなか美味しかったです。もう少しハンバーグに量が

あってもよかったかも。ただもやしのお蔭で腹は一杯になりました。

 

お店を後にし、ふるさと文学館を越え、ひたすら道を西に進みます。15分程度歩いて

市街地の西の端にある高通児童公園にとうちゃこ。こちらが久居藩の旧陣屋跡です。

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今年で入府350年なんすねぇ~。初代藩主は藤堂高虎の孫である高通で寛文9

(1669)年に5万石を分与され立藩されました。背後には「陣屋御殿後と開府」

の石碑が聳えます。もともとは久居は野辺野という荒地でしたが、入府にあたり

高通が整備。地名も永久鎮居の意味を込めて久居に改名したさうです。

陣屋跡の西側には土塁の一部が残ります。

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南側は崖となり、こちらもしっかり守りを固めていました。

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現地に設置された説明板によると、かつての陣屋町はこんな感じだったやう。

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図のちょうど左下に陣屋が位置し、格子状の整然とした町並みが広がっ

ていたやう。

現在も町割りがよく残ります。先程ハンバーグを食べたお店のあたりに

は大手門もあったようですね。

 

再び中心地に戻る途中に市立誠之小学校がありました。藩校を起源に持つ

歴史ある学校でした。

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先程通過したふるさと文学館という図書館にも訪問。2階には久居の歴史も少し

展示されているので興味ある方は要チェック。また正面のアルスプラザでは

5GのフリーWi-Fiが体験できましたが、まあそんな速いとは思いません

でしたがね(^_^;)。

 

久居本町あたりは現在は寂れた商店街ですが、本屋さんなど頑張って

営業されていました。昔の町家もちらほら残ります。

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一本東側に並行した二ノ町。こちらも同様に古い町並みが残ります。

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新しい家にも言えるんですが昔の地割が残っているせいか、敷地面積が広く

大きなお家が結構あったのも印象的です。

 

二ノ町の玉せん寺は初代高通と二代高堅の木造が残る菩提寺。山門は武家屋

敷風の長屋門という不思議な造りでした。

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山門入ってすぐ右側には高堅と三代高陳の五輪塔形式の墓石もありま

した。因みに初代と四代は津寒松院にあるとのこと。

  

一方こちらは、本町に鎮座する久居八幡宮、久居の総鎮守です。

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祭神は品陀和気命と書いて誉田別命です。相殿には藤堂高通公が祀られて

います。もともと八幡宮は立藩一年後に久居の総鎮守として小戸木にあった

八幡神を遷座させたものださう。明治には久居村の他の神社も合祀され、

社名も野辺野神社と改名されたさうですが、令和2年久居開闢350年を期に

社名を久居八幡宮に復したさうです。境内は綺麗に整備されていましたね。

 

これで一通り見学は終了。再び久居駅に戻りました。駅前には巨大な再開発

ビルのポルタがありましたが、現在はすっかり津市役所の別館になっていた

ようで^^;。

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また駅東口にはこんな銅像を発見。

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右のワンコは渋谷駅にもいる忠犬ハチで左の親父が飼い主の上野英三郎博士。

なんでも上野博士は旧制中学まで久居で過ごし、墓は市内の法専寺にあると

のこと。意外な発見です。

 

学生時代はよく通過していた久居ですが、色々新・再発見のあった街ブラ。

まだまだ身近な町にも知らないことは山程あるようです。

 

 

 

 

 

2021年6月13日 (日)

二週連続の神戸(ただしカンベ)

今月一発目の土曜は神戸。神戸と書いても読みはカンベ、伊勢神戸です。

近鉄の優待を利用し、まずは伊勢若松へ。こちらで鈴鹿線に乗り換えと

なりますが、ここで一旦下車。駅から歩くこと10分でこちらにとうちゃこ。

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大黒屋光太夫は、江戸時代後期の若松の船頭で、天明2(1782)年12月に白子から

江戸に向け神昌船にて出港しますが、遠州灘で遭難の末、7ヶ月後アリューシャン列

島に漂着。光太夫らは帰国の許可を取り付けるため、カムチャッカ半島へ渡り、更に

イルクーツクを経て、ペテルブルグへの大移動。エカテリーナ2世に謁見の末、ようやく

帰国が許され、ラクスマンに伴われ、根室についたのは白子を出てからすでに10年が経過

していました。その後、江戸に留め置かれ、若松への帰国は許されたのはさらに10年経たあ

とでした。この壮大な物語は、井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」となり、映画化もされた

ています。

   

う~ん、すごすぎる!江戸時代にペテルブルグまで行くとか、もう想像を絶します。

帰宅後、早速映画版の「おろしや国酔夢譚」を見ましたが、光太夫たちの苦難の道程に

驚愕し、また彼らの帰国を叶えるための必死の姿にげきか~んしましたね。ちなみに

●大黒屋光太夫:緒形拳

●光太夫とともに帰着した磯吉:米山望文

●帰着するも上陸できず亡くなった小市:川谷拓三

●ロシアに残った庄蔵と新蔵:西田敏行、沖田浩之

と豪華メンバーでした。

   

さて資料館内には光太夫の記したロシア語の掛け軸や光太夫ゆかりの文書、新昌丸の模

型などが展示されてました。映画を見たのでもう一度いってみたい。

また資料館の近くに隣には磯吉の菩提寺である心海寺や若松東墓地には光太夫と船員の供

養碑や光太夫実家亀屋の墓もありました。

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さらに千代崎港緑地公園には壁画もあるなど、光太夫はたちは地元の英雄

として多数顕彰されていました。

 

千代崎駅から再び若松駅まで戻り、鈴鹿線へ乗車。わずか二駅で鈴鹿市駅に

到着。鈴鹿市の中心地神戸にあり、旧駅名は伊勢神戸。駅舎は3階建てで立派

でしたが使われているのは1Fのファミマのみ!?

鈴鹿市はかつての神戸町、白子町という2つの中核都市からなり、その一方の

神戸町の中心地がこちらです。

中世には神戸城が築かれ、織田信長の3男信孝が神戸氏の養子として入ったこと

でも有名。さて駅前から歩くこと、ちょっと行くと、目の前にどーんと聳え立つ

天下無双の大廈が(^_^;)。

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なんと鈴鹿市役所です。15階は展望フロアがあるらしいのですが、新コロの関係で

当日は入館禁止。ホームページには17時まで開いてると書いてたのに。ドシ~٩(′д‵)۶。

仕方なくランチにでも行こうと予め目をつけていた、うどん屋さんも大行列で断念。

ことごとくついてないぜ~(T_T)。仕方なく役所前のカルディーという喫茶店に

偶然入りましたが、これが当たり!ランチメニューの魯肉飯をいただきましたが、

これが実に美味かった!お店の雰囲気もいいし、おすすめです。

  

さて食後は旧市街を散歩。街の中心に伊勢街道が走り、蛇行した道筋に昔風の建物が並び、

ちょっとした城下町の雰囲気を味わうことができます。

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途中、立石餅と書かれた幟も。ご当時の名物らしくこちらはあとで購入するという

ことでスルー。まもなく天澤山龍光寺にとうちゃこです。

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寺伝などによれば、称光天皇の勅命を受け、開基を北畠満雅、神戸重実が奉行に

任命され、応永30(1423)年に建立されています。歴代の住職は紫衣を

賜るなど、伊勢屈指の寺院でした。もとは現在地より西の地にあり、創建された

当時は60近くの塔頭があったさうです。

現在その規模は縮小されましたが、それでも境内には本堂や鐘楼、楼門、庫裏など

多数の建物が境内には建ち並んでいました。

 

寺院のすぐ南には神戸城址があります。現在は本丸の一部に天守台と堀の一部が

残るのみで、二の丸や三の丸の大部分は神戸高校の敷地になっていました。

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こちらが本丸。城址碑の奥に天守台がみえます。

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古風な野面積みからなる天守台は戦国の息吹を感じさせます。かつてはこの上に

信孝が築いた5層の天守があがっていたさう。しかし信孝自刃後、天守は桑

名に移されたさうです。

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本丸の周囲には土塁も見られます。

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本丸西側には水濠が残り、神戸公園となっています。本丸を見ても石垣がなく、

正直あまりお城っぽくはないなぁ。明治に四日市築港の際に石垣が持ち去られ

たためとのことです。

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さて城址をあとに西に向かいます。途中図書館で休憩して、県道54号線の

飯野地区市民センター東の交差点を南にまがって左手まもなくの広場に

石碑がド~ン!

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沢城址。天文年間ころ、神戸城が築かれるまでの神戸氏の本拠地です。

龍光寺も当初はこの付近にあったようですね。お城を感じさせるものは

石碑以外一切ないですが、神戸氏ゆかりの地です。

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以上で今回行きたかったポイントはすべて完了。最後土産に龍光寺近くで

見つけた立石餅を買おうと思い、閉店の5時までに訪れるべく急いで駆けつ

けましたが、なんと時間前に閉店されており_| ̄|○。

桑名の安永餅や四日市のなが餅に似た長めの焼き餅だったみたい。この系統

非常に好きなんで残念無念!

展望台も逃したし、うどんも食べれなんだし、心残りがいっぱい。また株主

優待が余ったらリベンジするかぁと後ろ髪を引かれる思いで帰路についたのであ

ります。

 

ベーコ散歩(布引の滝から博物館)

2週前の土曜はベーコへ。まずは神戸三宮駅から新神戸を目指しました。

途中二宮神社を参拝。まちのど真ん中にある神社。

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神戸には厄除八社として八宮まであるようですね。

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神社から緩やかな坂道を登ることしばらく新神戸駅に。新幹線で通ることは

しばしばですが、正面から駅に来るのは今回がはじめて。駅ナカはリニュー

アルされたようで、お土産物屋さんなど結構賑わっていました。

 

さて駅の北側はすぐに山です。新幹線で停車しても北側は鬱蒼とした雰囲気

ですからねぇ。

新幹線の高架下をくぐり抜け、住宅地を少し歩くと砂子橋があります。こちら

を渡るといよいよ山の中。整備されたハイキングロードを歩くことわずか5分で

立派な滝が眼前に。

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新幹線の駅からわずか5分でこれは凄い!こちらの滝は雌滝といい、ほかにも

付近には鼓滝、夫婦滝、雄滝の3つがあり、これら4つの滝を総称して布引の滝

というさうです。在原業平など平安貴族も多数訪れた景勝地で一帯には歌碑が

多数設置されていました。雌滝からさらに5分すすめば鼓滝。

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パンフレットにある夫婦滝は知らぬ間にスルーしたようですが、それか

ら更に5分で最大の見所雄滝にとうちゃこです。高さ43mから流れ出る

水流は途中5段に折れ、滝壺におちる姿は圧巻です。

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先日訪問した白糸の滝には及びませんが、このお手軽さでこれだけのも

のが見られるのはいいですねぇ。雄滝の更に上には展望台があり景色もさ

いこ~です。

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また布引の滝の近くには徳光院という寺院がありました。明治39年

川崎正蔵(現川崎重工の創設者)が建立。境内には重要文化財にも指

定されている多宝塔や鐘楼など多数あり、これらは他所から移築された

ものださう。

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滝で癒やされたあとは寺院で心を落ち着ける。実に贅沢なコースです。

さて身も心もリフレッシュしたあとは、新神戸までもどり、

ランチでもとろうかとコトノハコ神戸に立ち寄りましたが、あまりに空っ

ぽで!!。

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結局、お昼は三宮まで戻り、定番のセンタープラザで(^_^;)。

お昼からは神戸市立博物館でこちらを見学。

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う~ん、おもったよりよかったなぁ。昭和45年に東山魁夷は鑑真和上

坐像安置のために建立された御影堂の障壁画制作を引き受け、10年の年

月をかけて作成された障壁画が68面が展示されていました。

「山雲」、「濤声」、「桂林月宵」、まるで大自然の中にいる

かのように錯覚させる障壁画は和上安住の地に相応しい癒やしの景色

でした。

 

布引の滝に東山魁夷、癒やしに包まれたベーコの1日でした。

 

 

 

 

 

2021年5月 9日 (日)

新大仏寺から上野界隈

GW最後のお出かけは伊賀市へ。国道163号線は車でえっちらおっちら。途中、道の駅お茶の

京都みなみやましろ村によりましたが駐車場もいっぱいなほど大繁盛。

そして隣にはなんとフェアフィールド・バイ・マリオットができているやないですかぁ(゚∀゚)。

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当日は内覧もできるとのことなんで見せていただきました。すっきりした造り。

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また機会があれば是非。大台にもあるしね。

 

伊賀市の中心地上野を過ぎ、さらに東進。伊賀市は名張市を除く旧伊賀一国が

合併しているだけあって広い広い。目的地にはなかなかです。

服部川の上流20分ほどでやくとうちゃこ!

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伊賀別所新大仏寺です。平家の南都焼討により焼亡した東大寺大仏殿を再建

するために俊乗坊重源が建仁2(1202)年に木材を調達するための杣山に創建した

伊賀別所に起源をもちます。ちなみに別所は他に六箇所あり、東大寺別所、高野新

別所、渡辺別所(摂津)、播磨別所、備中別所、周防別所がそうださう。周防別所

の阿弥陀寺はこないだいったとこです。

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大仏様は快慶作の木彫如来坐像で宋の仏画をモデルにしたもの。元は阿弥陀三尊

像だったらしいですが戦国期にはすっかり荒廃し、松尾芭蕉が訪れた際は、仏頭

と石製基壇しか残っていず、「丈六に陽炎高し石の上」と詠んださうです。

こちらがその石碑。

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大門をくぐり、寺務所で大仏様の拝観料をお納めします。現在、大仏が安置されて

いるのは大仏殿ではなく、こちらの宝蔵蔵(新大仏殿)です。

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1fには石製の台座が安置。周囲には獅子が彫刻されています。そして2f

に大仏坐像があります。金箔は貼り直さており、まるで新造みたいピカピカ。

体は享保年間の後補ださうです。神々しいお姿に心洗われました!南無阿弥陀仏。

向かって左横には重源上人坐像、右には五輪板塔婆が安置されていました。

すべて重要文化財。まるで伊賀の正倉院やね。

 

宝物殿をあとに大仏殿へ。こちらの奥には岩屋不動明王が祀られており、

これがなかなかなんです。大きさといい、迫力といいげきか~ん。

いや~色々と見どころの多いお寺でした。最後に御朱印もいただき、無事参拝は

終了です。

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上野に戻りランチはハイトピア伊賀2fのちゃんとかふぇで。ふだんはうどんの九

菴にいってるんですが、たまには別のとこということで。この日はパンの食べ放題が

なくちょっと量的にものたりなかったけど味はよし。

お昼からは市街散歩。

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旧小田小学校です。上野城の西隣にあるんですが、こちらは隠れた名所。

私も訪問するのは今回がはじめて。

明治14(1881)年に建てられた三重では最古の建物。明治時代は啓迪学校

と称し、現在は教育資料館に。内部には明治以来の教材が展示されていました。

こちらで一番の見所は色ガラス。

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残っていたものを復元したらいしですが西日が差し込むと館内に

反射し、実に鮮やかです。

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もう少し遅い時間ならもっと綺麗だったんやないかな。

旧小田小学校のあとはせっかくなんで上野城址にも。

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現在の天守は昭和10年に衆議院議員であった川崎克が私財を投じ再建したもの。

慶長時代には五層の天守が建築されていましたが嵐で倒壊。その後再建される

ことはなかったよう。つまり現在の天守は模擬で、正式名称は上野産業文化城とい

うらしい。しかし、現在ではそれなりの歴史とまた木造ということもあり、なか

なかいい感じです。ちなみに川崎克の孫がこちらの方です。

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かつては三重1区で民主の中井蛤こと中井洽と選挙では壮絶な戦いを繰り広げていた

ことは有名。中井は鬼籍にはいりましたが。

 

また城址内にある上野高校は榊莫山、椎名桔平、平井堅などを排出した名門です。

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お土産は毎度おなじみのいせやで名物のくさころを購入。また途中2つほど書店にも寄っ

たんですが、郷土コーナーに伊賀市史が販売されていることはびっくり。

他所の市町村史も地元書店で販売すればもう少し購入されるんでせうねぇ。せっかく

作っても誰も読まないのじゃ意味無し。

 

もう山程訪問している上野ですが、まだまだ奥深そう。また期を改めて参りませう。

 

2020年11月15日 (日)

第23回 天神さんの古本まつり

能州発向の翌日は、大阪天満宮へ。毎年恒例のイベントに参加。

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昨年は結構、ええ本がゲットできましたが、今年は食指が動く本はな

かったなぁ。ゲスト参加店として伊勢のぽらんさんも来てましたな。

 

古本まつりのあとはこちらも恒例の繁昌亭へ。新コロの影響で定員の

1/2とゆったり見れたのはよかったが、中身は今ひとつやったかなぁ、

申し訳ないがぁ・・・(^_^;)。

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今回の当たりは、市というてんぷら屋さんで頂いたランチ!安い、旨い文句

なし!来年も行こう(^o^)!

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2020年1月22日 (水)

私部城界隈★彡

日曜日は交野市立教育文化会館の歴史民俗資料展示室で

「安見一族と城」が開催されているということでいざ交

野へ。文化会館までは車で行きましたが、道がとりえあず狭

いぞ。冷や汗をかいた(^_^;)。

文化会館の建物は欧州の中世城郭をモチーフにした独特の建造

物で屋上には狭間も設けられています。かっけ~ぞ(^^)!

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もともとは交野無尽金融株式会社の社屋として昭和4年に建造され

たものだそうです。流石に内部はかなりきてましたが(^_^;)。

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常設展では交野市の縄文時代からの現在までの通史を紹介。

そしてそのとなりに小さなコーナーですが、今回のメインで

ある安見氏関連の展示。これが見たかったのや!

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安見氏ではいちばん有名な宗房と右近を中心に紹介。

宗房は越智氏の家臣中村圓賀の子として生まれたさう。軍記物

では直政と書かれる人物で一般的にはこちらの名前のほうが

有名かもしれません。生駒の鷹山弘頼とともに勢力を拡張し、

天文20(1520)年には飯盛城主にまで上り詰めます。しかし、

三好長慶に飯盛城を終われ、その後は足利義昭の奉公衆となった

ようです。その晩年は不明とのこと。

 

いっぽう右近は宗房と同族と思われますが詳細は不明。

星田に地盤を置き、河内守護畠山氏や松永久秀に従いますが、

信長が上洛すると早くに仕え、元亀元(1570)年には、私部城

主になったやう。また佐久間信盛の娘を娶り、織田家中での地位

を固めたようですが、元亀2年に久秀より暗殺されたやうです。

右近の後は新七郎が継ぎますが、最後の私部城主となり城も

廃城されたようです。 

  

このようにして河内の安見氏は、歴史から姿を消しますが、伊予や

加賀などでその一族が、砲術の名家とし残ったようです。新七郎が

枚方の鋳物師に諸役を課したことから、新七郎ゆかりのものかも

しれません。なかなか興味深い展示でした。

↓城址から発掘された鬼瓦。
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教育文化会館をあとに機物神社を参拝です。機物とかいて「はたもの」

と読みます。

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祭神は棚機比売大神。織姫ですね。参道を行くことしばらく左手に

拝殿が。参道が東西にある所以です。昔は南側に参道があったん

でせうが、今は倉治小学校の敷地になってますね。

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交野には機物神社以外にも七夕や星にまつわる地名や寺社がいっぱい。

天の川に逢合橋に星田妙見宮などなど。そもそも交野には「八丁三所」

という伝説が有るさう。弘法大師が獅子窟寺で修行しているときに北斗

七星が星田の光林寺、星の森、妙見山に落ちたというもの。まさに「星

の降る里」ですね。境内にはこんなものもありました。

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交野市のゆるきゃら、おりひめちゃんらしい。どこまでも★彡。

 

さて参拝を済ませた後、市役所に移動。こちらでマンホールカードをGET

しました。市役所のすぐ北には私部城跡があるということでそちらも見学。

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城址といっても、説明板と土壇、堀跡が残るくらいですがね。まあ平城

だから仕方ないといえば仕方ない。けど予習はさきほどばっちりしました

からね~。

こちらは↓二郭と本郭を隔てる堀です。

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すっかり畑と化しています。二郭には登れますが、本郭は民家の

裏にあたり見学は不可能っぽかったです。

二郭の南には水堀の一部が現存します。この日はすっかり水は引けて

いました。

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さきほどの展示会でももらったパンフレットを見ると、昔はこんな

感じやったみたいですね。

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泥田と水堀の中に曲輪が浮いていたみたい。今は、かつてをしのぶ

ものは数少ないですが、町中に残された中世平城の貴重な遺構。調査

を進めその全貌が明らかになることに期待します。

 

 

 

 

 

 

2020年1月19日 (日)

泉山七福神から京都迎賓館

 

 

成人の日は、毎年恒例の泉山七福神めぐりへ。昨年は体調不良のため、2年ぶりです。

今年は暖冬のせいか、参拝者がやや多かったやうな。

雲龍院では、今年も大黒様から草餅もGETです!これがうまいんだなぁ(^^)。

また当日は天気もよく、悲田院からは京都市街が一望でした。

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お参りを済ませ、泉涌寺道から市バスに乗ります。バスは東大路通を通りますが、

四条河原町、京都駅を経由しないことから、観光客は少なく意外と空いてたり。

丸太町河原町で下車し、バス停の近くでランチ。お魚のお店、なかなか美味しかった。

お腹もくちくなったところで、けふ二つめの目的地である京都御所に向かいます。

 

今回は広い御所のなかでも京都迎賓館に向かいました。当日はパレードで使われた車

が展示されているということで。基本、予約制ですが余裕があれば当日受付でもおk。

入館券を2000で購入し、地下駐車場で待機です。

それにしてもガイド付きとはいえ、高えなぁ(^_^;)。赤坂でも1000円やぞ~。

 

時間になると、ガイドさん引率のもと出発。まずは地下にあった祝賀御礼の儀で利用

されたセンチュリーを見学!

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排気量4968ccの超大型。ちなみにナンバーは祝賀御礼の日です!

ガラス越しとちと無粋でしたが、歴史的なものを見学できげきか~ん。

ツアーは再び地上に出ます。玄関横でスリッパに履き替えいよいよ内部へ。

我々はスリッパですが、要人たちは土足のままのようです。和風建築だけ

土足と言われ、ちと違和感。

 

内部は間接照明を利用し、全てにおいて贅の極みを尽くしたつくり。

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まあ国家の威信を示す意味でも金をかけるところはかけんとね。

扉に施された截金細工もお見事の一言です。

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座敷からの景色も絶景です。色々計算しつくされた景色に癒やされます。

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池の中にそそり立つ石柱は、鴨川に掛かってた橋桁らしいす。見学をこの池を

ぐるっと廻る感じ。

最後の部屋からは

 舟遊びもできるやうです。

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ワンチュク国王も乗られたとか。

 

だいたい70分のコースでした。最後に地下駐車場で建物の模型をみたら

なんと全体の1/3程度しか見学してなかったんすねぇ。

しかも和風の建物は地味やし、正直歴史もない。ちと2000円はボッタクリ

感がありましたね~(^_^;)。