カテゴリー「伊勢国司北畠」の27件の記事

2021年11月14日 (日)

田丸城築城650年記念訪問

10月2周目の土曜は田丸へ。当日は田丸城の展覧会の学芸員による展示解説もあり

それを拝聴に。

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事前申し込みでしたが、意外にも5人程度。ちょっと悲しいなぁ(^_^;)。

さて展示は1田丸城のはじまりから2具豊時代、3江戸時代、4天守につ

いて、そしてその後についての5章構成。

田丸城にまつわる書画、書物、出土物などを多数展示。

出土した破片をもとにした復元し天守の鯱図なども。なお現在確認できる

天守は稲葉時代のもので信意時代のものは史料上も発掘調査上も確認され

てないようです。

 

当日は奥書院も公開されてました。延宝5(1677)年に三の丸で竣工したもの

が明治時代に民間に払い下げられ、移築復元したものです。

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内部はこんな感じ。

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上段の間で床や花頭窓などが部屋に品格を与えますが、こじんまりし、かなり

民間風に改造されていますね。昔はもっと広かったんでしょう。

 

城址も久々に散策。大手門から登城します。

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途中、玉城中学校がありますが、こちらがかつての三の丸で奥書院も

ここにかつてはありました。

隣には富士見門があります。

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江戸時代中期のものでかつて両側には長屋があったさう。こちらも明治に売り

払われ移築復元したもの。

 

北の丸の北側には立派な土塁もありました。田丸城は外郭には北畠時代の旧態

依然とした様式を持ち、中心に進めば進むほど近世的な造りに変貌します。

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こちらは本丸虎口。

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最奥には天守台が見えます。本丸に登ると天守台が目の前にどーん!

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こちらにかつて稲葉時代の3層の天守があがってました。慶長13(1608)

年稲葉道通が岩出から田丸に遷った際に建てられたようです。

 

二の丸の石垣は野面積み。

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そしてそのすぐ南側には土塁の枡形が。これは珍しい!

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こちらも北畠時代かなぁ!?

  

お城を満喫した後は、ランランランチに。田丸駅近くにあった七十二候

で。

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日替わりのランチプレート800円。うまし!お店も広く

綺麗で居心地も良かったです。

 

裏には田丸城の家老であった金森得水の茶室兼別邸の

玄甲舎があったんでそちらも見学。

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築170年の建築で西半分は茶の湯、東半分は住居建築らしいです。

建築のことは今ひとつわかりませんが、数寄屋造りの落ち着いた

雰囲気がなかなかよかったです。まったりできました。

 

本来ならこの後松阪に行きたかったんですが、なんと2時間、列車が

なかったため、急遽伊勢市に変更。

久々に河崎の古本屋ぽらんを訪問。こちらは掘り出しものが多く

毎回なんらかのお宝がゲットできます。

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急遽、未踏の伊勢めぐりということで旧豊宮崎文庫を訪問。

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門しかなかった(^_^;)。慶安5(1648)年に外宮祠官修学の場とし

て建てられ、学校・図書館として機能したさうです。しかし明治11年に

講堂などが焼亡。史料などは神宮文庫に移され、また戦後には建物も

取り壊されたさう。

 

豊宮崎文庫横には、祖霊社がありました。今は神宮とは別法人のようです。

そんなこんなで田丸、伊勢めぐりは終了。

今年はほんと北畠氏があつい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月 5日 (日)

永久鎮居の里散歩

お盆明けの土曜日は津へ。本来なら当日開催予定の石水博物館の講演会を聞き

に行く予定でしたが、新コロのため急遽中止。せっかくなんで後期展示を見に

行きました~。

いつもなら阿漕駅から歩いていくんですが、この日はこちらから。

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近鉄名古屋線南が丘駅です。駅前には近鉄不動産が開発した津南が丘住宅地が

広がります。整然としたきれいな町並みですが、もうちょいと地名なかったの

かなぁ。南が丘って安直すぎないかぁ(^_^;)。近くの垂水から垂水台とかねぇ~。

 

博物館までの道のりは結構ややこしかったですが、地図アプリでなんとか。約15

分程度で石水博物館へはとうちゃこできました。

展示替えは一部でしたが、北畠マニアとしてはやはり両方みておかんとねぇ。

  

博物館を後にし、青谷口から三重交通バスに乗り、野辺野で下車。こちらは旧久

居市の中心地にあたります。

現在は津市に吸収合併された久居ですが、元は津と同じく藤堂氏の陣屋町。

今回は、そのあたりを少し歩いていみようかなぁと。

 

その前にまずはランチ。腹が減っては戦はできぬということで。近くにブロッコリ

というハンバーグで有名なお店があったんでそちらに伺いました。

外観も内部もオシャンティな雰囲気でかなり賑わっていました。

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肉の味もしっかり味わえ、なかなか美味しかったです。もう少しハンバーグに量が

あってもよかったかも。ただもやしのお蔭で腹は一杯になりました。

 

お店を後にし、ふるさと文学館を越え、ひたすら道を西に進みます。15分程度歩いて

市街地の西の端にある高通児童公園にとうちゃこ。こちらが久居藩の旧陣屋跡です。

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今年で入府350年なんすねぇ~。初代藩主は藤堂高虎の孫である高通で寛文9

(1669)年に5万石を分与され立藩されました。背後には「陣屋御殿後と開府」

の石碑が聳えます。もともとは久居は野辺野という荒地でしたが、入府にあたり

高通が整備。地名も永久鎮居の意味を込めて久居に改名したさうです。

陣屋跡の西側には土塁の一部が残ります。

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南側は崖となり、こちらもしっかり守りを固めていました。

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現地に設置された説明板によると、かつての陣屋町はこんな感じだったやう。

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図のちょうど左下に陣屋が位置し、格子状の整然とした町並みが広がっ

ていたやう。

現在も町割りがよく残ります。先程ハンバーグを食べたお店のあたりに

は大手門もあったようですね。

 

再び中心地に戻る途中に市立誠之小学校がありました。藩校を起源に持つ

歴史ある学校でした。

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先程通過したふるさと文学館という図書館にも訪問。2階には久居の歴史も少し

展示されているので興味ある方は要チェック。また正面のアルスプラザでは

5GのフリーWi-Fiが体験できましたが、まあそんな速いとは思いません

でしたがね(^_^;)。

 

久居本町あたりは現在は寂れた商店街ですが、本屋さんなど頑張って

営業されていました。昔の町家もちらほら残ります。

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一本東側に並行した二ノ町。こちらも同様に古い町並みが残ります。

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新しい家にも言えるんですが昔の地割が残っているせいか、敷地面積が広く

大きなお家が結構あったのも印象的です。

 

二ノ町の玉せん寺は初代高通と二代高堅の木造が残る菩提寺。山門は武家屋

敷風の長屋門という不思議な造りでした。

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山門入ってすぐ右側には高堅と三代高陳の五輪塔形式の墓石もありま

した。因みに初代と四代は津寒松院にあるとのこと。

  

一方こちらは、本町に鎮座する久居八幡宮、久居の総鎮守です。

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祭神は品陀和気命と書いて誉田別命です。相殿には藤堂高通公が祀られて

います。もともと八幡宮は立藩一年後に久居の総鎮守として小戸木にあった

八幡神を遷座させたものださう。明治には久居村の他の神社も合祀され、

社名も野辺野神社と改名されたさうですが、令和2年久居開闢350年を期に

社名を久居八幡宮に復したさうです。境内は綺麗に整備されていましたね。

 

これで一通り見学は終了。再び久居駅に戻りました。駅前には巨大な再開発

ビルのポルタがありましたが、現在はすっかり津市役所の別館になっていた

ようで^^;。

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また駅東口にはこんな銅像を発見。

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右のワンコは渋谷駅にもいる忠犬ハチで左の親父が飼い主の上野英三郎博士。

なんでも上野博士は旧制中学まで久居で過ごし、墓は市内の法専寺にあると

のこと。意外な発見です。

 

学生時代はよく通過していた久居ですが、色々新・再発見のあった街ブラ。

まだまだ身近な町にも知らないことは山程あるようです。

 

 

 

 

 

2021年5月 4日 (火)

阿坂城ハイク

4月の最終土曜は松阪駅前の観光案内所で電動チャリを借り、サイクリング。

まずは川井町のはにわ館へ。宝塚古墳で発掘された多数の埴輪が展示。

なかでも圧巻は船形埴輪。甲板上に飾り物が付けられた貴重なもの。

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威杖や太刀、蓋(きぬがさが)あったり、実ににぎやかた。よくもここまで

旧態をとどめ出土したものです。貴重なものを拝見できました。

隣には図書館もありリニューアル!?職員も委託になったようで

綺麗になってましたが。なんかちょっとカジュアルすぎ(^_^;)。

 

再び自転車にのり、県道を爆走。続いては美濃田の大仏さんを参拝

しました。こちらもはじめてです。

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隣接する敏太神社の本地仏として元文2(1737)年に造られた阿弥陀如

来座像ださうです。廃仏毀釈の困難も切り抜け、現在まで大切にお祀り

されていました。なお隣にはうどん屋さん美ノ田があり、そちらではランチ

にカレーをいただきました。

  

小阿坂の阿射加神社を参拝後、まもなく浄眼寺にとうちゃこ。けふのメイン

は阿坂城跡の登城で、こちらがベースキャンプとなります。登城は15年ぶり

くらいかな!?意外や意外、当日は浄眼寺の駐車場がいっぱい。こんなのはじ

めて。まあ、こちとらチャリンコなんで関係ありませんがね。

  

さて登城開始です。老いも若きも男も女も多数のハイカーとすれ違い、途中「こん

にちは」ラッシュ(^^)。登城路の傾斜はさほどきつくもなく、また整備されている

こともあり、人気なんでせう。

  

そんなこんなで登城から35分で城内に突入です。休憩を挟めばさほどしんどくも

ありませんでした。

さて城跡には、きれいな看板も新調されていたり!振り返れば正面には北郭(こち

らでは椎ノ木城と呼ばれています)の切岸がどーん(^o^)!

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まさに圧巻です。切岸を左手に見ながらしばらくいくと右手には大き竪

堀も。看板がこまめにあり、縄張図なしでもよく城の仕組みがわかる親切

設計です。

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左手の切岸には郭内に入る虎口がありました。はいってみると。

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郭には土塁もあります。だいぶ低くなっていますがね。

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北側の端から郭下をみれば、先程いた看板の場所が一望。こちらから弓矢の集中攻撃

で敵勢を一網打尽。

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反対側の先端からは、これから向かう南郭も望めました。

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再び虎口まで戻り、帯曲輪を南側に進むと再び堀切があります。

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北郭と南郭を分断する堀切ですな。坂を登れば、南郭にとうちゃこ。

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標高312mの頂上部には城址碑があります。

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南郭からは、眼下に伊勢平野を一望。諸条件が重なれば名古屋から、はたま

た運が良ければ富士山も見えるとか!

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眺望は最高ですが、お城としては、土塁もなく、虎口も単調なつくり。

北郭より、こちらの方が時代は古く、幕府軍と顕能や満雅が戦った城

はこちらと思われます。

 

東端下にはさらに郭が広がっており、降りることもできます。振り返れ

ば堀切の向こうに南郭がどーんと聳え立ちます。

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久々の登城ですが、こんな立派な城の印象はなかったなぁ。まあ前はここまで綺麗に

整備されておらず、真夏でブッシュだらけでしたからね。いや来てよかったな。

 

帰りには地元の方とおしゃべりしながら下城。なんでも新コロ騒ぎ以来登城する人が

増えたさう。駐車場が混んでたのもなるほどやね。

下山後は出城とされる高城跡にも案内もしていただき感謝感謝です。

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郭の西側には巨大な土塁と郭があり、その規模はなかなかのもの。

写真の右側の土塁上は結構な広さがあり、こちらは櫓台ともいわれて

います。郭内はなぜか凸凹が多数ありました。なんじゃこりわ?

 

なお高城は一般的に阿坂城の出城とされていますが、土塁はなぜか主城

のある西側に展開するなど、一説には高城は、永禄の信長侵攻時におい

て阿坂城を攻めるための附城ではないかともされています。なるほど、

その方が納得できるわな。信長、附城好きやさかい。

地元の方とお別れし、再度チャリンコで南下。最終目的地の瑞巌寺へ。

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弘法大師創健と言われる古刹で、庭園は県の名勝に指定されているらしいが、

なんかものの見事に荒れ果てていて(^_^;)。

境内には江戸中期に瑞巌寺を再興したとされる門超が作ったとされる石造の

アーチ橋が多数あり、そちらに興味が惹かれましたね。

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なお境内の北側には、北畠氏一族岩内氏の居城である岩内城跡があるとの

ことですが、登城するための道もなく断念です。めったに断念することは

ないんですが、こちらはちと無理と判断です(T_T)。

  

そんなこんなでそろそろ時間切れ。チャリンコは17:30返却ですからね。

遅れたらえらいこっちゃ。最後におまけで本居宣長と春庭のお墓参りも。

なんでも訪れている松阪ですが、いろいろ再発見できたサイクリングで

した!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年12月26日 (土)

神宮文庫から皇大神宮参拝

先々週の土曜日は神宮文庫へ。以前一度来たことはあるんですが、その際はぶらっ

と立ち寄っただけですが、今回はがっつり調べ物。宇治山田駅から歩いて15分程

度でとうちゃこです。

 

御幸道路沿いには鯱ののっかった厳つい門が神宮文庫の黒門です。こちらは御師で

あった福島御塩焼大夫(みさきだゆう)邸の屋敷門を移築したもんださう。

神宮の文庫にぴったりな門ですね。

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門をくぐり、坂を登ると文庫の本館があります。こちらには国宝1点、重要文化財7点を含む

神宮ゆかりの宝物を所蔵する神宮の宝物館です。

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神宮文庫の前身は、慶安元(1648)年、山田に図書館かつ研究機関として建てられた豊宮崎文

庫と遅れて貞享3(1686)年に宇治創設された内宮文庫。こちらは移転し林崎文庫となりました。

明治期には豊宮崎文庫の蔵書が散逸してしまうこともありましたが、神宮の神苑会により買い集め

られ、林崎文庫の資料とともに統合され、神宮文庫が創立され、現在につながるさうです。

 

神宮文庫の資料はすべて閉架書庫にあるため、請求が必要ですが10:30、11:30

など時間が指定されているので気をつけなければなりません。当方は見たい資料を

事前に調べた上で行ったんでスムーズに閲覧できました。複写も1枚20円でお願い

できます。後日、複写の許可書が郵送で来たのはびっくり(・o・)。

文庫の横には皇學館大学があり、神道博物館もありますが、新コロの影響で当日は

休館中でした、残念。

  

さて文庫のあとは文庫からもほど近い古市へ。かつては吉原や島原にも並ぶ遊郭を

含む歓楽街があったとか。現在は麻吉旅館が唯一往時を忍ばせる建物として残って

います。現役の旅館なんで内部の見学はできませんが、懸崖造の独特の外観といい、

雰囲気は十分味わえます。

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ランチをすませ、月讀宮にも参拝。こちらも古市と同じくはじめです。

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4つの社殿が並び、左から伊佐奈彌宮、伊佐奈岐宮、月讀宮、月讀荒御魂宮。

お参りも順番があるので要注意。ちゃんと案内板があるので大丈夫ですが。

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参拝後は、宿衛屋で御朱印もゲットしました。

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月讀宮から国道23号線の側道を歩くことしばらく、赤福の五十鈴茶屋にと

うちゃこ。

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一大、赤福のテーマパーク!お客さんで大いに賑わってました。赤太郎ショッ

プも有り、マグカップをゲットしちゃいました。

そんな赤福の前は、すぐにおはらい町。流石に伊勢随一の観光スポットだけ

あってこちらも結構な人で、どのお店も賑わってました。当方も大好きなさ

んま寿司をゲット。そして商店街には内宮の大鳥居が聳えます。そして五十鈴川

にかかる宇治橋をわたるといよいよ神域です。

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御手洗場で手を清め、滝祭宮、風日祈宮を拝み、いよいよ天照大神をお祀りする正宮

皇大神宮を参拝。参拝時、ちょうど白い御帳が風でなびき内玉垣がみえたのはげきか

~ん。日々の神恩に対する感謝の気持ちを申し上げることができました。

 

時間の関係上、外宮はお参りできませんでしたが、調べ物は出来たし、

久々に皇大神宮もおまいり出来るなど充実した1日でした。

 

 

 

 

 

 

2020年12月19日 (土)

国司言冓2020

最近は5月開催が普通になっていたのですが、今年は新コロ騒動で11月

に変更。11月最終土曜日とすでに冬に片足を踏み入れるような時期でし

たが、暑からず寒からずでちょうどよかったかも。

 

伊勢奥津でレンタサイクルを借りたとたん雨が降り出す始末(T_T)。

当日は冬型の天気なんで雨はないなぁとおもっていたんですが、山の

天気は読めず。しばらく待っても止みそうになかったんで、駅チカのか

わせみ庵でお弁当を購入しいただきました。食堂というよりテイクアウ

トのお店のやうでしたが、お茶にコーヒーまで入れていただき庵主様

には感謝感謝でした。

 

雨宿りしばらく、雨の合間を見計らい一気に多気の里へ。こちらも

のんびりとした山村の変わらぬ景色でしたが、変化といえば資料館の

館長さんが変わってたことかな(^_^;)。あとなんと昼の予定

であった雪姫亭がなんと休業。新コロの影響!?

かわせみ庵でお昼をすまして大正解でした。

 

道の駅、ようかんの東屋、雪姫大明神、六田御所跡、そして北畠

神社を参拝。庭園のもみじもやや散りがちでしたがそれでも綺麗でした。

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また神社東の旧保育園跡でこんなものも見つけました。

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今までぜんぜん気づきませんでしたが、これが発見できたのもポケストップ

さまさまです(^o^)。

 

霧山城跡でもちょとした変化が。新たな看板が1つだけ建ってる(・o・)。

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森林セラピー流行ってるのかねぇ(^_^;)。

 

そんなこんなで、ちょこっとした変化が発見できた本年の講でした。

また来年。

 

 

 

 

 

2020年12月 8日 (火)

三瀬館02と笠木館跡

本年も恒例の行事。1年ぶりですが、三瀬谷の景色は変わりませんね。

ほっとします(^o^)。

胴塚の法要は、今年はまだのようで卒塔婆は去年のままでした。

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まずは合掌、南無寂光院殿心祖不智大居士。。。

  

川を挟んだ三瀬館跡のもみじは、残念ながらちょい散ってましたが、

それでも綺麗。京都などの観光地と違ってこちらは独り占めできる

贅沢が素晴らしい(^_^;)。

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他にも定例の三瀬砦や北畠神社も参拝し、駅前の大黒屋さんでランチを

いただきました。こちらも相変わらず美味し!

列車まで待ち時間があったんで道の駅に足を伸ばしたところ、なんと

真裏に建設中の建物を発見!

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なんじゃこりは?と、よくよく看板をみたら( ゚д゚)ハッ!

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大台町にもマリオットができる時代ですかぁ!凄いぞ!あとから、よくよく

調べたら、道の駅とコラボしている地方版のマリオットみたく、近くだと大

河原やら天理にもできるみたいです。これは知らなんだ。完成したら一度泊

まってみたいもんですわ。さて三瀬谷はこれでお仕舞い。また来年!

紀勢線と参宮線を乗り継ぎ、外城田駅で下車。こちらは初めてです。

 

住宅地の田んぼの境を歩くこと20分。目の前にあるこんもりとした山が笠木館

跡です。

笠木館は北畠氏一族の坂内氏の居館で、永禄12(1569)年の大河内城の戦いで

開城した北畠具教・具房父子が退去したことで著名な館です。まあ北畠マニア

しかしらないかぁ。

 

館跡へは南側の住宅脇から登城できます。入り口にはちゃんと説明板もあります。

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ネットの記事によるとなかなか登城困難ということで、今まで後回しになっ

ていたんですが、さてなにが困難なのか!って、それはすぐにわかります。

 

一歩城内に入ると一面竹林に覆われますが、倒竹が凄い!進めど進め竹が

通を塞ぎ散乱している・・・٩(′д‵)۶。ここまで荒れてるのはあんまいなぁ。

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縄張図(『三重の山城ベスト50を歩く』に収載)を見ながら恐る恐る進みます。

正直、何がなんだかわかりませんが、御所跡碑だけはポケストップになってること

もあり、なんとかみつけました。ありがとうPokemon GO!

 

資料によると郭は40☓50m相当の方形の多数の郭が、土塁などで仕切られる特異な

構造。その数はなんと40近くあるのだとか。また館内には井戸が22もあるさう。

故にお城の周りはこんな看板が多数ありました。

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まずは城址碑から東側を探索。真っ直ぐに伸びる道を進むと途中、右手にコン

クリの枠のある井戸があります。それを越えると同じく右手に虎口らしきものを

発見しました。

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まんなかの凹みが虎口かな。しかしこれ以上は進めなささうなんで

前進を断念。石碑まで戻り、今度は南側の主郭部に登ります。こちらも

当然竹だらけ。井戸に気をつけながら慎重に進むとL字型の空堀らし

き遺構を見つけることができました。

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井戸も見たかったんですが、なんせ足元は落ち葉でよくわからず、危険一杯。

落ちでもしたら大変なんでここで退却です。

次に石碑から西に進むと畑に抜けることができました。かつては三重堀で館外と

仕切られていたようですが、現在は消滅していました。

 

館内探索はこれくらいにし、外縁を散歩。西側から北側を進むと再び館跡には

いる導入路を発見。折角なんで、こちらにも分け入ってみると先程の石碑の近く

に到達するだけで特に新たな発見らしきものはなかったですね。

発掘調査をしてきちんと整備すればそれなりにものになるんでしょうがね。

 

2020年8月26日 (水)

二見から伊勢南朝遺阯めぐり

7月最後の水曜日は夏休みを利用し、勢州へ。伊勢市駅から参宮線に乗り換え、二見浦駅に

とうちゃこ。二見はほんま久々です。二十年ぶりくらい!?

駅前からは商店街が続きます。途中こんなお店も。

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御福餅の本店!一つ飛ばしで赤福もありましたね。建物は伊勢独特の切妻妻入りの

杉板で作られた独特な外観が印象的。他にも周囲には多数の昔風の旅館など、まる

で昭和にタイムスリップした感じで、なんか落ち着く。

 

そして商店街の終点にあるのがこちら二見興玉神社。

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もとは倭姫命が天照大神を奉戴してこちらに訪れた際、祭神猿田彦大神ゆかりの

興玉神石を拝んださう。興玉神石は海中に没したようですが、その鳥居にあたる

夫婦岩は有名。

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こんな御時世ですが、こちらはさすがにそれなりの参拝客で賑わっていましたね。

この社は神宮を参拝する前に海水で禊をする場でもあったようで、浜参宮と言われた

さうです。

 

さて興玉神社の手前にこんな施設も。

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賓日館とよばれ明治20年に参宮するための賓客を饗すために神宮の崇敬団体神苑会

により建てられたさう。訪問者もそうそうたるメンバー。

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皇族の方の他にも多数の政治家や文化人も利用し、館内には多くのサインが展示さ

れてました。建物の造りも一流。大広間は桃山様式の折上格天井で、天井紙は

押出されたものに彩色し、金箔も施されていました。

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御殿の間は二重格天井。こちらでは昭和60年王将戦が行われたさう。

そのうち藤井聡太二冠も来はるかもしれませんな。

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とりあえずちょっとした調度もゴージャスで見どころつきませんでした。

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見学者が少なかったのは意外。ええ建物やのにこれを見ずして帰るのはちと

もったないなぞ。さて駅まで戻って気がついたんやが、駅舎は夫婦岩模してたん

ですね。今更気付いた(^_^;)。

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再び参宮線で伊勢市駅へ。駅前の山口屋で伊勢名物を食します。

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好みは分かれるやうですが、拙子はすきやなぁ。お出しも意外と飲めます。

 

伊勢市駅から三交バス乗り向かったのは大湊。中世は神宮の外港として繁栄。当時は大層な

賑わいだったやうです。こちらは延元3(1338)年、義良親王と北畠親房卿らが東国を目指

し出向したことでも有名。現在は石碑が残るのみですが、北畠フリークとしては外せない場

所なんで来た次第です。

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石碑の北側には鷲が浜が広がります。天気が良ければ知多半島や富士山まで

見えるとか(・・)!ちなみに砂浜の白いのは貝殻です。

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かつては有徳人が多くいたやうで、寄進された大仏などもあり、大湊の凄さを

つくづく感じました。

また、浜から近くにはこんなものも。海なし県の人間としては新鮮。

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バスで再び宇治山田駅まで戻り、今回の最後の目的地へ。駅から東に歩くこと10分で

光明寺にとうちゃこです。南朝遺阯の1つ。

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こちらは臨済宗の寺院で恵観が南北朝時代に中興。恵観は南朝方として

活躍したことから南朝ゆかりの遺物がたくさん保管されています。

境内には結城宗広のお墓も。

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ここに宗広のお墓があるのは恵観が宗広の子であったゆえとも言われます。ちなみに津の

結城神社にもお墓はあります。一番右のが宗広のお墓ださう。

 

さて本日の予定をすべて終え、宇治山田から伊勢のまちををぶらぶら。最後は赤福で赤福餅

を食し、帰還した次第。まだまだ再発見がある伊勢の奥深さを、改めて体感した次第です。

次回は河崎に行ってみよう!

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月15日 (日)

風雲大河内城!

土曜日は近鉄の株主優待を利用し、松阪へ。駅前の観光協会でレンタサイクルを借り

一路阪内川沿いに南西へ。国道166をぶっ飛ばすこと25分で桂瀬にとうちゃこです。

 

こちらには永禄12年信長が大河内城を攻めた際、「本陣とは当方桂瀬山なり」と勢州軍記

にあるよう本陣を置いたところ。

桂瀬山は茶臼山とも言われ、桂瀬町の交差点を松阪方面から左折し、橋を渡ったすぐ左手に

入口があります。田んぼのへニョキッと伸びる坂道がさう。多少わかりにくいですが、

右手にちっちゃく見える「茶臼山」と書かれたズッコケ看板が目印。

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坂道を歩くことすぐに山中に。遊歩道として整備されていたようですが

今は荒れ放題(^_^;)。倒木はあるわ、草は茂るわで進むのだけでも大変。

冬でほんま良かった!

しばらく行くと左手に輓場と書かれた平坦地があります。馬場のことかな!?

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更に行くと今度は右手に看板。ここまで5分程度です。

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右から読みます(^_^;)!

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はじめは正面に見える山が大河内城かと思ってましたが、あとからチャリで

大河内城に向かってる際、違う山であることが判明。城はもっと左でちょう

ど木で隠れているあたりです。

 

さらに藪分けし進むことしばらく、平坦地にとうちゃこ。こちらの奥には信長

の腰掛け岩がありました。まあこれが見たいがために来たんですがねぇ。

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ホントに腰掛けたかどうかはわかりませんが、こちらも少々汗もかいたんで、

岩に腰掛け、お茶を飲んで一服。麓から結構歩いたつもりでしたが、

時計をみたらわずか10分しかたっていませんでした。道が悪かったさかい、遠く

感じたのかもしれません!?

 

さて麓まで下り、再びチャリンコで阪内川沿いを上流方面に進みます。次は

北畠氏側の大河内城へ。

再び166を進むこと5分ちょいで大河内公民館に。こちらでは資料をゲット。

公民館は閉まってましたが、前のフェンスには資料がフォルダに入れられており、

ゲット!

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大河内城は4回目ですが、以前来たときにはなかった看板が所々に設置され

ており、見学しやすい環境が整備されていました。

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いただいた地図とこの看板を頼りに進めばもれなく遺構を見学できると

いうわけ。

 

では、大手道から登っていきませう。

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谷筋を登りますが、ほんとにこのルートが大手道だったかは不明。

坂を登りきると郭に入りますが、その際、虎口も無いですしね。

曲輪内を直進すると右手に鳥居と広大な広場が見えてきます。こち

らは二の丸と伝えられるところで、現在は果樹園となっています。

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鳥居をくぐりぬけ、更に進むと右手に馬場跡と呼ばれる平坦地も。また正面には

本丸と呼ばれる曲輪の切岸も見えます。

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本丸には現在稲荷神社が建立され土塁などの遺構らしものは、残念ながら見当

たりませんが、大河内合戦四百年記念碑があります。

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また城内各所には地元の小学生が作った郷土愛に溢れた絵馬が多数ありました。

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本丸の更に奥には大きな堀切があり、その先に西の丸があります。堀切の下

に広がる谷はまむし谷と言われ、攻城する滝川一益らがこちらで大打撃を

受けた現場でもあります。

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西の丸にもお社が祀られていました。標高はこちらのほうがやや

高いようですが、広さからもやはり先程の曲輪が本丸なんでせう。

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西の丸の北側には帯曲輪が広がり、その先端には大きな堀切もありました。

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鳥居まで戻り、右手に進むと搦手口(龍蔵庵口)にとうちゃこ。南に伸びる

尾根筋上にも曲輪があるようですが、残念ながら藪がひどく見学することは

断念。曲輪群は現在紀勢道が走っているところまであり、紀勢道の位置に堀切が

あり、城の南端であったようです。となると大河内城はかなり広大な城域を有して

いたということですね。発掘調査を実施し、その全貌が明らかにしてほしいぞ。

 

チャリンコで市内まで戻り、地元で有名な中華そばの店、不二屋で遅めの昼食。

2時過ぎでしたが、その後も入ってくる人もちらほら。人気店のようです。

名物のやきそばを注文。

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やきそばと言っても長崎の皿うどんみたいな感じでした。東海圏の

お店にしてはやや薄口でしたが、まあまあ美味しかったです。

次回は中華そばにしてみよう。その後はチャリンコの機動力を活かし、

マームなどに立ち寄り松阪を満喫した次第です。

 

2019年11月24日 (日)

三瀬詣-令和元年-

めぐりめぐってこの季節。今年は23日に参拝させていただきました。なかなか

JUST御命日には行けませんわ。お仕事あるしなぁ。

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血染めの紅葉の色づきはピカイチでした。12月になると葉が落ちちゃう

し早すぎると青いしなかなか難しいっす。

なんと胴塚では今年もお墓をお手入れ中のご住職と遭遇。色々と貴重なお話も聞

かせていただき感謝です。さてお墓参りを済ませ、三瀬を散策。永徳寺さんや三瀬

砦などへも例年通りあしをのばしました。

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駅まで戻り、ランランランチはいつもどおりの駅前の大黒屋さんで。

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今年はサンマの開きとカキフライ。これで880円は価値あり。お魚も

旨しです。三瀬を満喫し、三瀬谷駅から悪名高きキハ25で津へ。

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↑こちらは往路の多気にて。きれくて快適なんやが、ロングシートはなんとか

ならんかぁ(^_^;)。

 

津駅から北西に歩くこと約15分。けふ第2の目的地の三重県立博物館にとうちゃこ。

特別展として「三重の仏像」が開催されていました。

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白鳳時代から江戸時代までの三重県内にある仏像の数々が展示。まあ奈良人なんで仏像は奈良

博などで山程見ている訳やが、北畠氏ゆかりのものはないかと思いつつ見学。とりあえず、

 

18 県指定 薬師如来坐像 松阪市 薬師寺

 

茶筅丸は大河内に入る前に薬師寺に居たので、もしかしたらこちらのご本尊を拝んだのかもしれ

ません。直接的なものはそんなところかな!?

あと北畠氏ゆかりではありませんが、

 

53 国指定 如来坐像 伊賀市 新大仏寺

 

こちらは以前から拝観したかったんでテンションあがりました。快慶作(頭部)の5mもある丈六

仏です。どうやって運んだのか不思議です( ゚д゚)ハッ!

他にも色々と興味深い像が多数。1000円と少々高かったけどまあ意外と楽しめたかも~。

  

博物館のあとは県立図書館へも。こちらは北畠関連資料の宝庫ですからね。しかし、ここでショッキン

グな出来事が・・・。図書館のエントランス前になんと博物館の100円割引チケットが( ゚д゚)ハッ!

先にこちらよればよかったよ~ヽ(`Д´#)ノ。

まあそれはさておき(^_^;)、地域資料室で貴重な関連資料を複写。まだまだ見たい資料もあったけど、

時間切れ。今度、ゆっくり調べ物にきたいですな。

  

バスで津駅にもどり、ドトールで一服。それにしてもスティックシューはうまかった!帰りも近鉄急行を

乗り継ぎ奈良に帰着。北畠色に満ちた実りの多い1日でした~。

 

2019年11月17日 (日)

福山・鞆の浦紀行

土曜日は思い立って福山へ。まずは駅の北にある福山城址から

スタートです。

城は駅に近接してることもあり、新幹線ホームからが一番良く見えます。

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伏見櫓に筋鉄御門に、復元天守。右に目をやれば復元湯殿や月見櫓も

一望できます。

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では実際、城址公園に行ってみませう。まずは眼前に伏見櫓がどーんと

鎮座。柱や長押などが表面に見える総塗籠と古風な造りで伏見城からの移

築といわれています。

その対面には筋鉄御門も。こちらも同様の造りで伏見櫓から。

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本丸に入るとお城としては珍しい鐘櫓もありました。

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天守は今回は時間の関係もありスルー。当日は工事の関係下なにかで、

3F以上はいけませんでしたし。

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真っ白で美しい現在の天守ですが、昔は搦手の防御として北面は鉄板で覆わ

れていたそうです。なんでも元の形に戻す計画もあるさうな。

  

さて本丸をあとに県立歴史博物館へ移動。今回のメインです。

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昨年度発見された 文書から足利義昭が北畠具房に宛てた御内書が展示。

ワンコーナーでで展示されている史料も1つだけでしたが、御内書の様式

について詳しく解説。御内書のイロハや義昭の具房に対する尊崇が感じら

れる文書であることがよくわかりました。

 

当日は企画展として「戦国の争乱から太平の世へ」も開催。こちらも

毛利博物館の元就像や輝元像を拝見することができるなど見どころ

満載でしたね。

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ランチは駅前のともんちゃにて。癖になる今までに食べたことのない、繊細な

味にげきか~んした次第です。

 

さて昼から部は鞆鉄バスで鞆の浦へ。こちらははじめてです!バスに揺られること

30分でとうちゃこ。

絶景かな~(@医王寺)。

鞆の魅力は島嶼景色だけではありません。町並みも美しい。

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江戸から明治期の雰囲気がよく残っており、観光客もいっぱいでした。

中でも重要文化財にも指定されている太田家住宅は白眉。鞆名産の保命酒

の開発元で、福山藩の御用酒屋となり栄えたさうです。鞆の名士

だったことから、文久3(1863)年の八月十八日の政変では京を追われた

三条実美らの七卿が投錨したことでも有名です。

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豪勢な造りは一目瞭然ですが、瓦と漆喰をつかった市松模様のたたきや木と竹を組んだ網

代天井など細工が凄い。さらには手が届かない高窓を縄一本で開閉する縄などなど実用的な

面も。ボラガの人に細かいを色々教えていたえだき大変興味深かったです。

 

また鞆は義昭が幕府を置いたり、いろは丸事件で竜馬が紀州藩と交渉した地が鞆ということも

あり、国史レベルで有名な観光スポットも多数です。

こちらは義昭が幕府を置いた鞆城址の石垣。

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鞆一の景勝地とも言われる對潮楼は、竜馬が紀州藩と談判した会場ですね。

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そもそも對潮楼は福禅寺の客殿で、隣には本尊が祀られていました。

こちらは朝鮮通信使の宿にもなっていたようで、通信使はこの景色を

「日東第一景勝」と称したようです。

 

他にも鞆の鎮守として沼名前神社が鎮座。国幣小社と格式もなかなかです。

祭神は大綿津見命と須佐之男命。仲哀天皇の御代に神功皇后が西国下向の

際に鞆に立ち寄り、大綿津見命を祀られ航路の安全を祈られたことがはじま

りの古社です。

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境内には伏見城から移築された能舞台も。こちらは重文指定を受けています。

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国幣小社ということで御朱印もゲット!

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朱印には鞆の浦の名前ゆかりの鞆のデザインが。鞆とはウィキペディア

によると

「弓を射る時に左手首の内側につけて、を放ったあと弓のが腕や

に当たるのを防ぐ道具」とのことです。

 

神社近くには安国寺もありました。

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尊氏が全国に建立した安国寺の備後版ですね。内部には善光寺式阿

弥陀三尊がお祀りされていました。阿弥陀様は1.7mもある巨大な

もので重文指定。像を安置している釈迦堂も鎌倉時代で唐様建築と

しては最古に属するもので見応えたっぷりです。寺は室町時代に荒

廃しますが、毛利の安国寺恵瓊が再興したよう。

また戦国ゆかりでは山中鹿介の首塚もすぐ近くにあるなど、戦国ファン

にはたまりません。

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歴史に溢れ、風光明媚な鞆を満喫、再び鞆鉄バスで駅まで戻り、帰路は在来線

で福山駅を出発。

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往路の新幹線より、2時間半近く余計にかかりましたが、117系に115系、

223系といずれも二人がけシートでゆっくり帰れましたね。

また遊びに来たいぞ、福山!