尾張紀行












広峯社の参拝を終え、姫路市街へ。街の中はほんまえらい人。真っ白に生まれ変わっ
た白鷺城の集客力恐るべし!国宝かつ世界遺産の二冠は伊達じゃない!
ゼブラというアフリカ料理屋でランチ。こちらでいただいた冷製スープがナイスでした。
姫路の街も地下街ができていたり、駅が高架になり駅ビルが整備されているなど、お城
とともにこちらも生まれ変わっていたのにはびっくりでした。なんか柄があまりよろしく
ない街からオシャンティな街に(@_@;)!
再び車で書写方面に移動。けふの最終目的地白鳥城へ。姫路には白鷺の城もあれば
白鳥の城もあるのだぁm9っ`Д´) ビシッ!!
車で20分弱、白鳥城に到着。
実はこちら太陽福祉グループという法人が整備した障害者の就労施設でもあり、
太陽公園として広く知られている。窓口で入場券を買い、ケーブルカーでお城へ。
こちらの城はドイツのノイシュヴァンシュタイン城をモデルにしたもの。ただその立派さに
圧巻されます。反面内部はちとホテル風かな(^O^)。
てっぺんには玉座の間!?もありました。
他のフロアの多くはトリックアート展が開催。ちとこちらは飽きたかな~(^_^;)。子どもの
連れの家族は楽しいかもしれんが、いい年した大人ばかりで行った我々としては。
太陽公園は白鳥城だけではなく、まだまだあります。白鳥城を降り、歩くこと5分程度で
再びゲートをくぐるとパリの名所も。
ちと、いやかなり違いますが、間違いなくフランス国旗があがってましたから(^_^;)。
更に進むと、世界各地の石の名所!
そして支那名所も。崩れた兵馬俑まで再現するところが凄い!
最後の最後には、天安門広場が!といっても規模はかなりちっちゃいものです。
世界を震撼させたあの事件が起こる前につくったんでせうが、えらい中華趣味ですな。
反面、石とも支那とも違う異色の名所も。
五百羅漢の上にある堂宇が鶏足寺で、もとは峰相山にあった寺院ですが、秀吉の中国
征伐で焼き討ちされた歴史をもつもの。寺は焼失し、その歴史に一度ピリオドをうちま
したが400年の年月を経てこの地に再興されたとのこと。
和尚か寺男は知りませんが、「うちは本物」というのが笑えました(^O^)。あと「おみくじ
発祥」とも行ってたな~。
まだまだ紹介するところは山ほどありますが、つきませんのでこれくらいに^^;。予想以
上のワンダーっぷりにお腹もくちくなったので本日はこれまで。山陽道に乗り、白鷺と
白鳥の街に別れを告げました~。
4日は京都そして5日は愛知へ。名古屋までは近鉄の急行で向いましたが、中川から
がしんどいですね。あそこから70分は5200系でもちとキツイ。それなりに車内も混んで
いますから。すでにかなりくたびれながらも10:30前に名古屋に到着。大曽根で大学時
代の友人と落ちあい、車でいざ出発です。
けふの予定は日間賀島でタコを食べ、帰りは野間大坊に参拝するというプランニング
でしたが、GWのためか道は混み、日間賀島の渡船港のある師崎へはまだまだ時間が
かかりさう(^_^;)。朝早かったため、既にお腹はペコペコ。とてもじゃないけど日間賀島
まではもたぬ~ということで島は早々に放棄。野間大坊をメインに、常滑に立ち寄るこ
とにしました。
常滑市街に入るとなんか駐車場は大混雑。また多くの観光客らしき人が多数歩いて
います。常滑焼は知ってましたが、この街がこのやうな観光地とはつゆ知りません
でした。なんとか駐車場に車をとめ、取り敢えずはオシャンティなレストランでお腹を
満たしました。
町を歩いてみると壁面に焼酎瓶や土管を埋め込んだ土管坂など確かに見所が多い!
一帯はやきもの散歩道として整備され、その所々に黒塗りの旧家や煉瓦造りの窯と
煙突がある風景が広がり、実に味わいがあります。
また散歩道には隠れ家的なギャラリーやカフェーがあるなど見るだけでなく、買ったり
味わったりとある意味観光地として完成されていましたね。
ただ町並み整備はちと中途半端な感じでもう少し統一感をもって整備すればもっと
風情があったのに。また常滑はINAX発祥の地でもあり、もち施設のトイレは
INAX製でしたわ。
さてそもそも常滑にわざわざ立ち寄ったのは実はこちらを見学するため。
その名もとこちゃん。旅のバイブル、ワンダージャパンの表紙にもなったスポットです。
これが見たかったのだぁ!
常滑は招き猫の産地で二頭身のふっくらした体つきに小判をもつのが特徴らしい。
招き猫の典型が常滑にあったんですなぁ。
とこにゃんの右前には二匹のねこちゃんがとこにゃんを眺めていました。さらに
とこにゃんの裏に回れば・・・(@_@;)ハッ!
薄っぺら(^_^;)。とこにゃんも常滑の町を十分に堪能したところで、いざ野間大坊へ。
国道も途中から片道1車線になり町並みも途切れ田舎に突入。美浜町に入ってまもな
く野間大坊こと大御堂寺に到着です。
創建は天武朝と言われ、行基が中興。平安時代には白河天皇の勅願寺になるなど
かつてはかなりの寺勢を誇った名刹です。
客殿は伏見城の一部を寛永年間に移築したもので本尊は延命地蔵菩薩とのこと。
境内は広く悠紀殿や尾張地方最古の鐘を持つ鐘楼堂もあります。
そしてその隣りに建つのが宝暦4(1754)年に再建された本堂。
本堂入り口のの脇に「源」の幟がみえるやうにこちらは源氏縁の地。
というのもこのお寺には鎌倉初代将軍源頼朝の父君、源義朝のお墓が有るのです!
平治の乱で敗れた義朝は敗走中、家人であった長田忠知の居館に入りますが、入浴中
その裏切りにあい、殺害されています。なお殺害された際、木刀の一本でもあればこ
のやうにむざむざ殺されることはなかったと伝承されたことから、現在お墓には木太
刀が多数奉納されていました。また脇には織田信孝のお墓も。
信孝は賤ヶ岳の戦いにより、盟友の柴田勝家が死去したことにより、次兄の信雄に
降りますが、進退を迫られ迫られて塔頭の1つ南之坊(現安養院)で自刃。その辞
世は「昔より主うつみの野間なれば報いを待てや羽柴筑前」!
昔より主うつみの野間とは義朝のことを言っているわけです。義朝、信孝二人の
怨念が渦巻く野間大坊でありました。帰りには安養院にも参拝。
信孝の恨みから四百数十年、境内はひっそりし、リアル猫ちゃん納経所の番をする
など太平の時代に生まれてほんとよかったと平和な現在に感謝した次第です。
締めは友人と徳川園近くの清月で鰻をいただきましたがこれが絶品!名古屋はひつ
まぶしもさうですが鰻のレベルは高いですね。タコは食べれなかったけど、美味しい鰻
に舌鼓をうつことができたので満足。また猫狂としては色々なかわいい猫ちゃんに
出会えたのもよかったぁ。帰りは特急で悠々とかえりました~。
和歌山にラピュタの島があるとうことで久々の紀州路へ。和歌山と淡路島の間、
紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島こそが、その島。島へは和歌山の加太から渡ります。
渡海する前に、まずは港のある加太の鎮守淡嶋神社へ。
訪れた当日がまだ4月半ばとうことで八重桜が美しい。青空に拝殿の朱、そして桜の
ピンクと実に鮮やか。この神社は少彦名命を祭神とし、一般的には人形供養で有名な
お社。だから拝殿の周りもこのとおり。
人形はちゃんとジャンルごとに分類されておかれています。また安産、子宝を授けで
有名な末社の内部にはチンマン系の奉納品が多数!
その数半端無いっす!他にも不気味なカエルちゃんなど、なんかんやワンダー要素
満載の淡嶋神社に後ろ髪をひかれながらも、船の時間があるため門前で軽くランチを
取り、加太港へ急行。20分の渡海の末辿り着いた島は、無人島といいながらもたくさん
の観光客であふれる一大観光スポットでしたΣ(゚д゚;)。
港でもらった地図を片手に島内巡りを開始。
最初に目指したのが友ヶ島一番のスポットである第三砲台。取り敢えずは山道を登って
いくのですが、いきなりこのやうな塀があらわれ何気にくぐると・・・。
廃墟化したスポットが突如現れたりしますから油断できません!
まもなく到着した第3砲台は案の定、観光客の人だらけ^^;。人を立ち去るのをまって
写真を取るのですが、次から次へと人が来るのでなかなか大変です。
第3砲台は明治25年に竣工したもので、明治政府が紀淡海峡防備のために建設。古び
た煉瓦の色に歴史が感じられます。またこちらはゲーム、ディスクリムゾンのOPにも
使われた有名なスポットです。「せっかくだから俺はこの赤の扉を選ぶぜ」じゃないけど、
せっかくだから弾薬支庫の中に入るとこんな感じ。
内部はつながっているんですね。また4台ある砲座部分も立体的にトンネルでつな
がっており、懐中電灯で胴内を照らすと意外な道がひらけたりして、気分は正にドラク
エ!
大砲を設置する砲座跡は水がたまり、なんとも神秘的の一言。まさにラピュタの島です
よ。
第二砲台跡は破壊され、よりラピュタ感が強かったですね。シータとパズーの「バルス」
の呪文がどこからともなく聞こえたとか聞こえなかったとか(^-^;。
島の西に建つ友ヶ島灯台は明治23年に移設されたもので、こちらは廃墟化せず今でも
現役のやうでした。
他にも島内には多数の廃墟が点在し、3時間の見学時間を取りましたが、全然たり
なかったですねぇ。行きたい場所がまだまだあったのに~_| ̄|○。
帰りの船には山伏の格好をした人も多数。ラピュタのコスプレならともかく何故に
修験道と思っていたらこちらは、役小角ゆかりの島だったやうで^^;。
大自然に廃墟、非現実が有る島!今度は人の少ない平日にでも1日かけてゆっくり
見学したいかな~。
難波から市バスで40分。平野へ。バス停から目的地まではバス通沿いを歩きますが、
平野の町は虫籠窓のある町家などなかなか味わいのある町並みが続きます。あとか
らわかったのですが、平野は大東亜戦の空襲を免れたやうでこのやうなレトロな町並
みが今に伝わっているさうです。
これまた香ばしいアーケード商店街を歩いているとワンダー味あふれる看板が!
さうこの看板のある寺こそが今回の目的地、全興寺です。こちらは聖徳太子が小宇を
建て薬師如来像を安置したことに起源をもつ由緒ある寺院で、その後、周りに次第に
町が整備されやうで平野の町のもとともなったお寺です。
本堂も万治4(1661)年に再建された歴史を感じさせるもの。しかし、このお寺の凄い
ところはここから。入り口の看板にもあったやうにこのお寺では死後の世界が体感
できるのです。
こちらでは地獄が体感できます(^O^)。入り口には極楽度、地獄度がチェックできる機
械も。
因みに私は極楽行き資格ありとのことでした(^_^;)。結果が読み上がられるので、周りに
他の人がいるとちと恥ずかしいかもw。建物の中には地獄が再現されていました。
銅鑼を叩くと右の浄ハリの鏡にちびっ子ならちびりさうな実に恐ろしい映像が再生される
仕組みです。地獄って恐ろしいぞな(((( ;゚д゚))))アワワワワ。
境内には地獄だけではなく、ちゃんとほとけのくにもありました。
ほかにもわんにゃん堂や仏足石、地獄の釜の音が聞こえる穴も。
拙子はあまり聞こえませんでしたがね~。どうも地獄には縁がないやうです(^O^)。
また小さな駄菓子屋さん博物館なるものも。とにかくロハで色々楽しめるお寺ですね。
実際ボーイスカウトの子どもたちやスコットランドからの視察団らしき一団(^_^;)で
境内は賑わっていました。わざわざ難波から時間をついてやして来た甲斐があったっ
てもんです。
さて全興寺から北に歩くこと10分ちょっとで杭全神社に到着。平安時代はじめに起源
をもつ古社で、春日造の社殿は室町時代に造られた府下最古の建造物で重要文化
財にも指定されています。
こちらもある意味ワンダー要素のある神社で有名。そのわけがズバリこちら(@_@;)。
公孫樹の木ですが、下に向いてたれさがる幹の一部がまさに桑原和男(^O^)!垂乳根
の木でおちちの神様として信心される樹齢700年の神木です。
男性である私にはあまり関係ないかもしれませんが、いいもの見せてもらいました。
個人的にはツンと上を向いた張りのある若い方が好きですがね~(´∀`*)ウフフ。
おしまい。
最近のコメント