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2023年6月 4日 (日)

初めての飛騨路探訪

岐阜観光の翌日は学生時代の友人と岐阜駅で合流し、車で出陣!

地道を行くことちょいの岐阜各務原ICから東海北陸道に乗り、ひたすら

北進します。今回の目的地は飛騨高山。言わずとしれた観光地ですが、岐

阜市からはなんと120キロもあり、進めど進めどなかなか到着しない^^;。

 

飛騨清見ICで東海北陸道から高山清見道路に乗り換えると、前方には

雪を被った乗鞍連峰がドーンと現れ、えらいとこまできたなぁと実感。

終点の高山ICからまもなく高山市街にとうちゃこです。

 

まずは本町通の市営駐車場に車をとめ、一番の見所である高山陣屋へ。

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戦国時代後半、高山一帯は姉小路(三木)氏の領地でしたが、姉小路頼綱が

佐々成政と同盟していたことから秀吉の家臣金森長近に攻められ飛騨国主の

座を追われました。長近は姉小路氏の松倉城を廃し、新たに高山城を築き、

城下町を整備、これが今日の高山の町につながります。

しかし金森氏も6代で出羽に転封され、天領となると高山城は廃され、新たな

政庁となったのが高山陣屋です。陣屋には明治維新まで176年に25代の代官・

郡代が江戸から派遣されたさう。陣屋は金森氏の下屋敷を転用し、現在に残る表

門、門番所、御役宅は天保年間(1830~1840)に再建された貴重な遺構で、

国史跡にも指定されています。

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館内は流石に御役所ということで、豪華絢爛な感じではありませんが、

時代劇の世界が広がります。今にも柱の陰から主水さん、出てきそう!

また陣屋は行政だけではなく、警察や司法も司っていたことから、お

白洲もあったりして。こちらは金さんか^^;。

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代官のプライベート空間にあたる役宅部分は平成に復元されたもの。

江戸時代としては珍しい3階建になっていたり、独特の建築となって

いました。

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最後に見学した御蔵は元禄8(1695)年、高山城三ノ丸から移築され

た最古の建物で年貢米が保管されていたところ。内部は高山陣屋の歴

史に関する展示もあり、興味はつきませんでしたね。

  

さて陣屋をじっくり見学したあとは、こちらも高山観光の王道

である三町伝統的建造物群保存地区を散策。こちらは、ほんま

観光客でどえらい人でした。

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茶房や酒造場など、オシャンティなお店も多く、観光地として完成し

ており、伊勢のおはらい町のような感じかな。

賑わう通りをしばらく行き、安川通にある匠屋安川店で牛まぶしのラ

ンチをいただきました。2500円と少々お高めですが、それでもコスパ

高しです。

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お腹がいっぱいになったところで、さらに下二之町を歩くと

次の目的地である日下部民藝館と吉島家住宅が見えてきました。

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二件とも重要文化財に指定される商家建築で、どちらも見学した

かったのですが、今回は時間の都合もあり後者のみ見学。

 

吉島家住宅は天明4(1784)年から酒造業を営み、現在の建物は

明治40(1907)年に再建されたもの。中に入ると吹き抜け空間が

広がります。ヒノキ材の梁には漆が施され、ピカピカと輝きます。

さすが豪商のお店、贅を凝らしています。

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屋敷内には文庫蔵や折り曲げ天井をもつ中二階など、見どころは

尽きませんでした。

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吉島家住宅をあとにし、まだ通りの北側にも風情のある町並みが広が

りますが、さすがにここまで来ると観光客もまばらです。

櫻山八幡宮の鳥居から宮川を渡り、再び本町通の駐車場へ戻り、車

で最後に高山駅近くの飛騨国分寺を訪問。こちらは奈良時代に創建された

国分寺の1つです。

表門をくぐると正面には、鐘楼、大銀杏、その奥には重文の本堂が建ち並び

ます。

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右手には三重塔も聳えますが、かつては国分寺ということで、なん

と七重塔もあったさうな!

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他にも高山城跡や市政記念館など、まだまだ見たいところがあった

けど、高山はボリュームが有りすぎ、1日では見切れない。またゆっ

くりリベンジするということで、車は41号線を南下し、高山市をあと

にしました。で、とうちゃこしたのが、こちら。

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飛騨一宮水無神社です。社名のとおり飛騨国の一宮で国幣小社に列格。

祭神は大歳大神(水無神)で、他にも飛騨一円の神を奉斎します。

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境内には樹齢1000年のエドヒガンザクラや大杉も聳え、古社に相応し

い空気が漂います。

安永2(1773)年に起こった農民一揆である大原騒動の際には水無神

社で集会が行われたことから、神主2名が磔にされるということもあった

さうです。

拝殿からは本殿が拝めます。二礼二拍手一礼でお参り。

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最後に御朱印もいただきました。

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参拝を済ませ、再び41号を北上、高山市を通過し、飛騨市に突入。

古川よりまだ先の杉崎の集落へ。杉崎駅の東側に聳える安峰山の稜線に

ある小島城跡が今回の最終目的地です。

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城主の小島氏は京都より下向した公家姉小路氏が小島、古川、向小島の

三家に別れた一家で、史料からは師言、勝言、戦国末期には時光の名前

が確認できます。南飛騨の三木氏が勢力を伸ばし始めると、時光は三木

氏に従い家名を保ちますが、秀吉配下の金森長近が飛騨に攻め入ると姉

小路氏と共に滅ぼされたようです。

 

城へは徒歩でも車でも登れますが、今回は車で上まで行くことに。なお

徒歩の入山口はこんな感じ。

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安峰山を右手に見ながら県道75号線を進むと、城跡への案内看板が

所々にあります。それに従い車を走らせると城跡への入り口となる獣

害対策ゲートに到着。どうやら獣が山から里に降りないようにする

ゲートみたいですね。

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「通行止」となってますが、城跡までは行けます(令和5年4月末現在)。

ゲートを開閉し、山道を進むと途中、落石があったり、対向不可の場所も

あるなど、なかなか運転スキルが求められる道で、上級者向き。あと車道

はかなり遠回りなんで、なかなか着かず、不安になったりと。極めつけは

熊もいるのでご用心!

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車道どんつきの城跡入り口には数台ですが車も止められ、転回もこちらで

可能です。

さて、駐車場の直下にはいきなり大きな堀切が見えたりして、小島城の凄

さを実感。

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城の入り口方面に向き直ると、こちらはこちらでなかなか立派な櫓台

が見えます。土造りですが結構な高さがあり圧巻です。

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郭を進み中央部の主郭には東屋があり、内部には城跡の説明板があ

りますので、こちらで見学すべき遺構もばっちりチェックできます。

さらに進むと内枡形虎口と外郭には立派な石垣がありました。

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このように小島城は中世の小島氏時代の土の城と小島氏のあとに入った

金森氏時代の石の城と両時代の遺構を見学できるのが最大の魅力。金森

氏はかつての小島氏の威光に縋り小島城を改修し、高山に移るまでの一

時的な本拠としたのかもしれません。

 

虎口の先にはも郭が続くようですが、立入禁止のロープが張られていたた

め、断念しました。

雨もちょうどぱらぱら来たため、ここで撤収。山を慎重に下り、ゲー

トをピシャリ。再び41号、清見道路、東海北陸道で名古屋方面へ。

帰りは電車の時間の都合で尾張一宮で下ろしてもらい、JR、近鉄を乗

り継ぎ帰宅した次第です。

 

はじめての飛騨訪問。高山もそうですが、古川や神岡など、まだまだみ

たい観光地が山程残ってます。また折を見てゆっくり訪問したいかなと。

次は新型特急HC85で行くのもおつかなと思った次第です。

 

2023年5月 7日 (日)

ひさびさの岐阜市探訪

GW前半は近鉄の株主優待でまずは名古屋へ。さらに東海道線快速に乗り換え、

わずか2駅30分弱であっという間に今回の第1目的地である岐阜にとうちゃこ

です。岐阜訪問は10年ぶりくらいでしょうか!?とりあえず定番の駅前スポッ

トでパシャリ。

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黄金の織田信長公です。もともと井ノ口といった地名を岐阜に

改名し、現在につながる町の礎を築いたのが信長というわけ。

 

駅前からまずは長良橋通を歩きます。商店街にはこのようなタペス

トリーがかかり信長だけではなく、斎藤道三ゆかりの城下町である

こともアピール。信長が入る前の主が道三ですからね。

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商店街を暫く行くと左手に円徳寺がありました。こちらは織田氏ゆか

りの寺院。信長の父信秀が道三と戦い大敗した際の死者を祀った織田

塚が境内にあるほか、こちらの寺院門前で信長が楽市楽座を実施した

ことで知られます。また孫の秀信が岐阜落城後、当寺院で落飾し、

高野山に向かったなど織田氏とゆかり深いお寺です。

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寺院をあとに長良川通をさらに北上。左手に巨大なアーケード街

があらわれます。美川憲一の歌謡でも有名な柳ケ瀬です。

かつては東海でも屈指の商店街でしたが、今は残念ながら閑散とし、

仕舞屋もおおかったり。

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ももクロちゃんと引き合わせてくれた、やななもなんとなく

悲しげです。高島屋だけはどうにか健在でしたがね~。近くで

岐阜名物!?の中華そばを食し、さらに北上すると左手に巨大

なタワーが現れます。

岐阜市役所の新庁舎です。18階建で15と17に展望スペースもある

んでいざ登ってみれば、絶景なるかな!

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金華山山頂の岐阜城から長良川まで一望できました。また北に隣接して

みんなの森メディアコスモスがありますのでこちらも訪問。中には市立

図書館がありましたが、こちらもなかなかの造形でした。天井は東濃の

ひのきが波打ち、所々にグローブ状の屋根がぶら下がり、その中はコーナー

別に図書が展示されていました。

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さて長良橋通に戻り、東側の山麓にある立派な神社を参詣。伊奈波神社

です。美濃国三之宮で旧国幣小社。祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきい

りひこ)で垂仁天皇の皇子とされています。かつては金華山の中腹に

ありましたが、道三が稲葉山城を築城する際に現在地に遷座させました。

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岐阜の総産土神だけあり、参道も社殿も立派です。拝殿でしっかりと

お参りさせていただきました。

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御朱印もいただきました。

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神社前からは御鮨街道を北に向かいます。御鮨街道とは尾張藩が、長良

の鵜飼で取れた鮎を岐阜で熟れ鮨にし、熱田まで運んだ街道をいうさう

です。国道を右折し、まもなく常在寺がありました。こちらは斎藤家の

菩提所で絹本着色の斎藤道三像と斎藤義龍像は有名です。

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さらに近くには正法寺も。こちらは黄檗宗の寺院です。

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高さ20.5mの独特の外観をした本堂には13.7mと奈良の大仏より少し

小さな大釈迦如来像が鎮座。通称岐阜大仏と称され、天保3(1832)

年に完成したものです。一度拝観したことがあるので今回は時間の

関係上スルーしましたが、塑像漆箔という独特な造りで籠大仏とも言わ

れ、参拝する価値ありです。

 

そして正法寺の東隣には今回の最終目的地である岐阜公園が広がります。

まずは岐阜市歴史博物館へ。当日は、このような企画展が開催されてい

ました。

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岐阜の町は岐阜落城後、城は廃止され、新たな政治の拠点として築

かれたのが加納城です。城址は岐阜駅の東南にあり、中山道の53番

目の宿場町でもありました。現在は堀も埋められ本丸の石垣の一部

残すのみですっかり市街地に飲み込まれてしまいましたが、かつて

は三層櫓もあがる、それは立派なお城だったさうな。

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奥平氏や安藤氏など歴代城主にまつわる遺物などいろいろ展示され

ており、大変勉強になりました。2Fにある常設展示も見学し、い

よいよ金華山頂を目指すべく、ロープーウェイに乗車!

 

標高329mまでの山頂まではわずか4分。ロープウェイ駅はすでに

岐阜城の郭内になってます。歩くことまもなくで一の門跡。

左の高台は太鼓櫓跡は、現在レストランになっています。

尾根伝いの細い郭を進むと、二の門付近には石垣が点在していました。

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上台所跡をこえ、少し下ると現在も水をたたえた井戸跡がありました。

岩盤を四角くくり抜いてできているとのこと!ちなみに岐阜城の岩盤

はチャートらしく、しかもチャートって非常に堅いらしい・・・。

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さらに進むと岐阜市のランドマークとなっている天守が眼前に見

えます。その途中の通路下には二段の石垣も見えます。信長の

入城後に作られたものだとか。

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現在の天守は昭和31年の再建。岐阜城天守は廃城後、加納城に移築

されとされ、加納城三層櫓の図面をもとに外観復元したものださう。

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内部は鉄筋コンクリート造で味気ないですが、最上階からの景色は

絶景でした。

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天守の東側には模擬隅櫓があり、館内に岐阜城資料館がありましたが、こ

れは完全なるおまけ。大河で使われた衣装やらもっくん道三の蝋人形があ

りました。

 

帰りは二段石垣下から切通の上、太鼓櫓ルートを戻り、ロープウェイ駅ま

で戻りました。リス園の先にもう1つ郭があったようですが、体力なく断

念です。再びロープウェイに乗り、山麓へ。山麓には信長の居館があり、

こちらも公園として整備されていました。

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かつてはこのような御殿があったさうですヮ(゚д゚)ォ!。

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そんなこんなで1日目の見学は終了。岐阜公園から清流ライナーと

いう連接バスに乗車。連接バスは初めてです。柳ケ瀬の停留所

でおり、本日のお宿であるウィークリー翔へ。お値段は2200円

と以前より少し値上がりしていましたが、問題なし。

テレビも冷蔵庫がなくてもね。当日は充電器のコンセントを持参し

忘れたので、晩飯の買い出しと合わせて市街を散策。岐阜駅前の

飲み屋街は異常なほどの混雑で大仰天でした。

 

お買い物も無事済ませ、ホテルに帰着し、就寝。夜中に響く電子

レンジの音が少々気になりましたが、なんせ2200円。コスパは

最高で1日目お仕舞です。

 

 

 

2022年5月25日 (水)

雲伯征伐2日目=米子・安来編=

2日目、天気は曇天。近畿以東は雨ということですがこちらも正直

微妙。朝はいつも通り早く目が覚めたので、コンビニで買った朝飯

を食らい、雨が降る前に宿のレンタサイクルを利用し、米子のまち

を朝駆け。

 

米子にはかつては出雲街道が通り、街は大いに賑わってたさう。

その名残をところどころの商店街にみることができましたが、今と

なってはどこも苦戦気味です。

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地方には珍しい高島屋も健在でしたが、周囲は閑散としており、なんでこんな

ところに百貨店があるのって感じ(*_*)。

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加茂川沿いにはチコットですが、風情のある蔵屋敷のある街並みも

残っていました。

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近くには重要文化財になっている後藤家住宅もあります。今でも

お住まいのため、内部は見学はできないので外から。

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江戸中期に建てられた海鮮問屋の屋敷だそうです。寺町も雰囲気が残っ

ていましたね。

 

さて、いったんホテルに戻りチェックアウト。ホテルの近くでこのよう

なものを発見!

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日ノ丸自動車法成寺鉄道線の客車。明治20年のイギリス製で四輪木製

三等客車としては現存最古ださう。だいぶ改修されているようですが

鉄道の街に相応しいものです。

 

歩くとしばらく本日第一の目的地にとうちゃこ。

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米子市立山陰歴史館です。明治5年に建築された旧米子市庁舎を利用し、

内部には米子市の歴史資料を展示。もちろん米子城に関する展示も。

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左は四重櫓に掲げられていた鯱とのこと。右は試作品です。

ダンボールで作られた天守と四重櫓の力作も!

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二階には弓浜絣や鉄道の町に関するテッチャンの大好きな資料も多数展示

されていました。ちなみにこの博物館。数年前までは冷房器具がなかった

さうです(^_^;)。

 

歴史館を出るとついに恐れていた雨がパラパラときましたので図書館へ

とりあえず避難。2Fの地域資料コーナーで米子城関連の資料を読み漁ります。

それでもまだ雨はやまず、すこし早いですが先にランチへ。

近くの米蔵というお米が売りのお店で大山ポークのランチをいただきました。

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五穀米も美味かったです。お腹もくちくなって外に出るとようやく雨があ

がり、いざ本日のメインディッシュの米子城跡へ。

 

米子城は応仁の乱の頃、山名氏の築城を起源とし、本格的な造成は秀吉の命

により月山富田に入った吉川広家によるもの。関ケ原の合戦後は、中村一

忠(一氏の子)が入り、慶長7(1602)年頃に完成したやうです。中村氏の

あとは、加藤氏、池田氏が入り、最終的には池田氏家老の荒尾成利が米子城

預かりとなり、11代を経て明治に至ります。

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現在駐車場となっているこちらはかつての三の丸。さて脇の枡形から登城し

ます。

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二の丸には小原家長屋門があります。だいぶくたびれているやう

ですが、かつて城下にあった荒尾氏の家臣小原家のものを移築。

米子に残る唯一の武家屋敷遺構として貴重な存在です。

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庭球場となっている二の丸の脇を通過し、山道をのぼると米子城

名物の登り石垣が現れます。本丸の遠見櫓までをつなぐ巨大なもの。

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防御は鉄壁です。さらに右にすすめば内膳丸跡へ。かつては二重櫓

数棟が設けられ武器庫となっていたやう。

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中村時代に横田内膳正が造ったことからこの名前になりました。さういや

朝方に訪れた寺町の妙興寺には内膳のお墓がありました。

再び道を戻り、さらに坂をのぼると番所跡に。正面には階段状に積み上が

る本丸石垣がどーんと広がります。一番上が天守台です。

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左手に回ると四重櫓の石垣と鉄門の虎口へ。

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虎口を抜けると本丸の郭にとうちゃこ。

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こちらからは市街地から中海も一望でき、米子城の地勢が一目瞭然。

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中海に面した御船手郭(深浦)の方に抜ける途中には水手御門跡もあり

ました。

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本丸をグルッと回り、御船手郭にもなにか遺構があるかしらと訪れ

てみましたが、特に見当たらず。その代わりにこのやうなものを

発見!

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入江選手も米子城址でもトレーニングしていたのかなぁ。

 

城址をあとにかつて内堀だった内堀通を歩き米子駅へ。ここからは

鈍行に乗り再び安来へ向かいます。

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米子発出雲市行きの列車は全線電化路線を走るにも関わらず、キハ47の気動

車です。国鉄DC好きとしては嬉しい限り。安来は隣駅です。

 

再びの安来駅から、この日は昨日と反対の海側へ。安来港を右手に眺めなが

ら歩くこと10分ちょいで本日のデザートにとうちゃこ。

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和鋼博物館です。中国山地の良質な真砂砂鉄を原材料にたたらで生産される

和鋼の博物館です。江戸時代後半には全国シェアの80%が出雲で生産された

とのこと。また先程通った安来港は和鋼の積み出し港でもありました。内部に

は模型などでたたら製鉄を紹介。

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まず土で炉を作り、砂鉄と木炭を30分ごとに入れ、横のフイゴから空気を送

ります。三日三晩寝ずにこの作業を続け、砂鉄を溶かすことで和鋼のもととな

鉧(ケラ)を作ります。なんとも気の遠くなるような地道な作業。しかも、

砂鉄10t、木炭12tでできるはわずか2.5tとのことです。

しかしこの製法による鉄は良質とのこと。の中でも特に良質のものは玉鋼

といい、最上級の日本刀の原材料となりました。その輝きは50年ももつさう!

明治になり西洋式の製鉄技術が導入されると、たたら製鉄は衰退しますが、改良が

加えられ現在もその技術は培われています。

 

さてクイズに答えると景品があたるということで、挑戦。回答の上、くじを

引いてみるとなんと当たり!?であったみたい。3000円相当のネクタイピン

をゲットしました。鋼!?製のどじょう。安来らしい(^^)。

 

そんなこんなで二日間の予定はすべて無事終了。帰りももちろん特急やくも。

なんと国鉄復刻色で欣喜雀躍!山陰紀行の締めに相応しい車両にめぐりあえ、

満足満足でした。

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ここんんとこ旅行は上洛中心でしたが、地方もいいものとしみじみ

感じた次第です。次はどこにいかうかなぁ。

 

 

2022年5月10日 (火)

雲伯征伐1日目=月山富田・広瀬編=

GWは出雲路へ。こちらも株主優待消化の一環で、この時期は桐谷さ

ん状態(^_^;)。

岡山まではみずほで、岡山からは初乗車となる陰陽連絡特急やくも

です。

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やくもといえば381系、最後の国鉄型車両です。40年くらい前に

くろしおで乗って以来かなぁ。とにかく懐かしい。内装もレトロ

そのものでした。

 

途中まで高梁川を眺めながら北上。中国山地をトンネルで抜け、鳥取県

に入ると今度は日野川に沿い一路米子へと下ります。右手には名峰大山

も。離合するため運転停車も2,3度しました。伯備線は電化してますが

線のローカル線なんですよね。列車は2時間半程度で安来駅にとう

ちゃこ。駅ではさっそく山中鹿介のイケメンキャラがお出迎えです。

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ここからはイエローバス(安来市コミュニティバス)に乗り換え。

バスに乗り30分弱、市立病院前で下車。飯梨川を渡ると右手には

天下の名城月山富田城が現れました。

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郭に翻る幟が実にかっこよし!まずは麓の資料館でお城のお勉強

です。

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こちらでは城の復元模型があり、ばっちり城のイメージが掴めます。

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山中御殿あたりを拡大するとこんな感じ。

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月山一帯に多数の郭が築かれていることがわかります。その数は500近

くにのぼるとか。守りは鉄壁で大内義隆、毛利元就、山中鹿介に辛酸を嘗め

させたことに納得です。さて予習を済ませ、いざ登城。登り口はお子守口、

菅谷口、塩谷口とありますが、今回はお子守口の伝塩冶興久墓からスタート

です。

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坂を登り始めますと左手には馬乗場郭が見えます。郭内はこんな感じ。

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細長い郭でかつては馬場があったのでしょう。さらに登り、尼子神

社を左手に曲がると太鼓壇に接続し、まもなく山中鹿介幸盛祈月

像が現れます。

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尼子再興に生涯をかけた忠臣ということで、戦前には教科書にも

その逸話が掲載されたとか。「我に七難八苦を与え給え」の名文句

は今でも有名です。奥書院を通過し、坂を登りきると花の壇につき

ます。

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こちらには屋敷が復元されていました。武将の生活の場であったようで、

掘立柱建物跡が発掘されたそうです。なお花の壇という名称はこちら

に花が植えられていたとか。花の壇とその奥の郭は巨大な堀切で切断。

そしてその奥に広がるのが山中御殿です。

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先程、3つの登り口があるといいましたが、いずれもこちらに集約さ

れるさう。周囲には石垣も整備され、堀尾時代のものださう。

こちらで標高は81m。資料館から既に55m登っています。

御殿跡の礎石も残り、尼子時代からこちらに当主の生活の場があったようです。

塩谷口の虎口には立派な石垣が築かれていました。

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そしてここからいよいよ本丸を目指すことになります。まず攻略せねば

ならぬのが七曲り。一見絶壁を登るようで気が遠くなりさうですが(^_^;)。

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しかし、その実態はコンクリの階段が整備されており、実に登りやすい。

まあ、少々味気ない気もしますが・・・。

途中には山吹井戸があります。難攻不落の理由がここに!

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坂を登りきれば三の丸下に。三の丸は立派な石垣の上にあります。

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三の丸に登れば城下から中海、日本海まで一望。絶景かな絶景かな!

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更に進めば二の丸。本丸との間にはまた巨大な堀切があり、二の丸側

には石垣がもかれています。頂上の郭はかなり近世の手が入っている

ようです。

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そして最奥の本丸。こちらには尼子氏も崇敬した勝日高守神社が

祀られていました。

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本丸で標高190m。麓からは164mの比高となります。城址は道も整

備されていることもあり、現在となっては難攻不落ではなく、ハイキ

ングコースとなっており、歴史ファンならずとも人気にスポットのようで

した。帰りは忘れずに山中御殿下の大土塁も見学。

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土塁の裏には空堀も築かれるなど、ほんと守りは鉄壁ですね。

とてつもなく巨大な城ということがよくわかりました。

 

土塁を抜け、ひたすら山中を下ります。しばらくすると左手に

堀尾吉晴の墓と山中鹿介供養塔がありました。

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鹿介供養塔はこの左奥に。吉晴は月山富田から松江に本拠を移しますが、

こちらに葬ってくれと遺言し、墓がこの場所に建てられたようです。

巌倉寺を通過し、最後は千畳平を見学し無事下城しました。約1時間45分の

行程でした。

広瀬松平氏の菩提寺城安寺をお参りし、山中鹿介屋敷跡も見学。こちらは

石碑があるだけでちと残念でしたね。

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後半は江戸時代の城下町となった広瀬へ。市立病院のある一帯がそうです。

町は大正時代の大火で焼亡したようですが、それでも雰囲気のある街並み

が残ります。

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山陰独特の赤瓦が美しい街並み。

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町の最深部には陣屋跡があります。

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広瀬藩は松江藩の支藩で初代松平直政の子近栄が寛文6(1666)年に立藩。

広瀬は3万石の陣屋町として栄えました。近世になってもこの地はそれだけ重

要やったということですね。

近くの洞光寺には尼子氏の名を全国に轟かせた梟雄経久の墓も。左が経久で、右は

父清貞の墓です。

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他にも経久像や晴久墓なども見たかったのですが、残念ながらここで

時間切れです。

再びイエローバスに乗り、宿のある米子に戻りました。

コミュニティバスなのに県境を越え、さらに1時間近く乗っても200円

というのがすごかった(^^)!

 

米子駅近くのビジネスホテルにチェックインし、ディナーは近くの当たり

前田カレーで大山どりチキンカツカレー。美味しかった! 

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そんなこんなで盛りだくさんの1日目終了です。

 

2021年7月24日 (土)

孫一のふるさとから和歌山新スポット

先々週の金曜は代休をとり、和歌山へ。こちらの期限が迫っていたもんで

緊急出動です(^_^;)。

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なんばから特急サザンに乗車。泉佐野で普通に乗り換え、和歌山県2つ目の駅紀ノ川駅

で下車します。こちらの駅に下車するのはもう30年ぶりくらい!?その昔大学の下見

で来て以来かなぁ。まあ、結局こちらの大学には行かなかったのですがぁ(^_^;)。

 

さて駅前から北に進路を取り進んでいると、急に雨が強くなりだしたので、ちょうど目

の前にあった平井ふれあいセンターに避難。しばらく雨を凌ぐだけのつもりでしたが、

中に入ってみるとこんなものがあるじゃないかぁ!

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平井歴史資料室。偶然とはいえこれはついてますね。ずばり鈴木氏の遺跡を見に来たん

で、この展示は願ったり叶ったり。鈴木氏の展示に関して実物資料こそはなかったですが、

パネルで雑賀衆がわかりやすく説明されてました。また古墳時代の埴輪窯であった

平井遺跡の歴史についても知ることができてなかなかよかったです。雑賀衆は人気

があるさかい、もっとアピールしたらいいのになぁ。雨に合わなければ、スルーす

るところでしたよ~。

  

外に出ると雨はほぼ小康状態。平井の集落にある蓮乗寺へとうちゃこ。こちらがけふ

のお目当て1つ目です。

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門の脇から中に入ると境内の右奥にひっそりと墓石が佇んでいます。

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釈という法名から真宗の人のお墓ということはわかります。側面を見てみ

ると・・・。

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「雑賀荘平井孫一郎藤原義兼」とあります。さて問題は平井孫市郎と

は一体何者か?

雑賀衆といえば、雑賀孫一重秀が著名で一次史料にもその記載があり、

実在が確認されている人物ですが、この墓石に記されている義兼が

重秀が改名したものか、はたままその子なのか、関係性はまったく

もって不明です。

鈴木氏は地侍という出自もあり、史料の数が断然少なく、その実態が不明

なんで仕方ないですが、今後史料の発見により真相が解明されることに期

待です。

  

さて蓮乗寺の北西には平井運動公園の高台があり、こちらが政所ノ坪と通称

さる伝平井屋敷跡です。

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さきほどのふれあいセンターにあった模型によると当時はこんな感じだった!?

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右奥の高台がこのグラウンドかな。西側(左)には堀の役割を果たす打手川が

流れていました。

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グラウンドには説明板もありましたが、秀吉の明征伐時、朝鮮に渡った沙也可に

ついての説明があるだけでした。発掘調査はされていないのかしら!?

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さて再び紀ノ川駅に戻り、南海で和歌山市駅へ。かつては高島屋が入って

いた駅ビルは取り壊され、ホテルなどが入った新ビルが竣工していました。

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ビルの規模はだいぶ小さくなりましたが、以前より活気はあります。駅ビルの見学は

あとにして、まずランチのため駅から歩いてすぐのカレーヤという食堂へ。

こちらで名物のバラホルとライスを注文。

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豚バラをホルモンタレで炒めたものでせうかね。想像通りの甘辛い味付けで

美味かったですわ。食事中、外は大雨。気象庁のレーダーをみながら行動し

たので無事難を避けることができ、大成功です(^o^)。この日は降ったりや

んだり。

 

さて食後は県立博物館でこちらを見学。

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和歌山にある聖地、高野山、熊野、西国札所や今は廃絶した寺などの寺社絵

図などを紹介。チラシによれば絵図は「参詣者の誘致や案内のため、盛時の

様相をアピールするため、建物の建て直しをするため」などに製作されたさう。

中でも、高野山及び周辺図の大絵図は、境内の様相が実に詳細に記されており、

かなり見応えがありました。

 

博物館のあとは、東に隣接する岡山の時鐘堂も見学。正徳2(1712)年

に五代藩主吉宗が設置。鐘は大阪夏の陣において豊臣家が用いた大砲を鋳直

したもので、刻限ごとに突き鳴らされたそうです。

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さて市駅まで戻りますが、せっかくなんで和歌山城内を歩きます。

お城自体はもう何度も来てるので、天守など今回はスルーしました。

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御橋廊下だけは渡りましたが、こちらの橋は斜度11度と傾斜しており、

廊下内は滑り止めのため、凸凹がついてますが足の裏痛いわ(^_^;)!

外はカンカン照り。あまりに暑いので城内の売店で購入したこちらの

アイスクリームは実に美味かったな。

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市駅の途中こんなお店を発見。

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孫一のグッズなども扱ってるらしいですが、この日はお休みだったのかしら?

コンテナのお店は閉まってました。

駅前商店は孫一を推しているようですが、これはかつてこの付近で雑賀鉢が作

られていたことに因むようです。

 

再びの市駅。駅ビルキーノ和歌山を見学します。駅からは西側はスーパー

に飲食やクリニックスペースですが、なかには既に閉店された店もあり、

少々しんどさう。いまや和歌山市の中心地はぶらくり丁からJR和歌山駅に

移動していますしね。そしてその東側が今回のメインです。

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ただの市立図書館なら別にどーってことないんですが、こちらはTSUTAYAが運営

するTSUTAYA図書館。1fにはスタバや蔦屋書店を併設。

2f以上は図書館スペースですが、こちらも黒いチョッキをきたTSUTAYAの社員が

窓口を対応しています。図書館部分は写真撮影がokだったんでパチリ。

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う~ん、間接照明でじつに落ち着いた雰囲気。書架も重厚な木製。まるで

本の森に迷い込んだようです。

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元図書館関係者としては分類なども気になるところ。旅行書や生活など

カジュアルな資料は2fにあり、ライフスタイルジャンルとしてTSUTAYA独自

のテーマ分類を使用。

3fの文学や歴史など専門書は従来どおりNDCを利用していたかな。また

有吉佐和子文庫や移民資料室などもあり、専門コーナーも充実しており見どころ

多し。

館内にはとにかく座席数が多く、それぞれにコンセントが付いているなど、

多くの利用者で賑わっていました。

図書館界からはとにかく評判の悪いTSUTAYA図書館ですが、この利用者の多さは、

市民の満足度のあらわれでせう。いいもの見学できました。

 

さて今回のミッション全て終了。帰りもサザンでと思いきや堺と湊の間で人身事故

が発生。電車はほどなく動き出しましたが、なんばまで急行で90分かかりました。

 

雨や事故に祟られはしましたが、いろいろと発見の多い1日。また株主優待があれば

訪れたい和歌山市です。

 

 

 

2020年11月 3日 (火)

能州散歩-七尾市街・羽咋編-

2日目。この日は太平洋側は大概雨だったさうですが、能登は曇天。ホテル前からは能登島

を拝むこともできました。これも日頃の善行の賜物(^_^;)!

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和倉温泉駅から一駅をのと鉄道で戻ります。昨日はすっかり閉まっていたみどりの

窓口も営業しており、株主優待で京都までの特急券と乗車券をゲットできました。

NT200型で和倉温泉駅を出発。意外とお客さんは多かったですね~、まあ一両だ

しねぇ。

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終点七尾で下車し、まずは県立七尾美術館へ。当日は「長谷川等伯展」

をやっているとのことで、昨日同様マリン号を駆使します。

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等伯こと信春は30代まで七尾におり、展覧会はその時代の作品を主に展示。信春時代

の「涅槃図」や等伯と称してからの「猿候図屏風」など。また等伯はもともと畠山氏の

家臣奥村氏の出身で長谷川家に入っており、養父宗清や養祖父と思われる無分の作品も。

画家として大成する根本には養家の影響が多分にあったんですね。国宝である松林図屏

風はレプリカでしたが、見どころは多かったなぁ。

 

美術館から徒歩で10分ほどの山の寺寺院群へも足を伸ばしました。小島丘陵の西側に

前田氏ゆかりの長齢寺など16寺院が建ち並びます。どれも小さな寺院ですが、それぞれ

小道で結ばれており、周遊できました。風情あり。

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七尾線の踏切、さらに小丸山城の外堀にあたる、桜川を渡ると小丸山城

跡にとうちゃこ。

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天正9(1581)年、能登を与えられた前田利家は、七尾城からこちら

に本拠を移し、小丸山城を築城しました。

2年後、利家は加賀も与えられ金沢に移ったため、城には兄の安勝が

入り、城代をつとめました。その後、利家の次男利政が城主をつとめ

ますが、関ヶ原後に封を解かれたことから金沢城の支城に。最終的には、

一国一城令により廃城となったさうです。

 

現地図を見てみると縄張図はこんな感じ。

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主に4つの郭からなります(地図にはないですが大念寺山がもう

1つの郭として南にあったみたい)。

県道沿いにある石碑の脇から城に入りすぐに現れるのがこちら。

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本丸と天性丸の間の堀切です。なかなか立派です。左手にある天性丸に登り

北側を遠望。

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右側に見えているのが宮丸。奥には七尾湾が望めるナイスビュー。

小丸山城の地の利が感じられます。

 

天性丸から堀切にかかる三更橋を渡ると対岸の本丸に着きます。

石碑の後には櫓台跡とされる土壇が残っていました。こちらには

最高所にあたり坤櫓があったさうです。

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南東隅には巽櫓もあったとか。城内は綺麗に整備され、市民の憩いの場と

なっていました。

城内で見つけた旧七尾市市章。畠山氏の二引両紋を使うなど歴史を感じ

させていいね。今は俗っぽいものに成っちゃいましたが。

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本丸から北に坂を下ると花嫁のれん館など観光施設があります。今回は

時間の関係上パスし、すぐ北にあるメインストリート一本杉通りを散策。

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所々に古い建築物も残りいい感じですが、寂れていて残念。昨日ホテルでもらったクーポ

ンは御菓子処花月でお土産代に利用させていただきました。ランチは折角なんで

能登前寿司をいただこうと近くのお店を訪問しましたが、満席。

 

再び駅前までもどり、寿司屋を探しましたが、貸し切りなどで断念_| ̄|○。仕方なく

といってはなんですが、鰻をいただきました。

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思ったより美味しかったんで、もっと奮発すればよかったと後悔!まあ、そんなこんなで、

寿司を除き、一応七尾で予定していた全行程無事完了。

いよいよ七尾を出立です。ちなみにこちらは駅前で見つけた等伯出立の像。志がまるで

違いますがね。

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七尾駅からは415系車両で七尾線を南下します。数少ない国鉄車ですね。廃止が間近とい

うことで駅にも車内にも多くの鉄ちゃんがおり、写真を撮ってましたね。

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車内はシートピッチを拡大し、ボックス型のクロスシートを配置。

そのため窓とは微妙にあってませんでしたが、愛嬌。

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田園風景を見ながら列車に揺られること30分、羽咋駅に到着。こちらはUFO

の町らしい!詳しくはこちらで。って準備中かい(^_^;)!

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駅でレンタサイクルを借り、能登一宮気多大社を目指します。片道約4キロ強、

タイムリミットは次の列車までの1時間といタイトなスケジュールやったんで、

電動をレンタルしたかったんですが、なんと普通のママチャリしかないとのこと。

ドシー_| ̄|○。しかも変速すらないし・・・。

 

まあ海岸沿いの町なんで大丈夫かなと油断して最短と思わしき国道をゆくと、なん

と目の前に大きな坂が(T_T)。思ってたんとちゃうぞ~。

時間は刻々と過ぎるし、体力は消耗するし、これはピンチ。しかし、残る体力を振り

絞りペダルを漕ぎ漕ぎ、なんとか20分ちょいでとうちゃこ(;´Д`)。

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気多大社は「万葉集」にもその名は記載されている古社。祭神は大国主命で、中世は

畠山氏、近世は前田氏が崇敬したさう。

鳥居をくぐり、まずは社務所に朱印帳をお預けします。引き換え用の札をもらい、ま

ずは参拝。 

 

目の前には重要文化財に指定されている四脚門の神門が現れます。さすが一宮、立

派ですね。

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神門をくぐると、次に三間四方の拝殿が目の前に。

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こちらも重文で前田利常が承応2~3(1653~54)年に寄進。背後には

流造の本殿が見えます。こちらはもう少し歴史が下り、18世紀のものださう。

潮風を浴びてか、彩色などは残っていませんが、この古色蒼然として感じが

ありがたや。拝殿では、日々の神恩に感謝し、お参りしました。

 

本殿の左側にある若宮神社は、永禄12(1569)年に畠山義綱により建造さ

れたものださう。

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かわって右側には白山神社が鎮座し、こちらも重文であるなど、歴史を感じさせる社

殿が多数境内に建ち並ぶ様子は圧巻でしたね。また社殿の背後には入らずの森と呼ばれ、

天然記念物にも指定されているさうです。

ほんま色々見どころがあり、もっとゆっくりお参りしたかったわけですが、残念ながら

そろそろタイムアップ。

  

帰りは行きの坂を避けるため、地図を見ながら進みます。なんとか急勾配を避

けつつ、予定の列車にも乗ることができました。もう汗だくでしたが(^_^;)。

 

七尾線で金沢まで戻り、軽食をゲット。帰りも勿論、サンダーバード。

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始発ということで自由席。思った以上というかめちゃめちゃ空いており、金沢

を出た段階では、もう1グループが乗っているだけの閑散ぶりでした。

途中からもほとんどお客さん、乗ってこなかったしね。

 

まだまだ新コロの影響が強く自粛ムードが強いやうですが、経済を回すためにも、

株価を上げるためにも、そして気分転換するためにもまたお出かけしたいもので

すね。久々の東京以外の一泊二日でしたがなかなか実りある能州散歩でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月25日 (日)

能州散歩-七尾城編-

先週の金曜日は余っている株主優待券を利用するため、思い立って能州へ。京都駅から

サンダーバード are go!!です。

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9号は速達性のある列車のようで途中停車した駅は福井のみ。二時間ちょっと

で金沢にとうちゃこです。前の座席のオヤジが福井まで目一杯リクライングを

倒していたのには切れかけましたが、それ以外は実に快適でしたね。

金沢では七尾線の特急に乗り換え。

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こちらは三両編成ですが、結構のってましたね。大概の客は和倉温泉に行く

お客さんでしたが。1時間ほどで七尾駅に。

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とうはくんがホームでお出迎えです。七尾市は長谷川等伯の出身地とか。

  

さてけふの目的は七尾城。お城までは駅から結構離れているんで、駅前でレ

ンタサイクルを借りるという手もありましたが、なんと返却は15:30までと早すぎ!

3時間で戻ってくる自信はなかったので、コミュニティバスを利用することに。

市内には100円で乗車できるマリン号なるものが走っており、1時間に1本でしたが

ちょうどバスが有り、15分ほどで七尾城の城史資料館につきました。

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まずは、こちらでは七尾城の歴史をお勉強。1Fは動画とパネル、2Fには出土

遺物などが展示されていました。

七尾城は能登守護畠山氏の居城。畠山氏は三管領の1つで畠山基国は明徳2

(1391)年、河内、越中、能登守護を兼帯。子の満慶が能登守護となり、

その後畠山氏が代々城郭を整備したようです。

 

かつての威容はYou Tubeにもアップされていた動画で知ることができます。資料館

では高画質の大画面でみることができました。

https://www.youtube.com/watch?v=22Ut_gz151w

隣には懐古館(旧飯田家住宅)もありましたが、別料金なんで要注意。スルーし

ましたが。

  

さていよいよ登城です。資料館からは看板がでてるのでそのとおり進むと

迷うことはありません。経過は以下の通り。

13:41 資料館

 ここからスタート。看板に従い進みます。

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 住宅地を抜けると舗装もされていない林道を進みます。

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 ここはかつての大手道で、この両側に武家屋敷があったとか。信じられんなぁ。

13:51 高屋敷

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 大手道のどんつきがこちらで畠山氏や重臣の屋敷があったさう。ここを越えると

 鬱蒼とした山道に。小田吉之丈顕彰碑からはいよいよ本格的な山道に突入です。

14:00 長 坂

 坂道をぜいぜい言いながらとうちゃこ。畠山氏の通用門跡です。ここからの通行は厳しく

 制限されたとのこと。

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14:07 寺鐘跡

 鐘があり朝夕つかれた郭。七尾城は山道の左右に色々と遺構があり、退屈しませんね。

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14:13 沓 掛

 いよいよ城内にはいるにあたり、こちらで身なりを整えたとか。道は 左右に別れま

 すが、ここはパンフに従い、左折して郭下の道を進みます。

14:20 寺屋敷

 水源であった樋の水を越え、次の看板を左折し坂を下るとまもなく寺屋敷につきます。

 かつては三重塔もあったとか。築山状の大塚なるものがありましたが、これは一体なに

 かしらん!?

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14:25 調度丸

 道をもどり、坂を登ると目の前には最大の見所である壇上の石垣が広がります。

 これはなかなか圧巻。

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 4~6段の石垣で構成。当時は高石垣を築く技術がまだなく、このような

 ひな壇上の形態に。野面積みの石垣は時代を感じさせます。階段をのぼると

 桜馬場と遊佐屋敷があります。遊佐屋敷は低層の石垣で桜馬場と区画されていました。

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 遊佐屋敷の奥には本丸との連絡道があります。目前には本丸の壇上の石垣があります。高さ2,3

 mのものが3段に積まれています。先程の石垣同様見どころの1つですが、昭和38年に崩落したた

 め、修復されたさうですが、その際モルタルを使ったり、不足した石を補うため二宮産の切石など

 が利用されたため、野面積であった往時の雰囲気は失われてしまったさう。今の時代じゃありえな

 いが、当時はそれが最善と思われたんでせうなぁ。

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14:35 本 丸

 階段を登りきると本丸に。標高306Mからは七尾湾から能登島も一望。絶景かな。謙信も

 愛した風景です。

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 南東隅には高さ4mほどの櫓台らしきものもありました。ただこちらは城山神社

 が作られたときかもしれないとのこと。発掘調査が待たれます。

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 また本丸の西側には、土塁と石垣で区画された外枡形もあります。本来はこちら

 が正式な本丸への通路だったとか。出入口の石垣はなくなったやうですが、

 それでも立派ですね。

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 道を下ると遊佐屋敷に戻り、西の丸を左に見ながら桜馬場を西に進みます。

14:51 温井屋敷・九尺石

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 こちらには九尺石の上に築かれ大手門があり、威容をはなったやう。また石は

 説明書によると城の鎮護の要の石であったとも。

 温井屋敷から二の丸方面。

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 石垣が至るところに顔をのぞかせます。

14:57 大堀切

 二の丸を越えるとこちらに現れるのがこちら。二の丸と三の丸を分断。高さ26m、

 幅40mの巨大なものでした。

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 15:00 三の丸

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 東西25m、南北110mの最大の郭です。こちらにかつては多数の屋敷が建ち並んで

 いたやうです。三の丸を下り、安寧寺を経由すると 再び沓掛に戻ってきました。

 15:05。帰りは延々と来た道を下り、わずか20分強で登城口に戻ることができま

 した。帰りは早いなぁ~。往復1:45の登城でした。

 

いや~それにしてもよかった。いままでの中でもベスト3には入る名城でした。やっぱ

七尾湾が望める景色が良かったね。これはリピありです。今度は是非逆ルートで。

 

さて無事麓に降りてきましたが、あいにくマリン号の発車時間とは合わず歩きで、つぎな

る目的地能登国分寺公園へ。

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そもそも能登国は越前国の一部で養老2(718)年に分立したとか。その後、

越中国に併合されますが、再度天平宝字元(757)年分立したさう(ちなみに

加賀国の成立は弘仁14(823)年です。加賀より能登が先輩だったとは)。

それもあってか、能登国分寺の設置は遅く承和14(823)年。それも、もともと

あった大興寺を転換したさうです。

パンフレットによると法起寺式のこんな伽藍だったとか。

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公園内には南門や塀や塔跡などが整備されていました。往時の雰囲気をちょこっと

味わえます。

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となりには展示館もあり、200円を払い見学しましたが、大したものもなく

こちらは失敗(T_T)。近くにロハののと里山里海ミュージアムがあり、どうせなら

そちらに展示物を移せばええのにねぇ。受付もミュージアムにあり、わざわざ

職員が、離れた資料館まで鍵を開けに行くという・・・(^_^;)、無駄な箱物

の典型でしたね。

  

最後は七尾市立図書館で七尾城のお勉強。晩飯は予約した宿のある和倉温泉駅

前のはいだるいで能登はいだるいカレーをいただきました。ちなみにはいだるい

とは能登弁で「くだらない」とか動きが「のろかったり」、気抜けしたときに

使われるさう。カレー自体はイカやタコに能登の野菜などがたくさんはいったもの。

カレー自体は素朴な味わいでしたが、具が非常に美味しかったですね。

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本日の宿は、αーインとビジネスホテル。GO TOトラベルで宿代は2800円

程度と格安。あとホテルでこちらもゲットできましたし(^o^)。

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またホテルでレンタサイクルを借り、総湯にも入れたのはよかった。

せっかく温泉地にきたんやからねぇ。ギリギリ滑り込みでしたが。

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それにしても温泉が塩辛かったのはびっくりしたなぁ。なんでも源泉を加水しな

い、100%ゆえとのこと。温泉で疲れも癒され、1日目はお仕舞い。

2019年3月31日 (日)

続宇陀散歩

先々週に引き続き先週土曜日は再び宇陀へ。今回も先週同様、橿考研の本村先生に寄る宇陀市

歴史文化講演会「宇陀三将の城」。会場のある宇陀市立中央公民館は駅から離れた大宇陀にあ

るということで、車での遠征となりました。

桜井から途中朝倉台を通りましたが、なかなかすごい住宅やね。老後大変そう(^_^;)。

 

講演会は13:30ということでとりあえず観光。まずは沢城の近くへ。城を訪問する時間が

なかったので城下の記念碑のみの見学。沢城には永禄年間、高山飛騨守や右近がいたことも

あり右近像がありました。

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城攻めはこんどゆっくりあらためて。

 

さて公民館のある大宇陀へ移動。こちらは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されて

いるだけあって町並みはなかなかです。

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ただ電信柱があったりするなどもうちょっと整備してほしいところ。あとお店とか

もうちょっとあるといいね。人があまりにいなくてビックリしたさかいなぁ。

町並みの北端には慶恩寺があり、こちらは宇陀三将の一人秋山氏の菩提寺ということも

あり、お参りさせていただきました。秋山宗旦のお墓もあるらしいですが、よくわかんな

かったですね。

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今回の講演の舞台でもある松山城へは徒歩15程度ということなので千軒舎から舗装された道を

えっちらおっちら。しかも舗装路だけあって非常に楽ちん。途中から山道に入りますが、それ

も間もなく城の入り口である雀門跡にとうちゃこです。

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城は破城されたこともあり、石垣は点々と残るのみですが、破城の様子がよくわかる貴重な

例です。前回の講演でもありましたが、角を潰すことが特徴のようですね。

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また去年の台風の影響か、結構郭が崩落しブルーシートがかけられていたのはちと

悲しい。早く保全してほしいですねぇ。坂道を登り、本丸郭にとうちゃこ。

その先には天守郭の石垣があります。昔はこの上に天守が建っていたとのこと。

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今は面影はないですが、天守郭からの景色は最高でした。

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無事城攻めを終了し、下城。コンビニで軽く昼飯を済ませたあと、いよいよ会場の公民館へ。

参加者は先週と違い、ジジイばっかりでしたね(^_^;)。県主催と市主催ではこんなちがう

もんかぁ。

講演内容は前回同様赤色立体地図がメイン。もうちょっと城史や三将について取り上げてほし

かったぞ~。

帰りは宇陀名物のきみごろもをゲットし、二週連続の宇陀散歩は終了しました。

 

2018年12月11日 (火)

丹波悠遊散歩

土曜日は丹波路へ。まずは丹波市柏原地区へ。
こちらは2度目の訪問ですが、前すぎて記憶はあんまなし。柏原八幡神社へも
お参りしましたが、こんな山の上やったっけ!?
 
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万寿2(1024)年、石清水八幡宮の別宮として創建されたさう。重文の本殿の
裏には神宮寺であった乗宝寺の三重塔があり、神仏混淆を色濃く残します。
 
柏原の町は織田家の城下町ということで織田色がプンプン。
 
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初代は信長の舎弟信包。ただし信包系は3代で断絶。その後、元禄8(1695)年、
信雄の子孫である信休が2万石で大和宇陀から入部。
以来10代織田家の城下町となります。
 
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こちらは柏原陣屋。信休が正徳4(1714)年に完成させ、現在の建物は文政3
(1820)年に再建されたもの。表御殿の一部が残っています。檜皮の唐破風と
千鳥破風が圧巻。重厚な造りに圧倒されました。
 
陣屋から西に300m離れた大歳神社には太鼓櫓も現存。もともとは大手門付近に
あったさう。柏原のランドマークになっています。内部にはその名のとおり、
つつじ太鼓とよばれる太鼓があり、この太鼓は宇陀より持ってきたものやさうです。
太鼓櫓の周囲は城下町の風情が色濃くのこっており、散歩によしでした。
 
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他にも建勲神社や織田神社など織田家ゆかりのものが多かったですね。
2万石といえど、やっぱ織田家ってブランドやさかいなぁ。
 
また旧氷上高等小学校がたんば黎明館とオシャンティに生まれ変わってるなど
町もいつの間にか垢抜けて、スイーツやレストランなどのお店なども増殖してい
たのはびっくりでした。
 
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さて柏原をあとに車で篠山市に移動。こちらも久々の篠山城跡です。
 
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慶長14(1609)年に家康が秀頼の押さえとして築いた天下普請の城。藤堂高虎が
縄張りし、20諸侯の大名によりわずか1年足らずで完成にこぎ着けました。
 
城主は家康の子、松平康重が入部。その後、青山氏が入り幕末を迎えています。
 
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大書院は昭和19年に失火のため焼失しましたが、平成12年に再建されています。
ちょうど、できた頃に来た記憶がありますが。
 
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上段の間は折上格天井に帳台構、大床の松の絵などそのゴージャスさは段違い
で見どころいっぱいでした。ただ他の部屋は天井に蛍光灯が埋め込まれていたり、
ちょっとチープな再現にがっかりしましたかも~。
 
さういや篠山市は来年、丹波篠山市に変更するんだとか。篠山に訪れる前に
立ち寄った丹波市に原因があるわけですが、わざわざ変えなくてもねぇ。
本来なら丹波市が氷上市とすべきだったわけで。まあ農業品の売上など色々
あってのことなんですが、損得勘定で地名を替えるのは残念です。
 
訪ねたいお店が閉店していたり、ちょっと元気がなくなっていたやうに感じられた
篠山。せめて改名して元気になるよう期待します。

2016年12月28日 (水)

真冬のSUN SUN サマータイム【第3日目風雲竜虎編】

3日目は曇天。寒々しい中、ホテルより五井駅まで戻ります。五井駅はJRのほか、小湊鉄

道も連絡しています。高架からは小湊鉄道の車庫が一望。
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見ての通り、味のあるDCが並んでいますね。小湊鉄道はそもそも鴨川の小湊を目指す
予定でしたが、結局果たされなったようです。
ホームには同型のキハ200系車両がお待ちでした。
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五井駅を出発した列車は次第に平野部から山間部を目指しますが、途中光風台など
住宅もあるようで意外と乗車率はいいようです。ただどの駅も味わいのあるものが
多くて、アナクロニズム満載でしたね。
 
景色は次第に山がちになり、1時間15分ほどで終点上総中野にとうちゃこ。
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対するホームにはいすみ鉄道のキハ28と52が停車。
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キハ28なんてほんとひさしぶり。同型列のキハ58ファンとしてはげきか~ん。
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パノラミックウィンドウより平窓の旧型がいいですね。キハ52の車内はこんな感じ。
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青のっモケットが懐かしい。さて小湊鉄道に別れを告げ、いすみ鉄道で大多喜を目指し
ます。小湊鉄道に乗っていた乗客もほぼいすみ鉄道に乗り換えました。ほとんんど鉄
ちゃんっぽいね。みんなカメラ持ってるし~。列車は20分ほどで大多喜にとうちゃこ。
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デジタルサポートらしいっす(^_^;)。
 
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駅には連絡の大原行きキハ20が停車。こちらは新しい車両ですが、形といい、色といい
国鉄車を意識しまくっていますね。鉄ちゃんにはたまらない車両。
 
次の大原行きまで1時間30分あるのでいざ観光。大多喜は徳川四天王本多忠勝の
城下町。城址は大多喜高校の裏山にあり、高校の敷地には御殿の門が移築され現存
していました。
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門の背後には本多忠勝がつくった周囲17mの大井戸もあります。なんか井戸というよ
りクレーターみたい!
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井戸の脇から本丸に登る小道があります。それを登りきると頂上には模擬天守がそびえ
たっていました。
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大多喜城は16世紀前半に武田氏が入城したようでその後、里見氏家臣の正木時茂が
入り、正木氏の居城として栄えたようです。しかし秀吉の関東征伐後、関八州が家康
に与えられると忠勝が天正18(1590)年に10万石ではいり、10年間治世しました。
忠勝は11年後に桑名に移り、その後は本多氏2代、阿部氏、松平氏を経て幕末を迎え
ています。
 
天守は昭和50年に復興されたもので、内部は千葉県立中央博物館の大多喜分館と
なっています。正直展示の中身はしょぼかったな~(^_^;)。さて時間もあんまないので
お城の見学はそこそこに城下町へ向かいます。
 
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城下町の中でもひときわ存在感を放つのが重文の渡辺家住宅。嘉永2(1849)年に
建築された堂々たる町家です。残念ながら内部の見学は出来ませんでしたが、他に
も多数明治からの古い町家が立ち並んでいました。しかし意外と人通りは少なく、
なんか寒々しかったな~。
 
駅に戻り、急行で大原に向かうため、改札口で指定券をお願いしますが、なんと次の
急行はレストラン列車でキハ28の指定席は取れないとのこと・・・。念願のキハ28に乗
るために態々やってきたのに~_| ̄|○ il||li。
 
仕方なく再び先程乗車したキハ52に乗車。車内で急行券のみ車掌さんより購入しました。
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さういや女性の車掌さんはサンタクロース衣装でした。またトナカイの格好したもうひと
りの乗務員さんからクリスマスプレセントとしてチョコをちょこっともらったり(^^)。
 
とにかくいすみ鉄道はサービスが凄い!列車が出発すると駅員は手を振ってくれるし、
また列車にはクリスマスの飾り付けをするなどやる気が違いますね。自動販売機もキハ
仕様だったり~!随所で鉄ちゃんを楽しましてくれる。
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急行列車は途中、国吉では12分の停車。構内にはキハ30が停車していたり、ムーミングッズのショップがあったり、停車時間も楽しめましたね。また停車中にはムーミン列車と
当駅で行き違い。ムーミンといすみの関係はわかりませんが、なんか頑張ってることは
よく伝わる!
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再び発車した列車は上総東停車後、まもなく終点大原にとうちゃこしました。急行とは
いいつつも通しで40分かかり、これは普通より12分多くかかります。正確には急行とい
うより観光列車ですよね。大多喜からは高校生が乗車していましたが、急行券って払
うのかしら!?そこが一番気になりましたね。
 
小湊鉄道より距離も短く乗車時間も少ないいすみ鉄道ですが、色々見所を演出しており
非常に楽しめる鉄道でした。今度は是非キハ28に乗るべくリベンジしたいぞ!ちなみに
おみやげに買ったモナカ。中身も美味しかったが、外見もかわいい。あとから知ったんで
すが、キハ28や52もあるみたいで、こちらもコンプリートとしたいな。
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大原で外房線に乗り換え、上総一ノ宮で下車。今回最終の目的地玉前神社に参拝で
す。神社は駅から参道を歩くこと10分でとうちゃこ。
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玉前神社は玉依姫を祀る延喜式内社で、名神大社にも列せられていた格式有るお社。
永禄年間に戦火にかかり、次第に衰退したようで現在は実にこじんまりした境内でし
たね。
 
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拝殿、本殿とも平成の大修理中で黒漆塗の壮麗な社殿が見れなかったのはちと残念
でした。境内には神楽殿や十二神社などの建造物が立ち並ぶほか、槙の社叢がある
など意外と見所の多い神社でした。
御朱印はこんな感じ!
 
さういや門前には和菓子屋があり、なぜかいちご大福を推してましたね。なぜに千葉で
いちご大福!?
再び一ノ宮駅に戻り、京葉線経由東京行きの列車に乗り、旅の帰路についたのであり
ました。
 
一般参賀から深川、ももクリからローカル私鉄に一宮。非常に実のある三日間。特に
いすみ鉄道のガンバリは目をみはるものがあり、応援したくなりましたね。
また乗りにいかむいすみ鉄道。また会う日まで。