初めての飛騨路探訪
岐阜観光の翌日は学生時代の友人と岐阜駅で合流し、車で出陣!
地道を行くことちょいの岐阜各務原ICから東海北陸道に乗り、ひたすら
北進します。今回の目的地は飛騨高山。言わずとしれた観光地ですが、岐
阜市からはなんと120キロもあり、進めど進めどなかなか到着しない^^;。
飛騨清見ICで東海北陸道から高山清見道路に乗り換えると、前方には
雪を被った乗鞍連峰がドーンと現れ、えらいとこまできたなぁと実感。
終点の高山ICからまもなく高山市街にとうちゃこです。
まずは本町通の市営駐車場に車をとめ、一番の見所である高山陣屋へ。
戦国時代後半、高山一帯は姉小路(三木)氏の領地でしたが、姉小路頼綱が
佐々成政と同盟していたことから秀吉の家臣金森長近に攻められ飛騨国主の
座を追われました。長近は姉小路氏の松倉城を廃し、新たに高山城を築き、
城下町を整備、これが今日の高山の町につながります。
しかし金森氏も6代で出羽に転封され、天領となると高山城は廃され、新たな
政庁となったのが高山陣屋です。陣屋には明治維新まで176年に25代の代官・
郡代が江戸から派遣されたさう。陣屋は金森氏の下屋敷を転用し、現在に残る表
門、門番所、御役宅は天保年間(1830~1840)に再建された貴重な遺構で、
国史跡にも指定されています。
館内は流石に御役所ということで、豪華絢爛な感じではありませんが、
時代劇の世界が広がります。今にも柱の陰から主水さん、出てきそう!
また陣屋は行政だけではなく、警察や司法も司っていたことから、お
白洲もあったりして。こちらは金さんか^^;。
代官のプライベート空間にあたる役宅部分は平成に復元されたもの。
江戸時代としては珍しい3階建になっていたり、独特の建築となって
いました。
最後に見学した御蔵は元禄8(1695)年、高山城三ノ丸から移築され
た最古の建物で年貢米が保管されていたところ。内部は高山陣屋の歴
史に関する展示もあり、興味はつきませんでしたね。
さて陣屋をじっくり見学したあとは、こちらも高山観光の王道
である三町伝統的建造物群保存地区を散策。こちらは、ほんま
観光客でどえらい人でした。
茶房や酒造場など、オシャンティなお店も多く、観光地として完成し
ており、伊勢のおはらい町のような感じかな。
賑わう通りをしばらく行き、安川通にある匠屋安川店で牛まぶしのラ
ンチをいただきました。2500円と少々お高めですが、それでもコスパ
高しです。
お腹がいっぱいになったところで、さらに下二之町を歩くと
次の目的地である日下部民藝館と吉島家住宅が見えてきました。
二件とも重要文化財に指定される商家建築で、どちらも見学した
かったのですが、今回は時間の都合もあり後者のみ見学。
吉島家住宅は天明4(1784)年から酒造業を営み、現在の建物は
明治40(1907)年に再建されたもの。中に入ると吹き抜け空間が
広がります。ヒノキ材の梁には漆が施され、ピカピカと輝きます。
さすが豪商のお店、贅を凝らしています。
屋敷内には文庫蔵や折り曲げ天井をもつ中二階など、見どころは
尽きませんでした。
吉島家住宅をあとにし、まだ通りの北側にも風情のある町並みが広が
りますが、さすがにここまで来ると観光客もまばらです。
櫻山八幡宮の鳥居から宮川を渡り、再び本町通の駐車場へ戻り、車
で最後に高山駅近くの飛騨国分寺を訪問。こちらは奈良時代に創建された
国分寺の1つです。
表門をくぐると正面には、鐘楼、大銀杏、その奥には重文の本堂が建ち並び
ます。
右手には三重塔も聳えますが、かつては国分寺ということで、なん
と七重塔もあったさうな!
他にも高山城跡や市政記念館など、まだまだ見たいところがあった
けど、高山はボリュームが有りすぎ、1日では見切れない。またゆっ
くりリベンジするということで、車は41号線を南下し、高山市をあと
にしました。で、とうちゃこしたのが、こちら。
飛騨一宮水無神社です。社名のとおり飛騨国の一宮で国幣小社に列格。
祭神は大歳大神(水無神)で、他にも飛騨一円の神を奉斎します。
境内には樹齢1000年のエドヒガンザクラや大杉も聳え、古社に相応し
い空気が漂います。
安永2(1773)年に起こった農民一揆である大原騒動の際には水無神
社で集会が行われたことから、神主2名が磔にされるということもあった
さうです。
拝殿からは本殿が拝めます。二礼二拍手一礼でお参り。
最後に御朱印もいただきました。
参拝を済ませ、再び41号を北上、高山市を通過し、飛騨市に突入。
古川よりまだ先の杉崎の集落へ。杉崎駅の東側に聳える安峰山の稜線に
ある小島城跡が今回の最終目的地です。
城主の小島氏は京都より下向した公家姉小路氏が小島、古川、向小島の
三家に別れた一家で、史料からは師言、勝言、戦国末期には時光の名前
が確認できます。南飛騨の三木氏が勢力を伸ばし始めると、時光は三木
氏に従い家名を保ちますが、秀吉配下の金森長近が飛騨に攻め入ると姉
小路氏と共に滅ぼされたようです。
城へは徒歩でも車でも登れますが、今回は車で上まで行くことに。なお
徒歩の入山口はこんな感じ。
安峰山を右手に見ながら県道75号線を進むと、城跡への案内看板が
所々にあります。それに従い車を走らせると城跡への入り口となる獣
害対策ゲートに到着。どうやら獣が山から里に降りないようにする
ゲートみたいですね。
「通行止」となってますが、城跡までは行けます(令和5年4月末現在)。
ゲートを開閉し、山道を進むと途中、落石があったり、対向不可の場所も
あるなど、なかなか運転スキルが求められる道で、上級者向き。あと車道
はかなり遠回りなんで、なかなか着かず、不安になったりと。極めつけは
熊もいるのでご用心!
車道どんつきの城跡入り口には数台ですが車も止められ、転回もこちらで
可能です。
さて、駐車場の直下にはいきなり大きな堀切が見えたりして、小島城の凄
さを実感。
城の入り口方面に向き直ると、こちらはこちらでなかなか立派な櫓台
が見えます。土造りですが結構な高さがあり圧巻です。
郭を進み中央部の主郭には東屋があり、内部には城跡の説明板があ
りますので、こちらで見学すべき遺構もばっちりチェックできます。
さらに進むと内枡形虎口と外郭には立派な石垣がありました。
このように小島城は中世の小島氏時代の土の城と小島氏のあとに入った
金森氏時代の石の城と両時代の遺構を見学できるのが最大の魅力。金森
氏はかつての小島氏の威光に縋り小島城を改修し、高山に移るまでの一
時的な本拠としたのかもしれません。
虎口の先にはも郭が続くようですが、立入禁止のロープが張られていたた
め、断念しました。
雨もちょうどぱらぱら来たため、ここで撤収。山を慎重に下り、ゲー
トをピシャリ。再び41号、清見道路、東海北陸道で名古屋方面へ。
帰りは電車の時間の都合で尾張一宮で下ろしてもらい、JR、近鉄を乗
り継ぎ帰宅した次第です。
はじめての飛騨訪問。高山もそうですが、古川や神岡など、まだまだみ
たい観光地が山程残ってます。また折を見てゆっくり訪問したいかなと。
次は新型特急HC85で行くのもおつかなと思った次第です。
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