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2023年6月 4日 (日)

初めての飛騨路探訪

岐阜観光の翌日は学生時代の友人と岐阜駅で合流し、車で出陣!

地道を行くことちょいの岐阜各務原ICから東海北陸道に乗り、ひたすら

北進します。今回の目的地は飛騨高山。言わずとしれた観光地ですが、岐

阜市からはなんと120キロもあり、進めど進めどなかなか到着しない^^;。

 

飛騨清見ICで東海北陸道から高山清見道路に乗り換えると、前方には

雪を被った乗鞍連峰がドーンと現れ、えらいとこまできたなぁと実感。

終点の高山ICからまもなく高山市街にとうちゃこです。

 

まずは本町通の市営駐車場に車をとめ、一番の見所である高山陣屋へ。

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戦国時代後半、高山一帯は姉小路(三木)氏の領地でしたが、姉小路頼綱が

佐々成政と同盟していたことから秀吉の家臣金森長近に攻められ飛騨国主の

座を追われました。長近は姉小路氏の松倉城を廃し、新たに高山城を築き、

城下町を整備、これが今日の高山の町につながります。

しかし金森氏も6代で出羽に転封され、天領となると高山城は廃され、新たな

政庁となったのが高山陣屋です。陣屋には明治維新まで176年に25代の代官・

郡代が江戸から派遣されたさう。陣屋は金森氏の下屋敷を転用し、現在に残る表

門、門番所、御役宅は天保年間(1830~1840)に再建された貴重な遺構で、

国史跡にも指定されています。

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館内は流石に御役所ということで、豪華絢爛な感じではありませんが、

時代劇の世界が広がります。今にも柱の陰から主水さん、出てきそう!

また陣屋は行政だけではなく、警察や司法も司っていたことから、お

白洲もあったりして。こちらは金さんか^^;。

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代官のプライベート空間にあたる役宅部分は平成に復元されたもの。

江戸時代としては珍しい3階建になっていたり、独特の建築となって

いました。

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最後に見学した御蔵は元禄8(1695)年、高山城三ノ丸から移築され

た最古の建物で年貢米が保管されていたところ。内部は高山陣屋の歴

史に関する展示もあり、興味はつきませんでしたね。

  

さて陣屋をじっくり見学したあとは、こちらも高山観光の王道

である三町伝統的建造物群保存地区を散策。こちらは、ほんま

観光客でどえらい人でした。

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茶房や酒造場など、オシャンティなお店も多く、観光地として完成し

ており、伊勢のおはらい町のような感じかな。

賑わう通りをしばらく行き、安川通にある匠屋安川店で牛まぶしのラ

ンチをいただきました。2500円と少々お高めですが、それでもコスパ

高しです。

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お腹がいっぱいになったところで、さらに下二之町を歩くと

次の目的地である日下部民藝館と吉島家住宅が見えてきました。

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二件とも重要文化財に指定される商家建築で、どちらも見学した

かったのですが、今回は時間の都合もあり後者のみ見学。

 

吉島家住宅は天明4(1784)年から酒造業を営み、現在の建物は

明治40(1907)年に再建されたもの。中に入ると吹き抜け空間が

広がります。ヒノキ材の梁には漆が施され、ピカピカと輝きます。

さすが豪商のお店、贅を凝らしています。

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屋敷内には文庫蔵や折り曲げ天井をもつ中二階など、見どころは

尽きませんでした。

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吉島家住宅をあとにし、まだ通りの北側にも風情のある町並みが広が

りますが、さすがにここまで来ると観光客もまばらです。

櫻山八幡宮の鳥居から宮川を渡り、再び本町通の駐車場へ戻り、車

で最後に高山駅近くの飛騨国分寺を訪問。こちらは奈良時代に創建された

国分寺の1つです。

表門をくぐると正面には、鐘楼、大銀杏、その奥には重文の本堂が建ち並び

ます。

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右手には三重塔も聳えますが、かつては国分寺ということで、なん

と七重塔もあったさうな!

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他にも高山城跡や市政記念館など、まだまだ見たいところがあった

けど、高山はボリュームが有りすぎ、1日では見切れない。またゆっ

くりリベンジするということで、車は41号線を南下し、高山市をあと

にしました。で、とうちゃこしたのが、こちら。

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飛騨一宮水無神社です。社名のとおり飛騨国の一宮で国幣小社に列格。

祭神は大歳大神(水無神)で、他にも飛騨一円の神を奉斎します。

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境内には樹齢1000年のエドヒガンザクラや大杉も聳え、古社に相応し

い空気が漂います。

安永2(1773)年に起こった農民一揆である大原騒動の際には水無神

社で集会が行われたことから、神主2名が磔にされるということもあった

さうです。

拝殿からは本殿が拝めます。二礼二拍手一礼でお参り。

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最後に御朱印もいただきました。

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参拝を済ませ、再び41号を北上、高山市を通過し、飛騨市に突入。

古川よりまだ先の杉崎の集落へ。杉崎駅の東側に聳える安峰山の稜線に

ある小島城跡が今回の最終目的地です。

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城主の小島氏は京都より下向した公家姉小路氏が小島、古川、向小島の

三家に別れた一家で、史料からは師言、勝言、戦国末期には時光の名前

が確認できます。南飛騨の三木氏が勢力を伸ばし始めると、時光は三木

氏に従い家名を保ちますが、秀吉配下の金森長近が飛騨に攻め入ると姉

小路氏と共に滅ぼされたようです。

 

城へは徒歩でも車でも登れますが、今回は車で上まで行くことに。なお

徒歩の入山口はこんな感じ。

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安峰山を右手に見ながら県道75号線を進むと、城跡への案内看板が

所々にあります。それに従い車を走らせると城跡への入り口となる獣

害対策ゲートに到着。どうやら獣が山から里に降りないようにする

ゲートみたいですね。

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「通行止」となってますが、城跡までは行けます(令和5年4月末現在)。

ゲートを開閉し、山道を進むと途中、落石があったり、対向不可の場所も

あるなど、なかなか運転スキルが求められる道で、上級者向き。あと車道

はかなり遠回りなんで、なかなか着かず、不安になったりと。極めつけは

熊もいるのでご用心!

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車道どんつきの城跡入り口には数台ですが車も止められ、転回もこちらで

可能です。

さて、駐車場の直下にはいきなり大きな堀切が見えたりして、小島城の凄

さを実感。

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城の入り口方面に向き直ると、こちらはこちらでなかなか立派な櫓台

が見えます。土造りですが結構な高さがあり圧巻です。

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郭を進み中央部の主郭には東屋があり、内部には城跡の説明板があ

りますので、こちらで見学すべき遺構もばっちりチェックできます。

さらに進むと内枡形虎口と外郭には立派な石垣がありました。

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このように小島城は中世の小島氏時代の土の城と小島氏のあとに入った

金森氏時代の石の城と両時代の遺構を見学できるのが最大の魅力。金森

氏はかつての小島氏の威光に縋り小島城を改修し、高山に移るまでの一

時的な本拠としたのかもしれません。

 

虎口の先にはも郭が続くようですが、立入禁止のロープが張られていたた

め、断念しました。

雨もちょうどぱらぱら来たため、ここで撤収。山を慎重に下り、ゲー

トをピシャリ。再び41号、清見道路、東海北陸道で名古屋方面へ。

帰りは電車の時間の都合で尾張一宮で下ろしてもらい、JR、近鉄を乗

り継ぎ帰宅した次第です。

 

はじめての飛騨訪問。高山もそうですが、古川や神岡など、まだまだみ

たい観光地が山程残ってます。また折を見てゆっくり訪問したいかなと。

次は新型特急HC85で行くのもおつかなと思った次第です。

 

2020年12月 6日 (日)

第18回関西文化の日(11/20)DAY3と神仏霊場第92番仁和寺

本日は有休を利用し、京都へ発向。京都駅からトボトボ15分あるき、梅小路公園へ。

今ひとつの天気でしたが、水族館へ向かう客も結構なもの。前を通過し、本日の

目的地である京都鉄道博物館に。

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平日やから空いていると思ってたら意外や意外、結構混んでるがな。常設展は以前

みたんでさらっと流します。今回の最大の目的は特集展示「新快速50年」。

個人的には新快速といえばかっこよさも含め117系のシティーライナーが一番ですが、

学生時代に毎日お世話になった221系も捨てがたい。懐かしい展示が多く面白かった

ですが、欲を言えばオリジナル塗装の117系の実車が期間中はずっと展示されていれば

文句なしやったかな。期間限定では来てたみたいですが。

 

新しくできた梅小路京都西駅前でランチを済ませ、山陰線で花園へ。双ケ丘の脇を

北上している最中、街なかでこんなものを発見!

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オムロンは立石電機から改名したわけですが、まさかその由来が御室か

ら来てるとは(・o・)!

嵐電の御室仁和寺駅からはちょうど真正面に仁和寺の仁王門を眺めるこ

とができます。

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参道右手にはドラマ「恐怖新聞」で白石聖の実家君影草に使われたお店も

あったりして。

 

さて仁和寺ですが、光孝天皇が西山御願寺として着工、仁和4(888)年、

先帝の意思を受けいだ宇多天皇が落慶させました。

宇多天皇は落飾し法皇となったあともこちらで政務を執り、御室御所とも言われ

ました。さすが皇室ゆかりの寺院、境内は実に広大です。

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まずは拝観受付を済ませ、御殿を見学。大玄関から白書院、宸殿などを回

廊をづたいに見学します。御殿部分は明治時代に火災で焼失したわけです

が、宸殿は大正3年、黒書院は明治42年に竣工したものと京都の寺社建築

としては比較的新しいものですが、すっかり馴染んでます。

 

所々に観光客を歓喜させる色づいた紅葉もあり。整備された庭といい、もみじと

いい「THE 京都!」って感じですね。

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左は勅使門です、右は先程くぐった仁王門。宸殿からは池越しに五重塔が見え

る絶景。浄土いるかのようなスンバラ式風景っす。

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御朱印もこちらでいただきました。御室御所バージョンもあるやうです。

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再び参道に戻り、中門をくぐると左手には御室桜が広がります。丈が短く

遅咲きの桜として有名。春になるとさぞかし絶景でせう。また右側には

寛永21(1644)年建立の五重塔。先程御殿から見えたものですな。

逓減率が少ないプロポーションが特徴。

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そして最深部には金堂があります。阿弥陀三尊像を祀る内部は残念なが

ら非公開。

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なんとも雅な建物と思ってたら慶長年間に建てられた旧紫宸殿とのことで、

現存するものとしては最古で国宝にも指定されています。もともとは檜皮葺

だったさうで、さぞかし雅な建物だったやう。 

 

金堂の西隣には重文の鐘楼とさらに隣には同じく重文の御影堂が建ちます。

仁和寺は真言宗御室派の総本山ということもあり、弘法大師がお祀りされて

いるわけですね。その南には観音堂。内部には十一面観音像と二十八部衆像が

祀られその姿は、CANONのCMで放映されるなど圧巻です。

 

最後は霊宝館を見学。国宝の阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像や吉祥天

立像などが展示されていました。一番良かったのは宇多法皇の肖像画かな。

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一通りの参拝を済ませ、仁和寺前から市バスに乗り、丸太町河原町へ。思ったより

バスの時間がかかり、最終目的地の京都市歴史資料館へ閉館40分前くらいにと

うちゃこ。

わからないこともあったんで職員に質問すると、閉館時間が迫っているためか、

なんともつれない対応(^_^;)。最後を除けばすべておkな1日でしたね。

2020年10月11日 (日)

伊勢下町散歩

9月最終土曜は伊勢市へ。今回も王道コースではなく、これまで行っていなかった

伊勢市の名所散歩。

近鉄伊勢市駅から北東方向に歩くこと10分少々、河崎町へ。

外宮の門前町山田に商品を卸した湊で「お伊勢さんの台所」

と称された町。現在も昔の町並みが残ります。

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こんな感じの妻入りで軒下には雁木板、そして出格子をもつ独特の

建築様式。赤福本店でもおなじみですね。

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北の端にある右の建物は伊勢河崎商人館として開放され内部も見学

できました。

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江戸時代から酒問屋を営んだ小川商店を開放したもので、明治時代の母屋の他に

土蔵や洋室、収蔵庫、文庫など多数の建造物が千平米の敷地に残っています。

こちらでは昭和50年初期までサイダーを造っていたさうで濾過施設や検査室など

も残っていました。

また内部は河崎ゆかりの資料も展示されており、日本最古の紙幣である山田羽書も。

1610年頃山田の町衆により作成され、その後250年近く流通したさうです。

なかなか興味深い展示が多く、楽しかったですね。

 

そして今回河崎を訪れた目的のもう1つがこちら。

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古本屋ぽらんさん。郷土資料が充実しており、欲しい本もゲットできました。

また行きたい!

 

さて古市をあとに南下。参宮線のアンダーパスしますが、ひくっ(^_^;)!

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ランチは宇治山田駅の南にある名店まんぷく食堂へ。クラブ帰りの学生などで賑

わってました。一時半でしたがまだ行列がありましたもんね。そしてこちらの名

物が唐揚げ丼。

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うまかったがちょい胡椒が辛かったかな。次回は胡椒抜きで!

 

お腹もくちくなったところで、久々に外宮にもお参りしました。

やはり神宮、このご時世ですが、参拝者は多数です。

神宮の森に入るなり、空気が変わりましたね。

「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」です。

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外宮参拝後は神路通りを進み、別宮である月夜見宮にも参拝させていただきました。

外宮の別宮の1つで御祭神は月夜見尊と月夜見尊荒御魂で、天照大神の弟神で夜ノ食

国(よるのおすくに)を治めた神様です。

鳥居をくぐるとまもなく正面に拝殿があり、東隣には高河原神社も。こちらのお宮が

特徴的なのは周囲に堀がめぐらされているのが特徴的でした。

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月夜見宮の西側を街ブラすると旧御師丸岡惣太夫邸が。現存する御師のお屋敷

とか。さういやブラタモリでも出てたなぁ。残念ながら内部は見学はできません

が雰囲気は味わえましたのでじゅうぶんかな。

奥には慶応時代以來の玄関、台所、母屋などが残っているさうです。

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また近隣の伊勢市立図書館で郷土資料も閲覧。さすが北畠氏ゆかりの資料が

たんまりとありましたね。またゆっくり見に来たい。

図書館の運営はTRCに委託されているみたい。ブルーのポロシャツで一目瞭然で

すね。図書館の委託は時代の流れ。窓口業務は仕方ないわな。

 

図書館をあとに、うらのはし商店街や高柳商店街、しんみち商店街にも足を伸ばし

ました。商店街、特にアーケード街を歩くのは好きですね。

イオンなどは画一化されたお店ばっかですが、味のある地元のお店がやっぱいい。

いずれも意外と大きな商店街でびっくりしちゃいましたが、ほとんど閉店してい

たのが残念。これも時代の流れか。

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旅の最後は外宮前の参宮テラスでコーヒーとカステイラをいただきました。

少々値ははりますがゆっくりできてええかな。赤福ばっかりも飽きるしね。

 

 

 

 

 

 

2020年3月24日 (火)

京都神仏霊場めぐりから壬生界隈

先週の日曜日は京都へ。京都も今はコロナ騒ぎで空いているということで

急遽発向。案の定、近鉄もガラガラ。竹田から地下鉄で一気に今出川へ。

まずは駅前にある神仏第98番の大聖寺へ。

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普段は拝観できないんで、こちらはぜひこの機会にと。

門を入ってすぐ右手にはこんなものも。

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こちらにはかつて義満が築いた花の御所があったところ。12代義晴の

代までこちらで幕政が執られていたやうです。

さて大聖寺の開基は光厳天皇の妃日野宣子。寺は室町時代に転々としますが

江戸時代に現在の地に移転したとのこと。御寺御所と称される尼門跡寺院でも

あります。

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さて拝観料を支払い、一緒に朱印もいただきましたが、悲しいかな書

置きだけです。せっかく来たのに、なんだかなぁ(-_-;)。

内部も写真撮影はできない、あと解説がなく、なんだかよくわからなかっ

たというのが正直な感想。まあお寺なんで仕方ないかもしれませんが、

特別「公開」なんだからねぇ、もうちょっと工夫してほしい。

 

さて今出川からバスに乗り、東行です。銀閣寺道で下車し、久々の慈照寺を

目指します。途中のお土産屋もコロナの影響下閑散。手持ち無沙汰な感じで

した。

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商店街のどんつきにあるのが神仏霊場第109番慈照寺。こちらを参拝する

のは中学校の遠足以来かしらねぇ!?

慈照寺は相国寺の山外塔頭の1つで、足利義政の隠棲するための山荘

(東山殿)として文明14(1482)年から浄土寺のあった地に造営を開始。

15年に常御所、18年に持仏堂としての東求堂が完成しますが、観音殿

(銀閣)が完成したのは義政の死後でした。

  

総門を右に曲がると銀閣寺垣の続く参道が伸びます。中門で拝観料を払う

とすぐに右手に慈照寺の目玉である観音殿(銀閣)が現れます。

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連並ぶ花頭窓のある2Fは観音菩薩を祀る16畳の唐様仏殿。一方

1Fは8畳の心空殿と6畳の居間からなる書院建築と実に対照的。この

あたりは金閣と同じですね。銀閣はこの地で新造したわけでなく、

費用を抑えるため移築したものですが、実に風景によくなじんでました。

金閣も嫌いじゃないが、やっぱシックな銀閣が好きだな。

 

境内に広がる錦鏡池の周囲には銀閣のほか、江戸時代に再建された

方丈、さらにその隣には銀閣と同じく国宝指定の東求堂。

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東求堂の東北側にある書院が同仁斎。四畳半に一間の付書院と

半間の違い棚からなり、和室の原点となるもの。残念ながら

中は見学できませんが、さういや教科書に載ってましたね。

 

東求堂の前からは銀沙灘、向月台越しに銀閣を再度拝むことができます。

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ちなみに銀沙灘と向月台は白川の白石を用いて作られているとか。

美しいぜ。

東山側には遊歩道ができており、義政が利用したお茶の井などもあ

りました。

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また少し登れば、京都の街も一望。絶景かな。

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久々の参拝でしたが、これぞ京都のお寺感満載の慈照寺に

癒やされました。

 

さて慈照寺前から哲学の道を南下。ウォーキングする地元の人の他、

欧米人の観光客がちらほら。こちらも空いていますね。

南禅寺から金地院を経て地下鉄蹴上にとうちゃこです。

 

地下鉄で二条駅へ。三条通商店街をぶらぶら。三田村邦彦の旅番組なんか

でよく出てますが、思ったより寂れてるねぇ。近くには六角獄舎跡も。

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安政の大獄以降、政治犯が多数収容され、禁門の変により火が

獄舎に迫った際は、平野国臣をはじめとしたたくさんの尊皇攘

夷の志士たちが斬られたさう(^_^;)。

 

こちらの近くには餃子の王将1号店がありましたが、大行列で

断念。

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四条大宮駅まで軽くランチを済ませ、西に進むと新選組ゆかりの地に

とうちゃこ。

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こちらは新選組の屯所の1つであった旧前川邸。西隣には旧八木邸もあ

ります。八木邸は見学できるんで見てみたかったんですが、お抹茶付き

の見学券しかなくパス。新選組ゆかりの壬生寺にお参りしました。

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京都では珍しい律宗。正暦2(991)年創建です。

本尊は延命地蔵菩薩で古来より地蔵信仰で有名。また都の裏鬼門にあたることから

厄除開運の寺となったさう。  

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本堂は1965年の再建と比較的新しいもの。有名な壬生狂言が行われる

大念仏堂は重要文化財に指定されていますが、残念ながら見学はでき

ませんでした。

 

また新選組が、武芸や大筒の兵法調練でこちらの境内で利用したこと

から境内には壬生塚なる新選組ゆかりの遺跡も。

200円払うと壬生塚を見学でき、塚には近藤勇の胸像や芹沢鴨と平山五郎

のお墓などもありました。

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また阿弥陀堂の地階には歴史資料室もあり、新選組のパネルや皇室の

拝領品や仏像などもあったり、いろいろ見どころありましたね。

こんど来るときは、是非壬生狂言を見てみたいな。

 

そんなこんなでいい時間。二条まで再び歩き、定番の志津屋でお茶をし

久々の京都ご朱印めぐりは終了したのでありました。

 

 

 

 

 

 

2020年2月29日 (土)

西国第23番 勝尾寺から緑地公園

先週の土曜日は久々の西国二巡目再開です。北千里から阪急バスで一路目

指します。千中からたくさん乗客が乗り込んできましたが、チャイニーズ

などもおりビックリ。途中、車窓には北急の延伸線の工事も。山道に入り、

くねくね道を行くことしばらくとうちゃこです。

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応頂山勝尾寺。創建は神亀4(727)年の僧善仲、善算が草庵を結んだことに

はじまり、その後開成皇子(光仁天皇皇子)がこちらで修行したさう。

平安時代になり、清和天皇は座主であった行巡上人に病気平癒のため、山を

降り宮中祈祷を依頼するが、上人はこれを断ったため、勅使は激怒した。

すると上人は宙に浮き、勅使を驚かせたという。上人の力に驚いた天皇は、

山中での祈祷を認め、やがて病気も平癒したという。天皇は朝廷の力も

及ばなかったことから「勝王寺」の名前を与えたという。その後、王の字は

恐れ多いことから現在の寺名に。

 

境内はこのように山肌に広がりますが、意外と開けていることにびっくり。

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山門をくぐり、坂道と階段をずんずんと進みます。途中だるまが多数。

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勝だるまといい、勝尾寺はその名からも「勝運の寺」として

著名で、勝負事など必勝祈願し、勝てばこちらに奉納するさうです。

さういや昔、うちにもこちらの勝だるまがありましたが、奉納する

ことはなかったなぁ。

さらに階段をのぼると色鮮やかな本堂が目の前に広がります。

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こちらの本堂と山門は慶長8(1603)年に秀頼が寄進したものださう。

塗装が丁寧に塗り直されているのでそんな古いように見えませんでした。

けど文化財指定されていないのが不思議。桃山期の巨大本堂なのになぁ。

境内最古の薬師堂は残念がら修理中で見学できず残念!またの機会に!

 

読経後、御朱印をいただきました。やっぱこちらも人が多いですが、3人

体制でさばいてました。出口には喫茶やお土産コーナーを扱った売店も。

なかなかお寺のグッズも充実していましたね(^_^;)。

それにしても意外な参拝者の多さにビックリ。受験シーズンというのも

あるんかなぁ!? 

 

バスで千中までもどり、北急で緑地公園へ。駅前のおしゃれ中華でランチ後、

服部緑地にはじめて行きました。

こちらでは日本民家集落博物館へ。建物を見るのは好きなんでねぇ。

園内には12棟ほどの建物が点在。うち3軒が重文にも指定されています。なかで

も気になったのがこちら。

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信濃秋山の民家で、壁面にも茅を葺くなど一見日本民家っぽくないぞ。

壁の茅は夏は薄く、冬は厚く葺いたさうです。

内部も土座住まいといって、土間の上に茅束を敷き、その上に蓆をおいて

生活したさう。建物も掘立柱であるなど、まるで大きな竪穴式住居みたい

で独特。

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ただ床下がないのですきま風も吹かず、囲炉裏の熱が床に直接伝わるなど

部屋内は温かったようで、上越地方では明治までこの形式はつづいたさう。

 

ほかにもうちおろし板をめぐらした十津川の民家や飛騨白川郷の合掌造の民

家などたくさんありました。ただどれも結構傷んでたのがちと気になった。

また園内には梅園があり、梅の花が満開で実に美しかったですね。

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帰りはそのまま御堂筋線で。淀屋橋odonaの地下でお茶をし、久々の西国巡礼は

終了しました。

 

2019年11月24日 (日)

佐竹本三十六歌仙絵巻から祇園界隈

先週の日曜日は京都へ。「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を

見学に京博に発向。

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もともとは秋田藩の佐竹の殿様の持ち物ですが、佐竹家が明治に入り台所事情が

厳しくなったことから売りに出すが高価なため、最終的には益田鈍翁らが絵巻を

分割することで、分割購入することで海外への流出を止めたとのこと。

絵は藤原信実、書は九条良経。ちなみに三十六歌仙は藤原公任が平安中期に選出

したとのこと。

正直、あんまり興味のない分野なんで三十六歌仙の中でも知っているのは、柿本人麿や

在原業平、紀貫之に小野小町などわずかでしたが、細かな筆致には目を見張りましたね。

 

さて京博を満喫したあとは大和大路をぼちぼち北上。秋の庭園特別公開寺宝展を開催し

ている正伝永源院へ。こちらは建仁寺の塔頭の1つで、元は正伝院と永源庵の2つから

なるさう。

永源庵は無涯仁浩が開山で細川頼有と師壇関係を持ったことから以後、細川家ゆかりの

塔頭となったさうです。よって境内には細川家の供養塔も。

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また正伝院は鎌倉時代に創建。大坂冬の陣後、織田有楽斎が再興しており、こちらを

中心に有楽斎は茶人として活躍。庭には現在は名古屋に移築されている国宝如庵み

茶道に邁進したようです。現在は庭園には如庵の写しが。

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織田有楽斎の墓所もありました。

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寺宝としては狩野山楽の蓮鷺図や織田有楽斎肖像などがあるそうですが、そちらは

展示されてなかったなぁ(^_^;)。正直、これが見たかったんやが、ホムペをよく見

たら展示してないと書いってあったさかい、仕方ないか。

庭のもみじもイマイチでしたいし、ちょっと不完全燃焼やったな~。

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帰りは烏丸高辻の高木珈琲で自家製プリンと珈琲をいただき、京都をあとに

しました。

 

 

2019年6月30日 (日)

夏越の祓いと大阪G20

昨日は夏越の大祓イブということで生国魂神社へ。茅の輪をくぐり、

お参りさせていただきました。

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ランチは久々に心斎橋の魚重本店。ここの鉄火丼は天下一品。

ボーナスも出たんで張り込んで10枚盛りを頼んじゃました。

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相変わらず美味しかった!

 

ランチ後は、まんだらけで「信長の忍び」をゲットしたり、

スカイオでおちゃしたり。スカイオの10Fから見た当日の

景色はこの通り。

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G20開催により阪神高速は通行止め。車ゼロは新鮮でした~。

さういやサミットのせいかどこも空いていたな。こちらも

ある意味新鮮でした~。

 

2019年6月 9日 (日)

王龍寺と順慶ゆかりの寺+曜変天目茶碗

昨日は朝より阪奈道路経由で富雄の王龍寺へ。

近くですが場所が場所だけになかなか行くことができなかったん

ですが友人が車を出してくれようやくの参拝です。阪奈道路からは

飛鳥カントリークラブを経由し南門にとうちゃこです。

途中、ゴルフ場の中を走るというのは新鮮な気分です。

 

もともとは聖武天皇の勅願寺であったようですが、元禄2(1689)年

郡山城主本多忠平により堂宇が整えられたようです。宗派も黄檗宗に

改宗されたそう。

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本堂は円窓で支那風。内部も土間であるなど禅宗様ですね。本尊は磨崖仏の

十一面観音像。拝観口から少しだけですが確認することもできました。

南北朝期の貴重な仏像でした。

 

大和文華館を見学。文華館は展覧会のタイトルどおり、ちょっと!?いや

かなり地味な展示でしたが。

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まあ、こちらで考古は珍しく新鮮といえば新鮮でしたがぁ。

 

お昼は市街地に入り、奈良女でらんらんランチ。土曜日は

一般開放されており、普通に地元民も来てましたね。

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これで550円。ココットのデザート付き。お腹いっぱいになりました~。

 

やすらぎの道を南進し、伝香寺へ。

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来歴は上記のとおり。昔は常時公開してなかったイメージですが、

大和地蔵十福の霊場になってから公開するようになったのかな?

ということでこちらの参拝も初めてだったりします。

境内には筒井家総菩提所ということで筒井氏関係の遺構が多数あり。

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こちら↓は順慶の母堂芳春尼の墓塔。

天正13(1585)年、若くして没した順慶の菩提を弔うため、正親町天皇

の勅許を賜り、実円寺をを再興し、伝香寺を建立しました。

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順慶の木造を祀る順慶堂も。こちらは昭和58年、筒井家の同族会により

木造ともに建立されたそうです。

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こちらが重文の本堂。

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一間の向拝を持つ寄棟造の本堂は再興時のもの。中には方広寺大仏の

モデルになった釈迦如来像が安置されているそう。

隣には通称はだか地蔵とも称される春日地蔵が安置。こちらは重文

指定。扉越しに拝むことができました。着物を着せられた珍しい

お地蔵さんです。

ほかにも境内には、大坂城の礎石や奈良三名椿の1つ武将椿など

いろいろ見どころ多数でなかなか見ごたえがありましたね。

 

奈良町の十輪院も参拝。こちらは久々です。

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重文の南門をくぐると国宝の本堂が現れます。

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鎌倉初期の建物で寄棟造。高さが5.68mと実に低い。床下も低くまるで

住居のような造りです。本尊は石仏龕で本堂は本尊を拝むための礼堂

とのこと。もともとは露天の地蔵のみあり、覆屋ができ、礼堂ができま

した。石仏龕には屋根や門にあたる部分には金剛力士像が彫られるなど

じつによくできておりました。また地蔵は平安期に作られた古式のもの

で錫杖を持たないのが特徴です。いろいろお勉強になりました。

 

お寺巡りの後は奈良博の「国宝の殿堂 藤田美術館展示」へ。

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現在は改装中の藤田美術館の至宝がごそっと奈良博に。改装前に一度

行き、目玉の曜変天目茶碗や国司茄子茶入も見学しましたが、奈良で

もう一度(国司茄子は残念ながら来てなかった)!

曜変天目は特別ブースが誂えられ、照明も効果的にあたられ非常に

美しかった。教科書でおなじみの「紫式部日記絵詞」、精緻な絵が美しい

「玄奘三蔵絵」など。どれも見応えたっぷりでした。藤田美術館が再オー

プンしたら是非とも行きたいですね。

 

2019年5月12日 (日)

10連休最後のお出かけはフェルメールから

10連休最終日から2日前の5日はフェルメール展からスタート。朝なら空いて

いるということで友人の車で9時過ぎには阿倍野入り。車はキューズモールへ。

30分ロハ、5千円以上の買い物でさらに2時間ロハでした。

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19年ぶりに大阪市立美術館で再会です。今回は青いターバンの少女は

来ないようで。

フェルメール(1632-1675)は、風俗画を穏やかな光の表現を用いた

作品を残したことで有名、光の魔術師とも言われます。現存するのは35点

しかなく今回はそのうち6点が大阪に上陸です。

 

予想通り、館内は思ったより混んでなく、ちょっと待てば最前列で

見れました。作品は全49点、最後にフェルメール6点を展示。

「マルタとマリアの家のキリスト」と「取り持ち女」以外は50センチ

四方程度の小さな作品。フェルメールまでの作品は、依頼者にオーダー

されて描かされる作品が一般的であったようですが、フェルメールの

作品は完成作品が市場に流通されていたこともあり、小ぶりなものが多い

のが特徴。画面は小さいですが、窓から差し込む光や描かれた人物のま

なざしに魅了されましたね。またどの絵も家具や服まで実に細やかに描か

れており当時の風俗がよくわかりました。さて次に見れるのは何年後の

ことやら。

 

フェルメールの後は友人の神仏霊場めぐりに同行。

まずは近くの阿部野神社。

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北畠神社にもある顕家公像。もう一体は霊山神社にあります。

本堂裏にこんなものも。

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マツケンは大屋政子に引っ張ってもらったのかな!?大屋政子

事業グループは今でもあるのでせうか!?

 

阿倍野から南田辺へ。法楽寺に参拝です。

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境内には大楠が生え、都心にあるにもかかわらず、オアシス的

な感じで癒やされました。三重塔は平成の建造。木造で圧巻です。

 

車なんで機動力あり。太子町の叡福寺にも参拝しました。

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こちらは西方院からみた境内の様子。左から多宝塔、金堂、南大門の甍が

見えます。金堂のさらに奥には聖徳太子の御廟所である磯長廟があります。

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廟は横穴式石室を持つ円墳形式で、聖徳太子のほか、妃である膳部大郎女と

母である穴穂部間人皇后が葬られています。その後、太子を慕い空海や親鸞、

叡尊なども参籠。太子信仰の中心となりましたが天正2(1574)年、信長の

兵火にかかり、灰塵と帰します。その後、順次再興され、現在の姿にまで蘇っ

たようです。

 

お太子様のお寺ということで観光バスなど多数の方が参拝に来られてまし

た。

 

府道703号線で穴虫峠を越えて最終目的地である屯鶴峯へ。奈良人ではあり

ますがこちらは初めて。駐車場に車を止め、数分歩くととうちゃこ。

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思ったより白い(・o・)!あと観光客おおし(・o・)!

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白い岩肌は凝灰岩ださうで、風化水蝕により渓谷となった県の天然記念

物です。他の見学者のように下まで降りでみたいのですが、岩肌が崩れや

すく、柵もないこともあって下手すると滑落しそうで、こちらは遠目に見

学してました(^_^;)。

 

下には防空壕もあったようですが、暑さにまた場所もはっきりわから

ないこともあって断念。その後、行き方を先達に聞きましたが行くなら冬

とのことでした。行くかなぁ(^_^;)!?

 

そんなこなんで時間はすでに5時前。最後は広陵の粉もん屋八の本店でお好み焼き

で締め、gw先後の遠出を満足のうち終了しましたぁ。

 

 

 

2019年5月 6日 (月)

和歌山バス鈴木紀行

令和2日目は2日ぶりの和歌山市。今回は南海の和歌山観光きっぷ(往復版)で和歌山入りしまし

たが、切符売り場が大行列。お蔭で予定のサザンに乗り遅れ予定は大ぐるい。次回からは気をつけ

なあきませんわ。

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予定修正後の第一発目は和歌山県立博物館の「特別展仏像と神像へのまなざし」を見学。

奈良に住む人間としては仏像は山程見ていますが、神像というのは珍しい。奈良博で

休ヶ岡八幡宮の僧形八幡神像はよく見てますがね。

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特に熊野速玉大社の夫須美大神坐像、熊野速玉大神坐像、家津御子大神坐像

の国宝三神像の揃い踏みは圧巻でしたね。珍しく写真撮影もおkでした。

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観光きっぷは和歌山バスも乗り放題ということで、県庁前から海南駅行きのバスに

乗車したけど大混雑。殆どはマリーナシティで降りましたが、それまで座れず

クタクタ😭。こんな利用があるならもっと増発しろよ~。海南駅についた頃は

お客は二人だけでした。

駅前でランチをし、駅から歩くこと15分。藤白神社にとうちゃこです。

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景行5年に鎮座したとされた古社で祭神は饒速日命に熊野坐大神、

熊野速玉大神、熊野夫須美大神、天照大神。平安時代以降、熊野信仰

が高まると熊野の一ノ鳥居そして熊野九十九王子の1つ藤白王子が建

てられたという。

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鈴木氏発祥の地とも言われ、境内にはこのような看板も。事務所の人にも

いきなり「鈴木さんですかぁ?」とか呼びかけられるし(^_^;)。

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境内中、鈴木さん一色やぁ。

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鈴木氏はもともと熊野に住したが、平安末期にこの地に移り住み

熊野詣の先達を務めたという。源義経の家臣鈴木重家と重清も

こちら出身だとか。

近くの鈴木屋敷には義経ゆかりの松もありましたね。

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ただ屋敷はボロボロ。間もなく解体して文科省の補助金を得て

再建されるそうです。完成した見に来たい!

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御朱印をいただき、しばし海南市街をぶらぶら。

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中心部の一番街は閑古鳥。寂しいねぇ。ドムドムがあったり、

なんかいろいろと時代を感じちゃいました。

 

ふたたび和歌山バスに乗り、和歌浦で下車。鈴木氏ゆかりの雑賀城

へ。妙見山という山にあり、てべんちょには養珠寺のお堂がありま

した。

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その北側の平坦地が千畳敷と呼ばれ、かつて雑賀城の主郭があった

らしいですが、藪だらけで何がなんやらぁ。遺構もへったくれもないのは

仕方ないが、せめて看板ぐらいほしいなぁ^^;。

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さらに蚊もいっぱいおったので早々に退散です。再びバスで和歌山市駅へ。

再び1時間に一本のバスで市民体育館前で下車。

3つ目の鈴木氏遺跡、中野城址です。

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信長の天正5(1577)年の雑賀攻めの舞台となった城。先程訪れた

雑賀城は鈴木重秀の居城と言われているけど、信長公記には出てこず、

こちらが登場しています。

 

信長は浜手と山手に兵を分け、進軍。浜手の滝川一益、明智光秀らの軍勢は

孝子峠を越え、当城を包囲。雑賀衆も頑張るが2月28日に開城したいう。城跡

からは銃弾も発掘されるなど、かなりの激戦が繰り広げられたんでせう。

 

城址はスーパーオークワの駐車場の北側にあり、畑がかつての堀跡と

される。石垣は後世のものであろう。平城のため、往時の様子は

偲ぶすべもないが、こちらで雑賀衆が激闘を広げたと思うと感無量

である。

 

帰りは和歌山バスで和歌山大学前駅へ。拙子が学生時代は駅すら

なかったのに、駅前にはイオンまでできて大発展してました(・o・)。ま

たバスは大学も経由、進学することはなかったですが、久々にこちらも

見学でき懐かしかった。

 

バスで縦横無尽。和歌山バス鈴木紀行でした。

 

 

 

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