カテゴリー「奈良ならでは!」の51件の記事

2020年9月15日 (火)

西和図書館三昧

9月頭は王寺町立図書館で調べ物を済ませ(いや済ますことはできなかったのだが(^_^;))、

三郷へ。マンホールカードを町立図書館で配布しているということで、立ち寄った次第。

しかしながら、なんと品切れとのこと( ゚д゚)!1ヶ月ちょいで捌けたみたい_| ̄|○ il||li。

 

仕方なく駅前をぶらっと歩くと、かわったものを発見!

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かつての東信貴鋼索線の車両です。信貴山参拝のためのケーブル線として

大正11年に開通しましたが乗客減を受け、昭和58年に廃止されました。

どうも最近この地に設置されたみたいですが、疫病のおかげで残念ながら

内部見学はできませんでした。なんかけふはついてないぜ(T_T)。

 

当日は車での訪問だったため機動力をいかし、せっかく三郷にきたんで

龍田大社へも足を伸ばしました。こちらは風の神さんで有名。

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ちなみに水の神さんが河合の廣瀬大社で火の神さんが生駒の往馬神社です。

往馬だけは明治の社格は県社ですが、さきの2つは堂々の官幣大社です。

当日は終戦記念日から千個の風鈴を飾った風鈴祭も。

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有名なのは7月に行われる例大祭の風鎮大祭ですが(^_^;)。

龍田大社の創建は崇神天皇の御代といい、祭神は天御柱大神、国御柱大神。

別名志那都比古大神、志那都比売大神で風の神さんですね。

龍田から西に進むと亀の瀬を抜け、河内国へ。ちょうどこの谷に風がよく

吹くため、風の神さんが鎮座したような話を聞いたような・・・。

 

拝殿でお参り。拝殿の奥には祝詞殿さらにその奥に春日造の本殿が並列に

並ぶそうですが、そこまでは残念ながら拝めず。

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また拝殿横では神楽殿が解体修理されいました。当日も猛暑でしたが、身も心

も清々しくなりましたね。

 

帰る前にもう一箇所。隣の平群町に新しい図書館ができたそうなんでそちらもつ

いでに見学。

なにもない駅前のロータリー横にバカでかい箱物が(^_^;)。公民館なども併設

されていましたが、きょうびこんな箱をつくるとは平群町おそるべし。図書館は

なかなかかわいいものでしたが、この街の規模ならこんなものが妥当かな。

そんなこんなで、はからずも図書館三昧の一日となりました。

2020年5月31日 (日)

地元再発見!

ようやく非常事態宣言が解除されましたが、まだまだ県外に行くには

時期尚早。ここんとこのご近所散歩の履歴を。

 

まずは4月、病院の帰りに立ち寄った富雄丸山古墳。

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高校の友人が近くに住んでおり、よく桃鉄とかゲームしにいったっけ。

けど古墳にくるのははじめて。

 

平成29年の奈良市の調査で、円墳の直径は110mで三段からなる日本

最大級であることがわかり、注目を浴びたことで一躍有名になりま

した。といっても、近くで見たらただの森でしたが…。

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GWは、生駒駅から宝山寺までウォーキング。途中、参道の階段は綺麗に整備

され、歩きやすくなりましたが、整備されすぎてちょっと味気なくなったかも

(^_^;)。

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コロナ騒ぎの最中なんで、空いてると思いきや三重など県外ナンバーが来て

結構混んでいましたね(*_*)。帰りの参道で発見した看板。

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いつの時代かはわかりませんが、なんか怪しさ爆発。ぐぐって見たら九大の研究所も

会社も実在するようですが、やっぱちょっと怪しげ・・・(^_^;)。

 

そして先週は、県立図書情報館が再開されたので、帰りに今奈良で一番、ホットでクールな

場所にも。

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コンベンションセンターに併設された施設に蔦屋書店が!ついに奈良にも上陸。

予想通り、こちらは結構な人。スタバの席はいっぱいでしたね。

西大寺のジュンク堂書店よりも大きく、スタバで本を読みながらゆっくりできる

のはいいですね。ただ駐車場の無料は1時間までなんで要注意!

 

6/19には県境超えも許されそう。もうしばらく近所で地元再発見を続けることとし

ませうかね~。

 

 

 

2020年4月12日 (日)

河内田原城界隈

コロナで遠くもいけず、悶々とする日々の中、今週と先週と二週にわたり

四條畷市にある田原城跡を登城。

江戸末期に作成された「上田原明細帳」によると戦国期、三好長慶の被官

であった田原対馬守が在城したお城のやうです。

 

城へは北と南から登城可能。住宅の裏にあるため、登城口はややわかりにく

いですが、このやうなちこっとした看板があるのでそれを便りに進めば、大

丈夫です。

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住宅と畑の間を抜けること進むと登城口に。四條畷市が設置した解説板が

あり縄張図も確認できます。

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さらに看板の指示に従い進むと、東郭を右にてみてすぐに本丸にとうちゃこ

します。3分程度なんですぐ。

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本丸の平坦地には、お社と城址のどでかい看板があります。

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眼下に広がるのは上田原の町で麓には北谷川沿いに古堤街道が走るなど、

この地が交通の要所であったことがよくわかります。なかなかの絶景。

 

本丸をあとに東郭の麓までもどり、右折し今度は堀切道をすすみます。

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左手には二の丸があり、脇道から登ることもできますが、郭には竹が生

い茂り、ともてやないが見学はできさうにありません(^_^;)。堀切道

をさらに下ると右手上方に本丸が、そして左手下に水郭が見えてきます。

水郭には現在も井戸が残り、周囲は水がついてじっとっとしていま

したね~。

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そのまま北に進むと北谷川にかかる橋から古堤街道にでます。

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道を戻り、直進。坂を登り、右手の土手の上の道を進むと裏山郭にとうちゃこ

です。一番奥にはお地蔵さんがあり、南に進むと西砦へ。こちらも竹林となって

おり、これといった遺構はないですが、城域が広大であったことにびっくりしま

したね。

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城跡の北側、古堤街道を挟んだ丘の上には千光寺跡があるので(ちょうど

四條畷消防署田原分署の隣側)、そちらにも足を伸ばしました。

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千光寺は田原対馬守の菩提寺で、もとは阪奈サナトリウムの駐車場にあったよ

うですが、こちらに遺構が移築展示されています。

 

遺跡からは礼幡と記されたキリシタン墓碑も出土し(郷土資料館展示)、礼幡は

対馬守の洗礼名とされています。三好長慶はキリシタンにも寛容で、多くの被官

がキリシタンとなり、彼らは河内キリシタンと言われたそうです。遺跡展示場から

南側を望めば、先程訪れた田原城跡を眼前に望むことができました。

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そんなこんなで田原の里の歴史散歩は完了。早くコロナ騒動が収束し、また遠出した

いもんですわ。

 

 

 

 

 

2019年11月 3日 (日)

御即位記念 第71回正倉院展

今年の正倉院展は御即位記念ということで東博でもやってるさうな。

しかし、東京は1700円(´゚д゚`)!奈良は1100円やさかい、さすがの

東京価格やな。それでもたくさんの人が来るんでしょう。

 

さて会場が空く夕方までの時間は奈良公園をぶらぶらし、高畑にある

不空院を初参拝しました。

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重文の不空羂索観音菩薩像を本尊とする真言律宗の寺院です。奈良の有名な

寺院に隠れて拙子もぜんぜん知らなかったわけですが、不空院、結構奈良ゆ

かりの色々な人物や建物と接点が多かったりして。

鑑真は一時こちらに住んでいたいみたいやし、南円堂の雛形が作られたのも

こちら。また西大寺の叡尊も不空院で衆生に戒を授けたとか。そんあ歴史が

あったとは!

 

当日は内部拝観も。こちらの不空羂索観音菩薩像は三月堂、南円堂とともに

三不空羂索観音とのこと。一面三目八臂で手には羂索や半ば開いた蓮の花を

持ち衆生を救済してくれます。ありがたやありがたや~。

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本堂の裏には井上内親王の御霊塚がありました。

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井上内親王は聖武天皇の皇女で斎王を経て光仁天皇の皇后となりましたが、天皇を呪詛した

嫌疑で廃された上、後年幽閉され失意のうちに没しました。奈良町の御霊神社にお祀り

されてますね。

 

さていよいよメインの奈良博へ。16:45の入館でしたが待ち人なし。

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内部は意外とすいてるど(・o・)!鳥毛立女屏風も6面でてましたが

それで壁面まる1面使ってるし、なんか会場の広さに比して展示物がスカ

スカ(^_^;)。そりゃ空いてるわけや。

 

見どころは螺鈿箱や粉地彩絵八角几かな。螺鈿や彩絵のグラデーション

はスバラ式世界でしたが、全体的に今年は地味やったかな。

あと点数がなんと41点(-_-;)。昔は70点くらいあったよな。値段はあんま

かわってないけど、これじゃあ実質値上げや~。来年はもうちょい

点数を増やしてほしいど~。

 

2019年5月30日 (木)

三つ唐臼(三碓)界隈

富雄に鎮座する添御県坐神社を参拝。前々から存在自体は知ってたん

ですが訪問するのは初めて。

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式内と書いてますが、歌姫にも同名の神社があるようで、こちらも

その論社の1つのやうです。

鳥居をくぐり、上り坂の参道を進むと。

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左に行くと根聖院。もとは神仏混淆で神社と一体やったやうですね。

こちらはあとで訪問します。まずは右の階段を登り添御県坐神社へ。

「そうのみあがたにいますじんじゃ」と読みます。もともとこの辺は

添郡と呼ばれ、添郡の県に鎮座する神社という意味ださう。県とは

朝廷の直轄地らしい。

 

社殿は西向いて鎮座。南やないんですねぇ。

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その奥には覆殿の下に五間流造の立派な本殿が。重文にも指定されて

います。建立は永徳3(1383)年とかなりの古建築。しかし覆屋のおかげ

で保存状態はよしです。北側、福神宮の前から本殿は見学することができ

ます。

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三棟の流造を連結した形で千鳥破風が印象的でした。三棟それぞれには

主神の建速須佐之男命と武乳速命(たけちはやのみこと)、櫛稲田姫命

をお祀りしています。

 

境内は広く南側から東に進む山道を進むと天香久山神社や竜王神社があり

ました。大きな楠が生え、ここが都会の中とは思えませんでしたね。

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さてお隣の根聖院へ。北和霊場第三十三番札所です。

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こちらの境内には面白いものが。

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奈良時代の唐臼のようで、米をこれで搗いたとか。天面に2つの窪みがあ

り(もともとは3つ)、この3つの唐臼(碓)を見た聖武天皇がこの地を三

碓(みつがらす)と命名したとのこと。

 

地元民としては読みこそ知ってましたが、その難読地名の起源がわかり、げきか~

んでした。

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2019年3月31日 (日)

続宇陀散歩

先々週に引き続き先週土曜日は再び宇陀へ。今回も先週同様、橿考研の本村先生に寄る宇陀市

歴史文化講演会「宇陀三将の城」。会場のある宇陀市立中央公民館は駅から離れた大宇陀にあ

るということで、車での遠征となりました。

桜井から途中朝倉台を通りましたが、なかなかすごい住宅やね。老後大変そう(^_^;)。

 

講演会は13:30ということでとりあえず観光。まずは沢城の近くへ。城を訪問する時間が

なかったので城下の記念碑のみの見学。沢城には永禄年間、高山飛騨守や右近がいたことも

あり右近像がありました。

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城攻めはこんどゆっくりあらためて。

 

さて公民館のある大宇陀へ移動。こちらは国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されて

いるだけあって町並みはなかなかです。

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ただ電信柱があったりするなどもうちょっと整備してほしいところ。あとお店とか

もうちょっとあるといいね。人があまりにいなくてビックリしたさかいなぁ。

町並みの北端には慶恩寺があり、こちらは宇陀三将の一人秋山氏の菩提寺ということも

あり、お参りさせていただきました。秋山宗旦のお墓もあるらしいですが、よくわかんな

かったですね。

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今回の講演の舞台でもある松山城へは徒歩15程度ということなので千軒舎から舗装された道を

えっちらおっちら。しかも舗装路だけあって非常に楽ちん。途中から山道に入りますが、それ

も間もなく城の入り口である雀門跡にとうちゃこです。

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城は破城されたこともあり、石垣は点々と残るのみですが、破城の様子がよくわかる貴重な

例です。前回の講演でもありましたが、角を潰すことが特徴のようですね。

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また去年の台風の影響か、結構郭が崩落しブルーシートがかけられていたのはちと

悲しい。早く保全してほしいですねぇ。坂道を登り、本丸郭にとうちゃこ。

その先には天守郭の石垣があります。昔はこの上に天守が建っていたとのこと。

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今は面影はないですが、天守郭からの景色は最高でした。

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無事城攻めを終了し、下城。コンビニで軽く昼飯を済ませたあと、いよいよ会場の公民館へ。

参加者は先週と違い、ジジイばっかりでしたね(^_^;)。県主催と市主催ではこんなちがう

もんかぁ。

講演内容は前回同様赤色立体地図がメイン。もうちょっと城史や三将について取り上げてほし

かったぞ~。

帰りは宇陀名物のきみごろもをゲットし、二週連続の宇陀散歩は終了しました。

 

2019年3月18日 (月)

宇陀散歩

昨日は宇陀文化講座に参加するため、室生口大野まで。会場は旧室生高校。
雨の降る中登る坂道には難儀しましたね(;´Д`A ```。
 
奈良県南東部の考古・美術(1)「宇陀松山城と沢城」を聴講。北畠マニアとし
ては是非聞きたかったんで。
 
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50分と短時間で2城を取り扱ったため、大した内容はなかったですが、赤色立
体図の素晴らしさはよくわかりましたね。角度が変えれるとはびっくり!
 
お昼からの内容は興味がなかったんで榛原に移動。駅前でうどんを食べ、
市立中央図書館で調べ物。沢城や高山右近関係の資料が充実してました。
 
榛原は車ではよく通りますが、歩いてブラブラするの初めて。ちょうど
図書館の横には伊勢本街道が走っており、風情のある町並みが現存。
榛原が宿場町とは知らなんだぁ。
 
途中こんな建物も。
 
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ちょうど伊勢本街道と伊勢街道(阿保越)の分岐点である札の辻前にある
旧旅籠です。
かつてはその名の通り油屋で途中から旅籠に。現在は母屋しか残ってませんが
かつては後ろにもさらに屋敷があったさうです。
 
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大坂から伊勢を目指す際、一泊目は奈良、そして二泊目は榛原で取ることが
多かったようでかなりの賑わいを見せたようです。
ボラガの人にいろいろ教えていただきました。
 
伊勢本街道を南に進むと宇陀川にぶち当たります。川の向こうに鎮座する
のが墨坂神社。 
 
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第10代崇神天皇の御代に疫病が流行った際、天皇の夢の中に神人が現れ、
赤盾8枚、赤矛8竿を墨坂の神に祀れとお告げがあり、御勅祭したところ、
病は静まったという。古事記にも記載があるなど、古代より信仰を集めたこと
がわかります。
 
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祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐命、伊邪那美命、
大物主神の六神で総じて墨坂大神というさう。
 
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古事記も認めた霊験あらたかなお社に一年の平穏を祈念し、宇陀路をあとにし
ました。
次回は今回の知識を頭に入れて、沢城跡にもいってみたいぞ。
 
 

2018年11月30日 (金)

旧奈良監獄

先週の金曜日は奈良坂にある旧奈良監獄へ。事前に前売券を販売しており、指定時間
にいったら大行列。しかも1時間前の人もまだ入っていない始末。なんじゃそりゃ~
(@Д@;。
 
40分ほど待たされようよう入館です。
 
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内部も大混雑(^_^;)。ちょっと爪長すぎちゃいまっか~。
 
さて旧奈良監獄は明治政府が監獄の国際標準化を目指して計画され、1908年に
完成しています。千葉、金沢、長崎、鹿児島とともに五大監獄と言われているさう。
当時、日本は不平等条約を結ばされており、特に領事裁判権を回復する上で、
法制度の整備と監獄の近代化が喫緊の課題であり、その成果の1つださうです。
 
建物はロマネスク調のレンガ造り。設計は司法省営繕課の山下啓次郎。なんと
ジャズピアニスト山下洋輔のおじいさんださうな。山下洋輔のイベントが行われて
いた理由にガッテンです(゚0゚)!
 
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重厚なレンガに花崗岩のアクセントが美しい庁舎です。
 
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こちらは中央看守所。ドーム状の屋根が美しい。中央ライトの下には看守の
立つコーナーが有り、ここから5方向に伸びる舎房が一望できます。こういう形態を
ハビランドシステムというさうな。
 
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舎房は2層にからなり、左右に独房が並びます。下から見るとこんな感じ。
 
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独房の中を覗いてみると。
 
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ダンボールの中はトイレです。それにしても驚いたのが、独房前のこの張り紙。 
 
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商魂たくましすぎますね!誰が利用すんねんと思っていたら1組だけ利用してまし
た(^_^;)。
 
他にも性格診断や矯正展など色々イベントも行われましたが、どこもごった返して
てゆっくり見れませんでしたね。
 
外には隔離病舎や奈良奉行所にあった牢舎なども展示されていました。
こちらは隔離病舎。芸も細かい建物です。
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そして、こちらは牢舎。
 
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天井が低く圧迫感ありました(^_^;)。
 
なんやかんやで替える頃は日が傾いてました。
 
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ライトアップされた表門は実に幻想的。
 
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数年後には、ハイカラなホテルになってるんでせうなぁ。新生奈良監獄にも期待です!
 

2018年6月10日 (日)

唐古・鍵遺跡

<div>昨日はレスティ唐古・鍵へ。まだできて新しいということもあり、結構な人で賑わっていましたね。それにしても田原本で豚!?

 
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道の駅にしては珍しく、多層フロアです。まあ町の中の道の駅ということで
スペースがあんまりとれなかったんでせうが。 
レジでマンホールカードをゲットし、、隣接する唐古・鍵遺跡史跡公園へ。
 
前は荒野の中にぽつんと復元楼閣だけ建ってましたが、遺構展示情報館のほか、
当時の環濠や柱などが復元されてました。
 
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唐古鍵遺跡は弥生時代(紀元前6~紀元3頃)の集落跡で近畿では最大級。甲子園
十個分の広さがあるさう。
 
シンボルは楼閣。こちらは土器片に描かれたものをもとに復元さえたものださう。
 
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反り返った屋根飾りや欄干の鳥の飾りなどなんとも不思議な建造物。見飽きない
様式美ですね。ただ池上に作られたコンクリート製の基礎はちょっと興ざめでした
がね。
 
隣にはこんなものも。 
 
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海軍柳本飛行場を守るための高角砲。古代と近代の遺跡が共存する遺跡公園で
した。
涼しくなったらまたゆっくり見学に行きたいかな~。

2017年11月12日 (日)

生駒山麓で懐かしき車両と遭う!

一昨日は入江泰吉旧宅と正倉院展、昨日は龍谷ミュージアムの地獄絵ワンダーランド
展と南船北馬。
 
金土に豪華ランチとディナーで散財したんで、けふは一転地元の生駒山麓公園へ。
高校以来の訪問。ポケハントも訪問の理由やったんですが、一番の目的はこちらの
物件です。
 
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生駒鋼索線コ1型です。生駒ケーブルといえば、1918年開業の日本最古のケーブル。
こちらの車両はそれから10年後、最初の車両の部品を使って製造された車両で
2000年までの82年間、現役で働いてきた車両ですw(゚o゚)w。
小生にとって生駒ケーブルといえばこの車両。色は青色でしたがね。正直今のブルや
ミケはどっぴき(;´∀`)。先頭に貨車をつけて走っていたのが懐かしいなぁ・・・。
 
内部も見学できます。一部椅子が取り外されるなど、改造されていましたがほぼ原
型かな。 
 
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椅子も木造。屋根には扇風機と時代を感じさせてくれました。
 
近代化産業遺産にも指定されるこの車両。郷土の大切な遺産として大切に守り継い
でいきたいものです。

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