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2022年5月10日 (火)

雲伯征伐1日目=月山富田・広瀬編=

GWは出雲路へ。こちらも株主優待消化の一環で、この時期は桐谷さ

ん状態(^_^;)。

岡山まではみずほで、岡山からは初乗車となる陰陽連絡特急やくも

です。

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やくもといえば381系、最後の国鉄型車両です。40年くらい前に

くろしおで乗って以来かなぁ。とにかく懐かしい。内装もレトロ

そのものでした。

 

途中まで高梁川を眺めながら北上。中国山地をトンネルで抜け、鳥取県

に入ると今度は日野川に沿い一路米子へと下ります。右手には名峰大山

も。離合するため運転停車も2,3度しました。伯備線は電化してますが

線のローカル線なんですよね。列車は2時間半程度で安来駅にとう

ちゃこ。駅ではさっそく山中鹿介のイケメンキャラがお出迎えです。

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ここからはイエローバス(安来市コミュニティバス)に乗り換え。

バスに乗り30分弱、市立病院前で下車。飯梨川を渡ると右手には

天下の名城月山富田城が現れました。

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郭に翻る幟が実にかっこよし!まずは麓の資料館でお城のお勉強

です。

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こちらでは城の復元模型があり、ばっちり城のイメージが掴めます。

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山中御殿あたりを拡大するとこんな感じ。

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月山一帯に多数の郭が築かれていることがわかります。その数は500近

くにのぼるとか。守りは鉄壁で大内義隆、毛利元就、山中鹿介に辛酸を嘗め

させたことに納得です。さて予習を済ませ、いざ登城。登り口はお子守口、

菅谷口、塩谷口とありますが、今回はお子守口の伝塩冶興久墓からスタート

です。

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坂を登り始めますと左手には馬乗場郭が見えます。郭内はこんな感じ。

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細長い郭でかつては馬場があったのでしょう。さらに登り、尼子神

社を左手に曲がると太鼓壇に接続し、まもなく山中鹿介幸盛祈月

像が現れます。

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尼子再興に生涯をかけた忠臣ということで、戦前には教科書にも

その逸話が掲載されたとか。「我に七難八苦を与え給え」の名文句

は今でも有名です。奥書院を通過し、坂を登りきると花の壇につき

ます。

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こちらには屋敷が復元されていました。武将の生活の場であったようで、

掘立柱建物跡が発掘されたそうです。なお花の壇という名称はこちら

に花が植えられていたとか。花の壇とその奥の郭は巨大な堀切で切断。

そしてその奥に広がるのが山中御殿です。

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先程、3つの登り口があるといいましたが、いずれもこちらに集約さ

れるさう。周囲には石垣も整備され、堀尾時代のものださう。

こちらで標高は81m。資料館から既に55m登っています。

御殿跡の礎石も残り、尼子時代からこちらに当主の生活の場があったようです。

塩谷口の虎口には立派な石垣が築かれていました。

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そしてここからいよいよ本丸を目指すことになります。まず攻略せねば

ならぬのが七曲り。一見絶壁を登るようで気が遠くなりさうですが(^_^;)。

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しかし、その実態はコンクリの階段が整備されており、実に登りやすい。

まあ、少々味気ない気もしますが・・・。

途中には山吹井戸があります。難攻不落の理由がここに!

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坂を登りきれば三の丸下に。三の丸は立派な石垣の上にあります。

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三の丸に登れば城下から中海、日本海まで一望。絶景かな絶景かな!

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更に進めば二の丸。本丸との間にはまた巨大な堀切があり、二の丸側

には石垣がもかれています。頂上の郭はかなり近世の手が入っている

ようです。

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そして最奥の本丸。こちらには尼子氏も崇敬した勝日高守神社が

祀られていました。

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本丸で標高190m。麓からは164mの比高となります。城址は道も整

備されていることもあり、現在となっては難攻不落ではなく、ハイキ

ングコースとなっており、歴史ファンならずとも人気にスポットのようで

した。帰りは忘れずに山中御殿下の大土塁も見学。

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土塁の裏には空堀も築かれるなど、ほんと守りは鉄壁ですね。

とてつもなく巨大な城ということがよくわかりました。

 

土塁を抜け、ひたすら山中を下ります。しばらくすると左手に

堀尾吉晴の墓と山中鹿介供養塔がありました。

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鹿介供養塔はこの左奥に。吉晴は月山富田から松江に本拠を移しますが、

こちらに葬ってくれと遺言し、墓がこの場所に建てられたようです。

巌倉寺を通過し、最後は千畳平を見学し無事下城しました。約1時間45分の

行程でした。

広瀬松平氏の菩提寺城安寺をお参りし、山中鹿介屋敷跡も見学。こちらは

石碑があるだけでちと残念でしたね。

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後半は江戸時代の城下町となった広瀬へ。市立病院のある一帯がそうです。

町は大正時代の大火で焼亡したようですが、それでも雰囲気のある街並み

が残ります。

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山陰独特の赤瓦が美しい街並み。

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町の最深部には陣屋跡があります。

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広瀬藩は松江藩の支藩で初代松平直政の子近栄が寛文6(1666)年に立藩。

広瀬は3万石の陣屋町として栄えました。近世になってもこの地はそれだけ重

要やったということですね。

近くの洞光寺には尼子氏の名を全国に轟かせた梟雄経久の墓も。左が経久で、右は

父清貞の墓です。

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他にも経久像や晴久墓なども見たかったのですが、残念ながらここで

時間切れです。

再びイエローバスに乗り、宿のある米子に戻りました。

コミュニティバスなのに県境を越え、さらに1時間近く乗っても200円

というのがすごかった(^^)!

 

米子駅近くのビジネスホテルにチェックインし、ディナーは近くの当たり

前田カレーで大山どりチキンカツカレー。美味しかった! 

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そんなこんなで盛りだくさんの1日目終了です。

 

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