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2022年5月の3件の投稿

2022年5月25日 (水)

雲伯征伐2日目=米子・安来編=

2日目、天気は曇天。近畿以東は雨ということですがこちらも正直

微妙。朝はいつも通り早く目が覚めたので、コンビニで買った朝飯

を食らい、雨が降る前に宿のレンタサイクルを利用し、米子のまち

を朝駆け。

 

米子にはかつては出雲街道が通り、街は大いに賑わってたさう。

その名残をところどころの商店街にみることができましたが、今と

なってはどこも苦戦気味です。

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地方には珍しい高島屋も健在でしたが、周囲は閑散としており、なんでこんな

ところに百貨店があるのって感じ(*_*)。

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加茂川沿いにはチコットですが、風情のある蔵屋敷のある街並みも

残っていました。

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近くには重要文化財になっている後藤家住宅もあります。今でも

お住まいのため、内部は見学はできないので外から。

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江戸中期に建てられた海鮮問屋の屋敷だそうです。寺町も雰囲気が残っ

ていましたね。

 

さて、いったんホテルに戻りチェックアウト。ホテルの近くでこのよう

なものを発見!

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日ノ丸自動車法成寺鉄道線の客車。明治20年のイギリス製で四輪木製

三等客車としては現存最古ださう。だいぶ改修されているようですが

鉄道の街に相応しいものです。

 

歩くとしばらく本日第一の目的地にとうちゃこ。

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米子市立山陰歴史館です。明治5年に建築された旧米子市庁舎を利用し、

内部には米子市の歴史資料を展示。もちろん米子城に関する展示も。

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左は四重櫓に掲げられていた鯱とのこと。右は試作品です。

ダンボールで作られた天守と四重櫓の力作も!

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二階には弓浜絣や鉄道の町に関するテッチャンの大好きな資料も多数展示

されていました。ちなみにこの博物館。数年前までは冷房器具がなかった

さうです(^_^;)。

 

歴史館を出るとついに恐れていた雨がパラパラときましたので図書館へ

とりあえず避難。2Fの地域資料コーナーで米子城関連の資料を読み漁ります。

それでもまだ雨はやまず、すこし早いですが先にランチへ。

近くの米蔵というお米が売りのお店で大山ポークのランチをいただきました。

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五穀米も美味かったです。お腹もくちくなって外に出るとようやく雨があ

がり、いざ本日のメインディッシュの米子城跡へ。

 

米子城は応仁の乱の頃、山名氏の築城を起源とし、本格的な造成は秀吉の命

により月山富田に入った吉川広家によるもの。関ケ原の合戦後は、中村一

忠(一氏の子)が入り、慶長7(1602)年頃に完成したやうです。中村氏の

あとは、加藤氏、池田氏が入り、最終的には池田氏家老の荒尾成利が米子城

預かりとなり、11代を経て明治に至ります。

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現在駐車場となっているこちらはかつての三の丸。さて脇の枡形から登城し

ます。

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二の丸には小原家長屋門があります。だいぶくたびれているやう

ですが、かつて城下にあった荒尾氏の家臣小原家のものを移築。

米子に残る唯一の武家屋敷遺構として貴重な存在です。

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庭球場となっている二の丸の脇を通過し、山道をのぼると米子城

名物の登り石垣が現れます。本丸の遠見櫓までをつなぐ巨大なもの。

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防御は鉄壁です。さらに右にすすめば内膳丸跡へ。かつては二重櫓

数棟が設けられ武器庫となっていたやう。

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中村時代に横田内膳正が造ったことからこの名前になりました。さういや

朝方に訪れた寺町の妙興寺には内膳のお墓がありました。

再び道を戻り、さらに坂をのぼると番所跡に。正面には階段状に積み上が

る本丸石垣がどーんと広がります。一番上が天守台です。

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左手に回ると四重櫓の石垣と鉄門の虎口へ。

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虎口を抜けると本丸の郭にとうちゃこ。

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こちらからは市街地から中海も一望でき、米子城の地勢が一目瞭然。

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中海に面した御船手郭(深浦)の方に抜ける途中には水手御門跡もあり

ました。

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本丸をグルッと回り、御船手郭にもなにか遺構があるかしらと訪れ

てみましたが、特に見当たらず。その代わりにこのやうなものを

発見!

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入江選手も米子城址でもトレーニングしていたのかなぁ。

 

城址をあとにかつて内堀だった内堀通を歩き米子駅へ。ここからは

鈍行に乗り再び安来へ向かいます。

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米子発出雲市行きの列車は全線電化路線を走るにも関わらず、キハ47の気動

車です。国鉄DC好きとしては嬉しい限り。安来は隣駅です。

 

再びの安来駅から、この日は昨日と反対の海側へ。安来港を右手に眺めなが

ら歩くこと10分ちょいで本日のデザートにとうちゃこ。

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和鋼博物館です。中国山地の良質な真砂砂鉄を原材料にたたらで生産される

和鋼の博物館です。江戸時代後半には全国シェアの80%が出雲で生産された

とのこと。また先程通った安来港は和鋼の積み出し港でもありました。内部に

は模型などでたたら製鉄を紹介。

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まず土で炉を作り、砂鉄と木炭を30分ごとに入れ、横のフイゴから空気を送

ります。三日三晩寝ずにこの作業を続け、砂鉄を溶かすことで和鋼のもととな

鉧(ケラ)を作ります。なんとも気の遠くなるような地道な作業。しかも、

砂鉄10t、木炭12tでできるはわずか2.5tとのことです。

しかしこの製法による鉄は良質とのこと。の中でも特に良質のものは玉鋼

といい、最上級の日本刀の原材料となりました。その輝きは50年ももつさう!

明治になり西洋式の製鉄技術が導入されると、たたら製鉄は衰退しますが、改良が

加えられ現在もその技術は培われています。

 

さてクイズに答えると景品があたるということで、挑戦。回答の上、くじを

引いてみるとなんと当たり!?であったみたい。3000円相当のネクタイピン

をゲットしました。鋼!?製のどじょう。安来らしい(^^)。

 

そんなこんなで二日間の予定はすべて無事終了。帰りももちろん特急やくも。

なんと国鉄復刻色で欣喜雀躍!山陰紀行の締めに相応しい車両にめぐりあえ、

満足満足でした。

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ここんんとこ旅行は上洛中心でしたが、地方もいいものとしみじみ

感じた次第です。次はどこにいかうかなぁ。

 

 

2022年5月10日 (火)

雲伯征伐1日目=月山富田・広瀬編=

GWは出雲路へ。こちらも株主優待消化の一環で、この時期は桐谷さ

ん状態(^_^;)。

岡山まではみずほで、岡山からは初乗車となる陰陽連絡特急やくも

です。

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やくもといえば381系、最後の国鉄型車両です。40年くらい前に

くろしおで乗って以来かなぁ。とにかく懐かしい。内装もレトロ

そのものでした。

 

途中まで高梁川を眺めながら北上。中国山地をトンネルで抜け、鳥取県

に入ると今度は日野川に沿い一路米子へと下ります。右手には名峰大山

も。離合するため運転停車も2,3度しました。伯備線は電化してますが

線のローカル線なんですよね。列車は2時間半程度で安来駅にとう

ちゃこ。駅ではさっそく山中鹿介のイケメンキャラがお出迎えです。

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ここからはイエローバス(安来市コミュニティバス)に乗り換え。

バスに乗り30分弱、市立病院前で下車。飯梨川を渡ると右手には

天下の名城月山富田城が現れました。

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郭に翻る幟が実にかっこよし!まずは麓の資料館でお城のお勉強

です。

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こちらでは城の復元模型があり、ばっちり城のイメージが掴めます。

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山中御殿あたりを拡大するとこんな感じ。

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月山一帯に多数の郭が築かれていることがわかります。その数は500近

くにのぼるとか。守りは鉄壁で大内義隆、毛利元就、山中鹿介に辛酸を嘗め

させたことに納得です。さて予習を済ませ、いざ登城。登り口はお子守口、

菅谷口、塩谷口とありますが、今回はお子守口の伝塩冶興久墓からスタート

です。

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坂を登り始めますと左手には馬乗場郭が見えます。郭内はこんな感じ。

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細長い郭でかつては馬場があったのでしょう。さらに登り、尼子神

社を左手に曲がると太鼓壇に接続し、まもなく山中鹿介幸盛祈月

像が現れます。

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尼子再興に生涯をかけた忠臣ということで、戦前には教科書にも

その逸話が掲載されたとか。「我に七難八苦を与え給え」の名文句

は今でも有名です。奥書院を通過し、坂を登りきると花の壇につき

ます。

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こちらには屋敷が復元されていました。武将の生活の場であったようで、

掘立柱建物跡が発掘されたそうです。なお花の壇という名称はこちら

に花が植えられていたとか。花の壇とその奥の郭は巨大な堀切で切断。

そしてその奥に広がるのが山中御殿です。

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先程、3つの登り口があるといいましたが、いずれもこちらに集約さ

れるさう。周囲には石垣も整備され、堀尾時代のものださう。

こちらで標高は81m。資料館から既に55m登っています。

御殿跡の礎石も残り、尼子時代からこちらに当主の生活の場があったようです。

塩谷口の虎口には立派な石垣が築かれていました。

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そしてここからいよいよ本丸を目指すことになります。まず攻略せねば

ならぬのが七曲り。一見絶壁を登るようで気が遠くなりさうですが(^_^;)。

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しかし、その実態はコンクリの階段が整備されており、実に登りやすい。

まあ、少々味気ない気もしますが・・・。

途中には山吹井戸があります。難攻不落の理由がここに!

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坂を登りきれば三の丸下に。三の丸は立派な石垣の上にあります。

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三の丸に登れば城下から中海、日本海まで一望。絶景かな絶景かな!

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更に進めば二の丸。本丸との間にはまた巨大な堀切があり、二の丸側

には石垣がもかれています。頂上の郭はかなり近世の手が入っている

ようです。

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そして最奥の本丸。こちらには尼子氏も崇敬した勝日高守神社が

祀られていました。

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本丸で標高190m。麓からは164mの比高となります。城址は道も整

備されていることもあり、現在となっては難攻不落ではなく、ハイキ

ングコースとなっており、歴史ファンならずとも人気にスポットのようで

した。帰りは忘れずに山中御殿下の大土塁も見学。

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土塁の裏には空堀も築かれるなど、ほんと守りは鉄壁ですね。

とてつもなく巨大な城ということがよくわかりました。

 

土塁を抜け、ひたすら山中を下ります。しばらくすると左手に

堀尾吉晴の墓と山中鹿介供養塔がありました。

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鹿介供養塔はこの左奥に。吉晴は月山富田から松江に本拠を移しますが、

こちらに葬ってくれと遺言し、墓がこの場所に建てられたようです。

巌倉寺を通過し、最後は千畳平を見学し無事下城しました。約1時間45分の

行程でした。

広瀬松平氏の菩提寺城安寺をお参りし、山中鹿介屋敷跡も見学。こちらは

石碑があるだけでちと残念でしたね。

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後半は江戸時代の城下町となった広瀬へ。市立病院のある一帯がそうです。

町は大正時代の大火で焼亡したようですが、それでも雰囲気のある街並み

が残ります。

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山陰独特の赤瓦が美しい街並み。

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町の最深部には陣屋跡があります。

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広瀬藩は松江藩の支藩で初代松平直政の子近栄が寛文6(1666)年に立藩。

広瀬は3万石の陣屋町として栄えました。近世になってもこの地はそれだけ重

要やったということですね。

近くの洞光寺には尼子氏の名を全国に轟かせた梟雄経久の墓も。左が経久で、右は

父清貞の墓です。

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他にも経久像や晴久墓なども見たかったのですが、残念ながらここで

時間切れです。

再びイエローバスに乗り、宿のある米子に戻りました。

コミュニティバスなのに県境を越え、さらに1時間近く乗っても200円

というのがすごかった(^^)!

 

米子駅近くのビジネスホテルにチェックインし、ディナーは近くの当たり

前田カレーで大山どりチキンカツカレー。美味しかった! 

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そんなこんなで盛りだくさんの1日目終了です。

 

2022年5月 7日 (土)

旅引付と二枚の絵図が伝えるまち+さの町散歩

4月三周目は南海の株主優待をはくため、向かった先は泉佐野駅。

数年前に犬鳴山温泉に来て依頼の訪問です。

以前はなかった駅の真ん前に、いや隣接して!?ホテルが建設中

でした。駅がすっぽり覆われて外からは見えない(*_*)。

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それはさておき、駅の東側に歩いて15分程度にまずは本日のお勉強

です。

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一度は財政再建団体に陥っただけあって泉佐野市の歴史館はネーミングラ

イツ!

タイトルのとおり戦国時代の泉佐野市日根野には元関白の九条政基が16

世紀初頭に荘園のあった日根荘に数年間滞在し、当時の日根荘について日記

(引付)と地図を残しています。史料から中世荘園の景観を体感できる場所

として日本遺産にも登録されているさう!

歴史館は模型やパネルが中心でしたが、当時の日根荘についてわかりやすく紹

介されていました。

 

予習も済んだところで市役所前からコミュニティバスに乗車し、いざ日根荘へ。

なんとバスはロハではないかぁ!一度は再建団体に陥ったあの泉佐野市がですよ!

まあこれも、ふるさと納税で逆襲した証かねぇ。総務省にも裁判で勝ってたし。

バスはJR阪和線を越え、久の山で下車。歩くこと数分でこちらにとうちゃこ。

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日根神社。かつては大井関大明神と称し、日根野氏の氏神で和泉五社に

数えられる延喜式内社です。旅引付にも登場し、政基卿もお参りしたこ

とでしょう。戦国時代には焼失しますが、秀頼が再興しています。

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そして隣接するのが神宮寺であった慈眼院です。こちらが今回のメイン。

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白鳳時代の創建とされるが詳細は不明。寺院名の慈眼は政基の院号である

さう。九条家とのゆかりを感じさせます。もともとは無辺光院と呼ばれていた

みたいです。

 

さて拝観をお願いしようと思ったが受付がない。常時の受付はなく、寺

務所のピンポンを押すパターンでした。観光寺院ではないのですね。

さて寺務所で拝観料を払い、係の人の案内でいよいよ境内へ。

門をくぐって、すぐ左手には重要文化財の金堂。

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そして右手に隣接して多宝塔があります。文永8(1271)年に建て

られ、こちらは国宝に指定されています。

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軸部が細くスラッとしたプロポーション。下層は幅2.7mしかありません。

かつては金堂のすぐ横にあったようですが、明治時代の解体修理の際に現

在の場所に移築されたようです。

内部には平安時代の大日如来が祀られ、三賀日は拝観することができるさう。

新緑が鮮やかで、そこにひっそりと建つ瀟洒な堂宇にすっかり心癒やされました。

 

慈眼院をあとに、歩いて数分の総福寺天満宮へ。

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こちらの本堂はわずか一間の春日造でほんとちっちゃいですが、安土桃山

時代の建造でこちらも重文です。このように日根荘には現在も往時の遺構

がたくさん残っておりげきか~んしました(これらは遺構のほんの一部!)。

帰りは南海バスで泉佐野駅へ戻りますが、もちろんこちらは有料です。

駅前でランチを済ませ、午後からは駅の西側を攻めます。

 

駅西は熊野街道が通りさの町といわれ、現在の泉佐野市の元とな

ったところ。江戸時代には廻船業や醸造業、綿織物業で栄えたこもあり

かなり立派なお屋敷が残っています。

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かつての醤油業を営んでいた旧新川家住宅は開放されており、

内部を見学することができました。200年前の建物ださう。

食い違い四間どりなど特色ある建造物となっていました。

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町は迷路状になっており、望楼のある家などなかなか魅力的な

街並みです。

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そしてこちらがかつての食野家跡。

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食野とかいて「めしの」と読むらしい。廻船業で財を成し、天保7年の

日本長者分限帳によれば大関にランキングされ、鴻池や三井と並ぶ大豪商

でしたが、幕藩体制がゆるぎ始めると各藩への貸付なども踏み倒され、

すっかり零落したさうです。盛者必衰の理をあらはすですかなぁ。

 

普段は関空や和歌山に行く際に通過するに過ぎない泉佐野ですが、日根野や

さの町は国宝から古い町並みを残す見どころ満載の町であることを再発見

できました。財政債権もスラバらしく、最後は平成の泉佐野再興の功労者

の市長でおしまいに(さういや結構ふるさと納税させていただきました!)。

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