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2020年12月21日 (月)

防州紀行【その2-三田尻から山口へ】

昨晩の宿は久々のアパホテルでしたが、ベッドはスプリングもよく、ふんわり

したものでなかなか良く眠れましたね。朝は近くのマクドに行きましたが、こ

ちらはイマイチ。近くに大好きなドトールがなかったしね~。

 

土曜の朝一は三田尻の英雲荘へ向かいました。三田尻茶屋とも呼ばれ萩往還の終

点にあたります。

三田尻には御船倉があるなど、毛利水軍の根拠地でもあり、参勤交代時は、こちら

から藩主は船で瀬戸内海を上るなど、毛利藩の交通の要所でもあったさう。

三田尻御茶屋は藩主の休憩時や迎賓館としても利用された公館の1つで、現存する

大変貴重なものださうです。

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茶屋は承応3(1654)年に2代藩主綱広が設置、その後拡張され、7代重就の

時代に最大規模を誇ったやう。また重就は隠居後こちらに居住しました。13代

敬親の代にほぼ現代の大きさになったやうです。

文久3(1863)年の七卿都落ちでは、三条実美らがこちらに滞在し、奇兵隊が

これを護衛するなど、歴史の舞台にもなる重要な遺構です。

  

さてお茶屋は玄関棟、大観楼棟、奥座敷棟、台所棟からなります。大観楼棟は

天明期、奥座敷棟が明治31年、玄関と台所棟が大正6年に竣工されたもので

いろいろな時代の建築様式を見学できるのも魅力です。こちらは大観楼の2F。

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欄間といい、出入口の形状といい趣向がこられされおり、豪華絢爛

たる造りです。奥の扁額は三条公によるもの。

1F廊下の杉戸も見どころの1つ。18世紀の書家三井親和のもので

す。

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また壁紙には沢瀉(おもだか)の模様が。一文字に三ツ星と同様に毛利家の

家紋ださうです。

さて建物を庭園からみるとこんな感じ。大観楼棟だけは檜皮葺で復元されたようです。

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戦後は進駐軍に接収されていた時期もあり、館内はダンスホールとして畳も剥が

されるなどの改造を受けたようですが、現在は明治から大正期の姿に復元されて

います。

非常に見どころがいっぱいの毛利氏の遺構でしたが、他に見学者は誰もいなかっ

たなぁ。まあ朝早かったからかな!?

 

さて防府駅に戻り、山陽本線と山口線を乗り継ぎ、県都山口へ。山口線ではキハ47

にお世話になりました。製造40年近くなりますが、まだまだ山口地区では頑張って

います。カラーも首都圏色に戻されましたね。

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久々の山口市。今回で2度目です。駅前でレンタサイクルを借りますが、電動は

無し(^_^;)。おじいちゃんがやってる自転車屋さんなんで仕方ない(^_^;)!?

 

まずはランチを食べに道場門前のあかぎへ。のどぐろ定食をいただきました。

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味もよく、実にコスパに優れたお店。地元の客でも大いに賑わってました。

ここからはアーケード街を抜け、ひたすら東へ。三の宮交差点で進路を北に変える

と次第に坂道となります。山口市の北側には山が広がりますから想定内。だから

電動が良かったんだが選択肢もないだから仕方無し。途中から自転車をおり、ぜいぜ

いと押しながら山口市第一番目の目的地にとうちゃこ。

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本日の最大の目玉でもある常栄寺です。前回来た際には訪問できなかったんだよね。

常栄寺は大内政弘が妻の菩提を弔うため、康正元(1455)年に妙喜寺として建てた

もの。政弘はその際、雪舟に作庭を依頼しました。

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その庭が国史跡名所にも指定されている常栄寺雪舟庭です。

まずは本堂のご本尊さまのお参りを済ませます。振り返り本堂の正面に

広がるのが南溟庭です。

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昭和の名庭師であった重森三玲が昭和43年に作庭し。雪舟が大陸に渡った際

に見た海の風景をイメージしたさうです。小さいながらも、スッキリした美し

さが印象的。

そして本堂のちょうど反対、北側に広がるのが雪舟によるもの。

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こちらも枯山水様式ですが、900坪の広さを誇ります。地泉を中心に芝生の上には多数

の石が置かれ、これらは明で見た五台山など大陸の山々をイメージしたものとのこと。

庭園には遊歩道が整備されており、ぐるっと廻れば水平、上下方向に角度をかえて庭を

拝観することができ、これがまた一興です。

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ただお金がないのか残念な部分も見えたり(^_^;)。

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さて雪舟庭を満喫した後は、国道9号のトンネルを越えて香山公園に。

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山口といえば、やっぱ瑠璃光寺のイメージ。こちらは以前来たことはあるん

ですが、やっぱ山口に来たらいかねばね。

大内文化の最高傑作とは言われる五重塔は、もともとは大内義弘が菩提寺とし

て創建した香積寺の建造物で、義弘が堺で足利義満に滅ぼされると、その弟の弘

世が兄の菩提を弔うために建立したもの。寺は毛利輝元の代に萩に移りましたが

五重塔は残され、その後に陶氏の菩提寺瑠璃光寺が当地に移転して来たことから、

同寺の所属になったとのこと。

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檜皮葺で軒が深く、塔身は上部に行くほど逓減するスマートで優美な造形です。

 

また大内氏ゆかりといえば、こちらも2度目となる八坂神社と龍福寺にも参拝。

八坂神社は大内弘世が京都から勧請したもので、その後鎮座地は点々とし、

江戸時代末期に現在の地に落ち着いたさうです。本殿は大内時代のものが移築

されており、重文にも指定されています。本殿、拝殿、楼門が一直線に連結した

楼拝殿造と呼ばれる山口独特の造りも見どころの1つです。

 

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また境内はかつての大内氏の築山殿の跡でもあり、迎賓館として使われたさ

うです。

 

八坂神社のすぐ南には龍福寺があります。

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こちらの境内も大内氏の御殿跡。龍福寺は大内氏の菩提を弔うために弘治3

(1557)年毛利隆元が再興したものです。修復された重文の本堂は明治に大

内氏の氏寺であった興隆寺から移築したものださうです。前回訪問した時は

ちょうど修復中でしたが、一新されまるで新築のやうでした!

大内氏の菩提寺ということで境内にはこんな石碑もありました。

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「討つ人も討たるる人も諸ともに如露亦如電応作如是観」

大内義隆の辞世です。現地の解説によると「敵も味方も人の命は露のように

稲妻のようにはかないという仏教の無常観をうたった」ものださう。

一時は中国西部から北九州にまで覇を唱えたが、最後は無残な最期を迎えた

名将義隆ならではの辞世。

 

また境内の東側には以前はなかった池泉庭園が復元されていました。

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発掘調査によると館には少なくとも3つの庭園があったようで、井戸からは金箔

の貼られた土師器なども発掘されたようです。

 

数々の大内遺跡を満喫した後は、新たに出来た十朋亭維新館なども見学。江戸時代か

ら醤油製造を生業とした萬代家の主屋や離れ、吉田松陰の兄杉民が開いた私塾

などが保存されていました。

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最後は米屋町交差点近くの喫茶店で一服。地方の中心地が廃れる中、山口のアー

ケード街は空きテナントも少なくも結構頑張ってましたね。無印も昔のままあっ

たし。帰りは駅前の御堀堂で生外郎を調達し、帰路についた次第。

防府で毛利三昧、山口で大内三昧と戦国を満喫できた二日間でした。

 

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