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2017年5月の6件の投稿

2017年5月29日 (月)

藤田美術館で国司茄子茶入をみる!

日曜日は大阪の藤田美術館へ。
藤田美術館といえば藤田傳三郎とその子が収集した国宝9件、重文52件を含む美術
品を所蔵する私設美術館。こちらには世界に四つしかない曜変天目茶碗のうちの1つ
や北畠氏ゆかりの国司茄子茶入を所有していることで有名。今回は、それらが同時に
見学できるということで訪問した次第。
 
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最寄り駅は大阪城北詰駅ですが京橋駅からでも十分歩いていけます。目の前には
太閤園が。こちらも藤田男爵の邸宅の一部ですね。
美術館の庭園には高野山より移築された多宝塔があったりしてええ感じ。
 
Fuzita001
 
当日は「ザ・コレクション」として国宝4件、重文11件を含む54点が展示されていました。
 
なかでも見どころは「紫式部日記絵詞」。こちらに描かれている藤原道長は教科書で
おなじみの道長さん。また雪舟の著名な肖像画があったり。藤田美術館のコレクショ
ンが逸品揃いということがわかりますね。
 
そして美術館最大の目玉の曜変天目茶碗!その美しさは意外と・・・。正直照明が
悪くていまいちその美しさが実感できない。特に側面は学芸員さんの照明でなんと
か確認できる程度でした(^_^;)。それでも美しくはありました。
 
そして一番見たかった国司茄子茶入。おもったより小ぶりでしたが、釉なだれを含
めた落ち着きのある色合いが実に上品でよきかな。具教卿もこの茶入れを使い、
濃茶を飲んだのかと思ふと感慨深いものがありますね。
 
美術館は今回の展示を終えると、しばらく改修工事のため休業とのこと。またパワー
アップして生まれ変わる日をたのしみにしています。

2017年5月21日 (日)

虎屋でなすび餅を食す!

けふ館林では猛暑日だったさうな。京都もどうりで暑かったはずや。
龍谷ミュージアムで「浄土真宗と本願寺の名宝Ⅱ」を見学後、お西さんを少しばかり
見学。本日は、宗祖降誕祭ということもあり大賑わいでしたね。
 
さて西本願寺を後にし、五条から地下鉄に乗り、今出川で下車。烏丸通を南に歩くこ
と数分、虎屋にとうちゃこです。
 
虎屋といえば、皇室御用達。室町後期に禁裏菓子御用を勤め、御一新とともに明治帝
にお供し東京へ行きましたが、 現在創業の地にはオシャンティな菓寮が復活してい
ます。
 
店は大人気で既に3組ほど待ち人もいましたが、店内は広く10分程度座席に案内され
ました。
広くて綺麗、また大きな窓からは中庭を眺めることができるなど、心休まる空間が演出
されています。
 
Toraya29001
生菓子(外郎なすび餅)と煎茶を注文。なすび餅は外郎の皮に白餡にごまを練り込ん
だ実に上品な味わいの生菓子でお茶請けに最高!煎茶のセットで1,242円(税込)と
少々値ははりましたが、それだけの価値ありです。すっかりまったりしてしまいました。
これはリピありです!
 
帰りは烏丸御池から地下鉄に乗車しましたが、途中KBS京都!?や護王神社など
見どころも多かったですね。何回来てもあきない町が京都。さすが千年の都。奈良
とは大違いですね~。

2017年5月18日 (木)

美杉春の陣!?

今年も職場の後輩を誘い、彼の地へ。去年に続き鉄路にての訪問です。
 
1年ぶりの名松線は去年の賑わいはウソのよう、ガラガラでしたね(^_^;)。
といっても20人ぐらいは乗ってたかぁ~。うち5人程度は伊勢奥津で折り返
しの鉄人!あとはハイカーでした。みんな奥津から歩いてどこにいくんだ
らう!?
 
コルチカムの里で電動チャリを借り、伊勢本街道を快走、多気へ。北畠庭園
も相変わらずの静けさ。鮮やかな新緑に心洗われました。
 
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社務所で御札を購入したところ、面白いチラシを発見!春の陣!?
 
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名松線を元気にする会が主催するみたい。当日このイベントに鉢合わせた庭園の
見学者は、さぞかしどっぴくだらふ(^_^;)。まあ美杉町、名松線が元気になる一助に
なればいいのですがね。
 
Kokusikou29002
 
帰りの列車もガラガラ。それが美杉らしいといえばそれまでなんですがね。また来年!

2017年5月 7日 (日)

名張補遺

藤堂家邸の裏には寿栄神社があり、入り口には藩邸の太鼓門が移築されていました。

 
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間口16m、奥行き3.75mの堂々したる造りで、格子のある向かって左側は番所、
右側は供待でした。もともとは現在の名張中学の近くにあったさうです。
瓦にはちゃんと名張藤堂家の家紋である桔梗が刻まれていました。
 
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2017年5月 6日 (土)

小阪城と司馬遼太郎記念館

gwも残すところあと2日。昼からは思い立って河内小阪へ。
 
近鉄の河内小阪駅で下車し、駅前のアーケードを逸れると目の前に聳えるのが、
小阪城の大天守と小天守w(゚o゚)w。
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白亜の層塔型天守が印象的ですね!
 
大手はこんな感じ。
Kosaka002    
唐破風の大玄関に格子出窓、石垣もちゃんとあるんです(^o^)。一方搦手は普通の理容
店でした!
 
小阪城から歩くこと10分程度で司馬遼太郎記念館にとうちゃこ。
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司馬遼太郎の本はさほど読んでるわけでないんですが、やはり歴史好きとしては一度
は訪れたかったんでね。
 
記念館には旧宅があり、いや旧宅の中に記念館があるのか、庭から書斎を見学できま
した。この書斎から数々の作品が生み出されたわけですね。
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展示室内には高さ11mの壁面書架があり、これが圧巻。司馬遼太郎の蔵書6万冊の
内、2万冊が配架されていました。国史大系に国史大辞典など歴史好きファン必須の
資料のほか、司馬遼太郎の文庫本なども。
壁面はすごかったけど、それ以外の展示は少なく、こちらは物足りんかな。もっと自筆の
原稿とか見たかったな。書架を見るだけならリピはないし~(^_^;)。
 
記念館からの帰りにぶらっと立ち寄ったのが、近くに鎮座するのが弥栄神社。やさかと
読むらしい。となると祭神は素盞鳴尊!
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ここまで来ると最寄りは八戸ノ里駅で、駅名にある八戸の由来はこの神社と思ったん
ですが、どうもウィキペディアによると違うみたい。角川の地名辞典を調べねば!
 
そんなこんなで本日の街ブラは終了。名張同様、通過点にすぎなかった小阪ですが、
色々新発見も有り、なかなかおもしろかったですね~。とりあえず司馬遼を読みたく
なりました~。

2017年5月 3日 (水)

北畠具親城とリバーナ散策

gw第一日。ほんとうはお家でゆっくりするはずが、早起きをしてしましい、思い立って
城歩き、街歩きです。今回の目的地は名張!
 
近鉄で名張に昔、名張駅からはつつじヶ丘行きの三交バスに乗車。バスは途中、春日
丘の住宅地を通りますが、なかなか凄いところにお家が建っている(^_^;)。
ホントの丘の上だぁ~。
 
南五番町で下車し、つつじヶ丘の住宅を南に抜け、奈垣から長瀬の集落へ。途中、
山道で見つけた看板。
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横から見ても看板の視点があるようになっている実に恐ろしい作り。これは効果ある!?
 
さて旧国津小学校前に聳える丘陵が今回の最初の目的地北畠具親城です。
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北畠具親城は北畠具教卿の舎弟が、天正4年の三瀬の変後、奈良から伊賀に入り、
北畠氏再興の拠点として築いた城。具親は天正10年と二度に渡り信雄と戦いますが
いずれも破れ、最後は蒲生氏郷の客分となり松坂で亡くなったさうです。
 
城址へは側道の住宅の脇から登城することができます。左下に城址入口の看板有!
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あるくこと数分で城址にとうちゃこします。といってもヤブだからけで何がなんだかぁ。
縄張図は必須ですね。
 
尾根伝いに本郭を目指します。縄張図によると虎口らしいですが、あんまよくわか
んない(^_^;)。
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ニノ郭もこのとおり(;´∀`)。
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二の郭の一段高いところには主郭があり、その東端は堀切が切られていました。
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これだけはよくわかりましたね~。
とりあえずもうちょっと市が助成するなりして整備していただけるといいのになぁ~
と思いつつ城址を後にし、名張駅まで戻りました。
 
ここから名張旧市街を見学編。駅前には江戸川乱歩の銅像があります。
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名張は乱歩の生誕地。本人は生後間もなく亀山そして名古屋に引っ越したさうで、後年
選挙応援で名張に入るまではあまり縁がなかった「見知らぬふるさと」だったやう。
市立図書館に乱歩コーナーも有りましたね。
 
大阪のベットタウンのイメージが強い名張市ですが、藤堂氏の城下町ということで
風情のある町並みが続きます。あと味のあるアーケード街も( ゚д゚)ハッ!。
昭和ノスタルジ~!
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また「ひやわい」という味わいのある路地もあり、街ブラしていてもなかなか楽しめる街
です。
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江戸川乱歩生誕の地には石碑が有り、乱歩も除幕式には立ち会ったやうです。
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そして旧市街最大の見所は名張藤堂邸ですかね。
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藤堂家は高虎が津に立藩していますが、こちらは高虎の養子高吉の血流。高吉はも
と丹羽長秀の三男で羽柴秀長の養子を経て藤堂高虎の養子になったさう。高吉は
高虎の右腕として唐入りや関ヶ原で活躍。高虎が津に転封となったあとも今治に
2万石を有しますが、寛永12(1635)年、伊勢へ替地となり、また高虎の没後、実子の
高次が藤堂家を嗣ぐと、一転家臣の立場に転落し、津から遠い名張に入部させられた
さうです。
 
高吉のこれまでの経歴を見れば、織田家の重臣丹羽長秀の実子であり、また秀長の
養子であるなど天下人に非常に近い立場にあったのに、この仕打は耐えられなかっ
たんでせう、子には高虎の高を通字とせず、長を通字としたほか紋も蔦でなく桔梗で
あるなど、尽く本家とは異なる立場を貫いたさうですが、幕府よりは認めらず大名に
も列することがなかったさう。後々に両家は和睦するみたいですがね~。
 
現在の屋敷は宝永7(1710)年の大火後に再建された中奥のほんの一部。現在の
玄関も昔は表に通じる廊下だったみたいです。
 
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内部には秀吉の自筆とされる書状や甲冑など展示されており、見どころは尽きません
でしたね。また学芸員の方ですかね、色々教えていただいて非常に勉強になりました。
 
そんなこんなでリバーナの散歩は終了。名張は電車でよく通過しますが、こんなに
色々見どころがあるとは意外や意外。まさに灯台下暗しの再発見の旅でした。
さういや川崎二郎氏のポスターが変わってたな!伊賀に入るとくどいくらい国道沿いに
たってます。中井はまぐりという好敵手もいなくなり落胆されている!?
Nabari003

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