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2013年11月25日 (月)

豫州征伐記其の弐「豫州攻城記ー松山城・湯築城」(11/22)

旅2日目は城攻め。現存12天守のうち唯一攻略していないのが松山城なのだ。朝一番、

二之丸史跡庭園へ向います。二之丸は山麓に築かれた郭で高石垣の上に現在は多聞

櫓などが復元されています。もとは二之丸御殿があり、こちらで藩主は政務を執っていた

ようですが、三之丸御殿が完成すると三之丸に執務の中心が移り、こちらは世継ぎの屋

敷となったさうです。二之丸御殿は明治に焼失し、現在は部屋の間取りに水が流れる流

水園や柑橘類を植えた草花園として開放されています。

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二之丸のなかはこんな感じです。

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中には大井戸もありました。東西18m、南北13mの防火用水として利用されていたやう。

底には「恋人の聖地」との文字が(^-^;!

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二之丸を満喫し、大手道から本丸を目指します。天守は下から見ていると遥か高いところ

にあるやうに見えますが、山道はさほど険しくもなく、15分程度で到着です。

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松山城は加藤嘉明が関ヶ原の戦功により伊予20万石を賜り、慶長7(1602)年より築城を

開始。寛永4(1627)年には一応の完成をみ、本丸には5層の天守があがりました。

嘉明は同年に会津に転封し、代わって蒲生忠知が入部。忠知は二之丸を整備するなど

まちづくりなどにも力を注ぎますが病没し、嗣子がなくお家は断絶してしまいます。

3代目には松平定行が桑名より15万石で入り、以降幕末まで親藩松平氏の城下町として

松山は栄えることとなりました。

中ノ門跡からは城門と櫓の連続。下の写真は隠門で左手に筒井門があり、そちらに迫る

兵の背後をこちらからまわり急襲するというものです。

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さらに城内を進むと太鼓門があり、これをくぐるといよいよ本丸。しかし天守のある天壇ま

ではまだ距離があります。本丸内は平日なのに人だらけ。松山城の人気っぷりが伺えま

すね。本丸を進むと天壇前に料金所があり、そこにはこのようなキャラも。

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嘉明くんとのこと。松平氏じゃなくて加藤氏なんやね。流石賤ヶ岳七本槍!一ノ門前から

は天守、小天守などがよく見えます。ナイスビューですね。

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天守は現存天守で最後に竣工したもので安政元(1854)年完成。元の天守は天明4

(1784)年に落雷で焼けており、松平家は幕府の許可を得て念願かない70年後に完成を

みたわけです。松平氏の天守ということで現存12天守の中で唯一葵の紋所が使用され

ていることも特徴的ですね。

手前の小天守も天守と同じく安政元年に再興されましたが、昭和8年に放火により焼失、

43年に復元されています。

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三ノ門をくぐるといよいよ天守と小天守のある連立内へ。

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直線的な破風と下見板と漆喰のコントラスト。今まで見た城郭建築の中で一番魅力的

かもしれません。切り込みハギの石垣も美しいし。ほんと綺麗な天守です。

天守の中も特徴的。なんと天井はあるし、床の間まであるのだ。

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実用性もさながら、平和時代の天守でもあるわけです。天守からの眺望は絶景なり。

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連立している小天守、南隅櫓、十間廊下、北隅櫓などはすべて昭和の再興であるが、どの

櫓もすべて木造によるちゃんとした復元で現存の天守にすごく馴染んでいるんですね。

全然違和感なし。中をぐるっとまわれるのも楽しいし。あと館内の解説もすごくわかりやすく

勉強になりました。

 

天壇の周りはほかにも現存する乾櫓や野原櫓など多数の櫓や門が保存されています。

ちなみに城内の建造物の21棟が重要文化財に指定されています。復元されたものが

30あるようなんで、沢山の建造物がひしめき合い威容を誇る様はほんとスバラシイの

一言です。迷路のような城内の道を多数の櫓や門をくぐりながら巡れるのも城攻め感を

味わえ、圧巻でした。かえりみちでは登り石垣も。これも珍しい。

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さて松山城をあとにし、ちんちん電車で道後公園へ。こちらは伊予守護の河野氏の居城。

現在も外堀、内堀や土塁などが現存しています。

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内堀と外堀の南側は復元区域として資料館のほか、武家屋敷が整備されています。

ゆくゆくは一乗谷朝倉遺跡みたく中世城郭遺跡の代表となるやうな整備をしたいみたい

ですが、その整備にあたっては色々あるみたいです(^_^;)。展示室のおばちゃんがいっ

てた。

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館内は武連歌に興ずる武家たちの姿が展示されていました。なんとも優雅ですね。

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また土塁の一部をくり抜きその中が見学できたり、ゴミ捨て場が復元されておたり、

色々見学に工夫が凝らされており、実に楽しかったです。土塁の中なんて普通みれへん

もんね。

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まだ未調査の丘陵部や西部、東部の発掘調査を進めて一大中世城郭公園として復元

展示してほしいですね。

ちなみに河野氏とはもとは風早郡に本拠をおいた一族で、鎌倉幕府の有力御家人として

台頭するが承久の乱で零落、しかし元寇で活躍しお家を盛り返し、南北朝には河野通盛

が湯築に本拠を移し、伊予を支配しました。しかし1585年に羽柴方の小早川隆景により

城は包囲され、当主であった通直は開城。湯築城には福島正則が入り、その後加藤嘉明

の入部により湯築城は廃城となったやうです。






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