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2012年3月の6件の投稿

2012年3月23日 (金)

目指せ!鹿児島 西日本横断ブログ旅

終わっちゃいましたなぁ。とりあえずおつかれさんです、

早希ちゃん。

けど、なんか最後は呆気なかったわ。最後の最後にもう

ひと波乱あってもよかった(^Д^)!?

 

 

それにしても今度は欧州横断!?一体どうなるの?

4月からのロケみつ、楽しみです。

2012年3月20日 (火)

神仏第114番 行願寺

行願寺というより革堂として有名なお寺ですね。
京都の街ん中にあります。
西国札所としても知られており、小生もその際に一度訪れました。

御池通から寺町通を北に行くこと10分程度で行願寺に到着します。
このあたりまで来るとさすがに繁華街から離れているので静かで
すな。同じ寺町通でも四条とは大違い。ひっそりとした街中に山門
がひっそり立っています。

Kodo01

行願寺は寛弘元(1004)年に行円が一条小川に創建。京の人々に
崇敬されるが度々の災厄に見舞われ、宝永5(1708)年に現在の地
に遷ってます。

Kodo02
本堂は文化12(1815)年に再建されたもの。正面の千鳥破風と唐
破風の組み合わせが美しい。行願寺は石碑にあるとおり革堂とも
呼ばれており、これは開創者の行円が子を孕んだ母鹿を弓で射て
しまい、これを悔いた行円がその革をまとって鹿を哀れんだことか
ら皮聖(かわのひじり)といわれ、寺自体も革堂と言われるにいたっ
たという。

本堂内部は正面に行円作の十一面観音(お前立)、右に地蔵菩薩、
左に元三大師が祀られている。格天井も美しい。

境内は街中ということもあって狭く、その中に愛染堂などの堂宇が
並ぶ。

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庫裏と寺務所。なかなか味のある建造物。文化14年の建造ださう。

Kodo04_2
こちらは加茂大明神。こんな五輪塔初めて見ました。穴の中に
は石像の不動明王がお祀りされていました。

最後に御朱印です。

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迫力のある文字ですね。西国の時もさうでした。見ていただいて
わかるやうに「神仏霊場」の朱印も押していただきました。
こんなの初めて~(w。




2012年3月11日 (日)

神仏第22番 法華寺 付不退寺

佐保路へ。まずは不退寺です。2回目。今回は在原業平像が特別公開という
ことでこれを見学に。

不退寺は大同4(809)年に平城天皇ご譲位の後、この地に「萱の御所」を築き
入られ、その後、孫に当たる在原業平が仁明天皇の勅願により、承和14(847)
年に自ら聖観音を作り本尊とし、建立されたと伝える。
正式名称は「不退転法輪寺」という。

まずは南門をくぐり、受付へ。

Saho01


この四脚門は鎌倉末期のもので重文。じつに堂々としている。受付で拝観料を
支払う。KIPSカードを提示し、50円の割引。このクレカはなかなか使える!
正面には早速本堂が。

Saho02
本堂も鎌倉期のもの。中に入ると須弥壇の真ん中に聖観音像が安置されている。
平安期のものださうで(業平作ですから)、結構色が残っている。これは以前は
一般には開扉されておらず勤行のときのみ開扉されていたため、色が落ちずに
すんだのではないかとお寺の方が説明されていた。確かに周りの五大明王とは
対照的であった。こちらも奈良市で5体揃っているのはここだけとのこと。

須弥壇左には特別開帳の在原業平像があった。思ったよりちっちゃくて・・・。
またその横には阿保親王像が。他にも本堂内には杮経などが展示されており、
いろいろと見所が多かった。

境内に出て左手には多宝塔が。とっていも現在は単層になっている。明治以降
にさうなったと説明書きには書いてあったが何があったのかねぇ。

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そして寺務所の横には石棺が。5世紀のものださうで近所の古墳のものださう。
お寺には珍しいものですね。

さて不退寺を後にし、ここから西に1キロ程度、法華寺へ。こっちは神仏霊場です。

 

法華寺、またの名を法華滅罪之寺。奈良時代に建てられた総国分尼寺で光明
皇后が創建。もとは藤原不比等の邸宅があったところです。奈良時代には
金堂、講堂、東西塔、阿弥陀浄土院と多数の堂宇が境内に立ち並んでいたや
うですが、次第に衰え、鎌倉時代に叡尊が再興、また豊臣秀頼、徳川家の庇護
のもと現在に至っているとのこと。因みにこの寺は大和三大門跡尼寺の1つで
す。

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南大門から見た本堂です。桃山時代に建造されたもので重文。現在の通用門は
ここから東にある赤門です。

さて受付でこちらでもKIPSカードによる割引を求めるが、受付の方がわかって
いない様子。ちょうどKIPSのパンフレットを持っていたのでそれを見てもらい
割引していただく。どうも今ひとつ浸透していないようで・・・なんだかなぁ。

まあそれはともかく拝観券を購入し、いざ境内へ。左に鐘楼をみてまもなく
いくと本堂が。ここのお寺は不退寺や海龍王寺など近隣の寺とはちがって、
なんか垢抜けてるのね。まあ境内に木々が少なく手入れされているということ
が大きいんでせうが。

Saho06

本堂はこちらも桃山時代のもの。慶長6(1601)年に秀頼と淀殿が片桐且元を
奉行に任命し、建造したものです。内部には内陣に本尊の十一面観音の厨子が。
ただこちらは秘仏で特別開帳の時しかお姿は拝めません。なんでも光明皇后の
お姿を写したもので国宝。カヤの一木造りで大きさは100cmと結構小ぢんまりと
したものらしい。普段は隣に模刻仏が安置されているのでそちらを。蓮の葉の後
背が珍しくちょっと腰をひねった艶やかなお姿は実にいい!

他にも維摩居士像やそれまでの本尊であったとされる木造漆箔仏頭、木造梵天・
帝釈天頭など(いずれも重文)が展示されている。

さて本堂を出て横をはいると客殿に。もとは京都御所のものださうで、桃山
末期か江戸初期に移築されたものであるとのこと。

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残念ながら内部は見学できません。また光明皇后縁の「から風呂」なるものも
あります。こちらも内部は見学不可。ただ本堂内にから風呂の内部写真がある
のでそちらを見学したい。

Saho08

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さて法華寺を出た頃にはちょうどお昼にいい時間。奈良のうまいもんということで
大宮の「志津香」へ。釜飯の有名なお店で小西通りのお店が最近こちらに移って
来たということで行きました。法華寺からも車で10分程度。お昼しかも日曜日と
いうことで案の定混んでおり、1時間待ち。しかし内部は広く30分程度で席につけ
ました。鳥好きなもんでやはり奈良名物の大和肉鶏の釜飯を注文。

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久々に食べましたが旨かった。奈良の隠れた名物です。

神仏第18番 帯解寺

大学時代の友人と帯解寺へ。奈良に住んで30年にもなりますが、まだ
ここは行ったことが無かったんですわ。
結婚してないということも大きな理由の1つかも(笑)。今回は神仏霊場
ということでお参りしてきました。

周りは思ったよりかなり道が狭い!対して意外と駐車場は広く、日曜日
でしたがすんなり止めれました。
駐車場からすぐに山門。江戸時代のものださうでもとは楼門だったとか。

Obitoke01


山門を入りますとすぐに本堂です。こちらも比較的新しく安政5(1858)年に
再建されたとか。本堂もさうですが、境内も意外とこぢんまりとしています。

Obitoke02
反面、参拝客は多く、写真も人を少ない時を見計らってパシャリしました。

そもそも帯解寺は霊松庵と呼ばれ、文徳天皇の時代にその皇后がお子に
恵まれず、春日明神のお告げにより帯解子安地蔵菩薩にお祈りになり、
惟仁親王をご懐妊になられ出産。文徳天皇はこの奇瑞から天安2(858)年
伽藍を建立し、帯解寺という寺号を与えました。

その後、江戸時代になりお江が祈願し竹千代を出産、また竹千代であった
家光も側室のお楽の方が祈願され、家綱を賜るなど皇族や将軍家はじめ
安産・求子祈願霊場として名を高めました。また美智子皇后や秋篠宮妃紀
子殿下など今でも多くの皇室の方ゆかりの寺としても有名です。

以上のような背景もあって境内には若い夫婦が沢山いました。けどどの
夫婦もちょっとやんちゃな感じの人が多いのはなぜ?

本日は春の秘仏・秘宝特別開帳ということでそちらも見学。清和閣には
薬師如来や春日赤童子画像などが本堂には本尊である帯解子安地蔵
菩薩像を間近で見学できました。ありがたやありがたや。

さうさう徳川家ゆかりの寺ということでこんなものもありました。

Obitoke03
ほんとちょっとした手水鉢なんですが、家綱とはさすがですねぇ。
あとこんなものも。

Obitoke05
妊婦さん用なんでせうが、こんなところで買う人おるのかなぁ?
(あとで調べたら祈祷を受けられた人が授与される腹帯(実費)
とのこと、腹帯のみの購入はできひんらしいです)。

ちっちゃなお寺でしたが皇室・将軍家ゆかりということでいろいろと見所
の多いお寺でした。今度は結婚して奥さんとこねばなぁ。

Obitoke04

2012年3月 9日 (金)

歴史秘話ヒストリア ニッポン大好き!がんばって!

先日、ヘレン・ケラーを特集した際、エンディングに紹介された

ヘレンの名文句。ちょっと感動しちゃったんで書置きます。

 

  

「不幸のどん底にあってもこの世には自分に出来ることがあるのだと

信じましょう。

誰かの苦しみを和らげてあげられるかぎり人生は無駄とはなりません。

人生で最も胸が高鳴るのは他人のために生きる時です」。

 

 

いい言葉ですね。私もかういえるやうな人間になりたいものです。

まだまだ精進がたりません。

2012年3月 3日 (土)

神仏第48番 生国魂神社

暖かくなってきたので神仏霊場を再開。

今回は生国魂神社へ。谷町筋から入ると旧参道が見えてきます。

もともとこの参道は今の新歌舞伎座まで伸びており多数の参拝者

であふれかえっていたとのこと。

現在は短くなってしまった参道を行くと正面に鳥居が。生国魂神社

に到着。

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生国魂神社は神武天皇が九州より難波に入った際に大坂城付近

に生島大神、足島大神を祀ったことを期限とし、天正13(1585)年

に現在の鎮座地に遷座されたとのこと。その後、豊臣、徳川家にも

庇護され、難波大社(なにわのおおやしろ)として国土の守護神、

大阪の総鎮守として崇敬されました。社殿は「生国魂造」と呼ばれる

もので、本殿と幣殿が流造で、正面に破風をもつ特徴的なもの。

社殿は明治の大火、大東亜戦、ジェーン台風により倒壊し、現在

のものは昭和31年にたてらえたものとのこと。

 

Ikutama03_2


確かにコンクリート創りで、ちょっと味気ないと言えば味気ないか。

残念ながら特徴的な社殿は拝殿からは見学できず。

さて境内にはたくさんの摂社があります。また生国魂さんゆかりの

人物の石碑等も。

 

その1つが米澤彦八。彦八は上方落語の祖と言われ、境内で

しかた物真似などをしていたと言われる。現在もその遺徳を

偲び、毎年彦八まつりが行われています。

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そしてもう1つ有名なのが井原西鶴。「世間胸算用」などで有名な

江戸初期の文芸家。西鶴は俳人としても名を馳せ、ここで矢数

俳諧を行い、四千句を読んだと言われる。

Ikutama05


ほかにも境内には八幡さんや住吉さんなど沢山のお社が

並び建ち、また周りは木々に囲まれ都会の中のオアシス

となっていました。

Ikutama06

 

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